ひとつ屋根の下――律己
「
「は?」
卒業式から一週間が経った晴れた日の昼下がり。奏が近所のコンビニに出かけているタイミングで訪ねてきた
奏が、椛先生と同棲? しかも、この春から!?
理解した途端、熱いなにかが皮膚の下を駆け巡り、目の裏が一瞬白に染まる。驚き、喜び、憤り、寂しさ、焦燥。さまざまな感情が脳内で入り交じって、思わず言葉に詰まった。
鬼頭の視線から逃れるように、意味もなく庭先の植木に目を向けた。そっと深呼吸をして心を落ち着かせる。
卒業し、晴れて付き合えることになったのだから、いつかはそういうこともあるだろうとは思っていたが、さすがに今年の春からとは想定していなかった。
そもそも、そんな話は初耳だ。事実なのか? 奏からも、もちろん椛先生からも、それらしい話をされた覚えはない。
こんな大事な話、一緒に暮らしてるおれにこそ真っ先に伝えるべき案件のはずなのに、なんで、おれが部外者の鬼頭から伝え聞く状況になってんだよ。
まさか、おれに知られたら同棲を却下されるとでも思ったのか。もしくは、おれに変な気を使っているか。
それなら心外だ。おれはそんなに心が狭くて弱い男じゃない。
鬼頭は目を伏せたまま口角を軽く上げて、くちを開いた。勝ち誇ったように見えるその仕草に、軽く苛立つ。
「その様子だと、黒崎くんはまだ知らなかったみたいね……」
「わざわざ知らせてくれてドーモ。で、お前はなんにも知らねぇ俺を面白がりにでも来たわけ?」
「面白がる? まさか」
おれの言葉をゆったりと復唱し、ありえない、と表情で語る。
首を振った拍子に鬼頭のスティックピアスが揺れて、前に奏が褒めちぎっていたことを思い出す。余計なこと思い出しちまった。
「あれっ、雅様?」
微妙な空気を払拭するような明るい声が聞こえてきて、おれ達はそちらに目を向けた。
門扉の脇に、長い黒髪を適当にひとつ結びにした奏が、コンビニ袋をふたつも手に持って立っていた。
「
「いいの、もう帰るわ。ねぇ、奏。大事なことはちゃんと話さなきゃだめよ」
「……え。雅様、それって」
「ごめんなさい、あなたにいつまでも話す素振りがないから、伝えてしまったわ」
目に見えて動揺した奏は、漫画みたいにコンビニの袋をどさりと落とした。買ってきたアイスが袋から飛び出て、地面に落ちる。
奏の反応からみて、同棲の話は事実なんだろうと察しがついて、目を伏せた。
ひとつ深呼吸をして再び奏と向き合えば、鬼頭がコンビニの袋を奏に持たせて去っていくところだった。
おれと目が合うと、奏は慌てて口を開く。
「えっと、あの、律己。今まで黙っていてごめんなさい。でも、違うのよ。誤解しないで欲しいのだけれど、隠そうと、していたわけではないの。
必死に弁解しようとする奏に、おれは背を向けた。
「……アイス」
「え?」
「アイス、溶けるだろ。続きは中で聞く」
奏の返事を待たずにおれは家の中へ向かう。
どうでもいいけど、なんでこんな春先にアイスなんて買ってきてるんだ、こいつ。
リビングの食卓テーブルで向き合うおれ達。
改めて大事な話をするとなると、少し緊張するな。それは奏も同じようで、さっきから落ち着きなく髪を弄り、何度も飲み物に口をつけ、目を合わせてもすぐに逸らされる。
深く息を吐けば、奏はびくりと肩を揺らす。怒られるとでも思っているんだろうか。
確かに、憤る気持ちがないわけではない。でも正直、隠されていた怒りよりも相談されなかった悲しみの方が強かった。
「先生と一緒に暮らすんだって?」
「……うん。報告が遅くなって、本当にごめんなさい。律己には早く言わなくちゃいけないことは、分かっていたのだけれど」
「けど?」
「……どう、切り出せばいいのかが、分からなくて。小さい時からずっと、わたしたちはほとんど二人で過ごしてきたでしょう? 先生と一緒に暮らせることは嬉しかったけれど、でも、それを告げてしまったら、律己とは決別しなきゃいけない、みたいで」
伝えるのが怖かったの、と奏は泣きそうな顔で言った。震える唇から絞り出された声は弱々しくて。
ばかだなぁ、奏は。昔から、人付き合いに関して壊滅的だとは思っていたが、いつも一々考えすぎなんだ。
「先生はすぐ律己に伝えようと言ってくれていたけど、わたしが待ってもらったの。でも、準備は着々と進んでいくのに、律己に伝えられてないのは裏切っているみたいで、罪悪感で余計に言い出せなくなって……」
「ばっかじゃねぇの」
「ご、ごめんなさい……わたしは本当にばかで最低のゴミクズです……」
急にどんよりとネガりだす奏を手で制して、ガシガシ頭を搔く。
「そうじゃねぇよ。あのな、いいか? 住む場所が変わるくらいで、おれとおまえが決別する必要なんてねぇんだよ。思考回路ぶっ飛びすぎだろ」
奏は驚いたように目を見開く。
ぶっ飛んだ考えではあるが、奏が何を怖がっていたのか、おれには何となく分かる。
何か一つの大切を得るためには、別の何かを切り捨てなければならないと、一番身近な大人が体現していたからこそ。
でも実際は、そんな難しく考えなくていいんだよな。たくさんの大切を手にしたまま別の大切を得て幸せになったっていい。大切なものをランク付けして、一番以外を捨てて生きてく必要なんてない。
「奏、よかったな」
「律己……」
感極まった様子の奏の頭に軽く手を乗せる。きっともう、こうやって気安く触れるわけにもいかなくなるだろうな、と思いながら。
しんみりした雰囲気に耐えきれず、わざと乱暴にぐりぐりと奏の頭を撫でまわす。
「おまえ、料理出来ないんだから無理して椛先生に迷惑かけんじゃねぇぞ」
「カレーは作れるわ!」
「カレーだけな。米は炊けねぇだろ」
「りっちゃんうるさい! 米だって、もう炊けるから。……たぶん」
「ふぅん? じゃあ今日の夜、炊いてみてくれよ」
「望むところよ! やってやるわ!」
すぐにいつもの調子に戻った奏に一安心した。その単純さに口許が緩む。
さっき奏が買ってきたアイスを冷凍庫から取り出し、二本繋がった形のそれを切り分けて奏に渡す。
上の蓋をねじ切り、チューブ状の容器を噛みながらテレビの電源を入れた。どさりとソファに腰を下ろせば、奏もソファにやってくる。
画面に流れるのは楽しげなワイドショー。隣ではすっかりケロッとした奏がアイス片手に、便利グッズの紹介を食い入るように眺めていた。
その夜に食べた白米はべちゃべちゃしていたが、満足気に笑う奏の顔を見て、何も言わないでおいてやることにした。
春からはこの広い家で一人過ごすことになるんだ。
残り少ない二人で過ごせる時間を大切にしよう、と思った。
――
―――
奏夜の母である奏と、その義兄である律己の話でした。
奏と律己は両親の再婚で兄妹になったため、双子ではないのですが同学年なのです。
初めての心を射止めろ!SS集 遥哉 @furann10
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