marionette

水生凜/椎名きさ

君はあくまで俺のもの

「あの、これ落としましたよ」


放課後、快速電車を途中下車をして各停の電車を待っていた時だった。


突然、背後から声を掛けられ、北川きたがわゆたかは何事だと思いながら振り向くと、定期入れを差し出す女の子がいた。


女の子は、今年の夏から付き合っている彼女の三条さんじょうたまきと同じくらいかわずかに背が高い。一五○半ば程ある。

中学生くらいに見えるが、濃紺のワンピースに同色のジャケットとベレー帽、臙脂色の棒状のリボンと、身に付けている制服は名門女子校・百合ヶ丘ゆりがおか女学園の初等部のものであった。


環と同様肩で切り揃えられた真っ直ぐで艶やかな黒髪、緩やかに上向きにカーブした長い睫毛、星空を埋め込んだような深い青の猫目、キメが細かい白磁の肌、薄紅色の薄く血色のいい唇。


大層浮世離れした美しい女の子だった。


容姿端麗な親戚が身近にいる為、綺麗な子は見慣れていたはずの悠だが、衝撃を受けるほど目を奪われたのは彼女が初めてだった。


綺麗に分類される彼女だが、白百合のように可憐で華奢な体躯は守ってあげたいと庇護欲を刺激させられる。


どれだけ見とれていたのだろうか。


「あの、違いましたか……?」


耳に届いたおどおどした声に我に返る悠。


「ああ、ありがとう。俺の定期だよ」


少し俯いて顔が見えなくなった。小学生が高校生に声をかけることは中々ない。かなり緊張しているのだろうか。


「よかった」


定期入れを受け取ると、目の前の女の子は少し顔を上げて安堵の笑みを浮かべた。


大袈裟なほど音を立てる鼓動。


「では失礼します」


彼女は丁寧に悠に一礼すると、ホームに停まっている急行の電車に乗り込んだ。間もなくして電車は動き出した。


悠は電車が見えなくなるまで呆然と見つめていた。


この時、悠は見知らぬ女の子に恋に堕ちてしまった。


────彼女がいるにも関わらず。






「あ……」


数日後の朝。

ホームで快速電車が来るのを待っていると、聞き覚えのある声が耳に入った。


ゆっくりと振り返った瞬間、悠は瞠目した。


濃紺のワンピースに同色のジャケットとベレー帽、臙脂色の棒状のリボン。

目の前にもう会うことはないと思っていた女の子がいたのだ。


お互い無言で会釈をする。


「また、会いましたね……」


女の子は目を伏せたままぽつりと呟く。

睫毛が長くて頬に影が落ちている。


「びっくりしたよ。あの時助かったよ。ありがとう」


目を細めて破顔すると、女の子は目を丸くさせた。


その時、回送の電車が通過した。風に煽られベレー帽が空を舞う。


「あっ、」


線路の方へ飛んでいきそうな帽子を、悠は手を伸ばしキャッチした。


「落ちなくてよかった」


悠は彼女の風で少し乱れた髪を手櫛で整えてから被らせた。


「ありがとう、ございます……っ」


すぐ頬を赤らめる彼女は、年齢的なものと女子校育ちなのか男慣れしていないのがよく分かる。小学生で男慣れしているのもどうかと思うが。


(純粋そうだな……)


そんな彼女の反応が悠には可愛くて仕方がなかった。


快速電車が来るまで後五分。


「定期を拾ってくれたお礼、用意したんだ。良かったら受け取ってくれる?」


悠はラッピングされた小さな包みを彼女に差し出す。

小学生女子が好むものはよく分からず、無難にキャラクター物にした。


「いえ、お礼なんて……あたしはただ拾っただけですから」

「定期代の数万は結構痛いよ。君のおかげで本当に助かった。だから貰って欲しい」


譲らない悠に折れたのか、彼女は躊躇いながらも受け取ってくれた。


「気に入るか分からないから開けて見てくれる?」


彼女が悠に言われるままに開封すると、中にあったのは猫のゆるキャラな可愛いキーホルダーだった。

小中学生女子に絶大な人気を誇るキャラクターだった。


「あ、可愛い……っ」

「猫は好き?」

「はい、大好きですっ」


緊張気味の表情から一変して、眩しいくらいの愛らしい笑顔を浮かべる彼女。

悠は無性に抱き締めたい衝動に駆られたが、彼女が背負う学校指定の茶色いランドセルに視線を向けて必死に鎮める。


「付けてあげる。ランドセルに付けても大丈夫?」

「大丈夫ですよ」


ランドセルの側面にキーホルダーを付ける。


ちょうど快速電車が停まり、二人はそれに乗り込む。


「危ないから掴まって?」

「あ……」


ホームと電車の間隔が開いていたので、悠は彼女の手をぎゅっと掴む。

彼女は一気に頬を赤らめていた。


そんな反応から、嫌がらなかったことに悠は安堵すると同時に可愛いと感じた。


運良くロングシートに二人分の空席があったので、並んで座る。

悠の通う菖蒲しょうぶ高校の最寄りまでは三駅、百合ヶ丘の最寄りまでは二駅停車する。

わずかな時間だが、まだ彼女と過ごせることに悠は内心普段は存在を信じない神に感謝した。


「キーホルダーありがとうございます。あの、あたしは笹山ささやまきょうと言います」

「俺は北川悠です。名前で呼んでもいい?」

「はい、お好きに呼んでくださいっ」

「じゃあ、響ちゃんでいい?」


いきなり呼び捨ては距離感がなさすぎるだろうと思い、ちゃん付けで呼んでみると、響の頬はほんのりと染まっていた。


「よろしく、です。ゆ、ゆた、……北川さん……」


響の方は、異性への名前呼びはハードルが高かったようだ。


「それでもいいよ」


(今名前で呼ばれたら色んな意味で俺が死ぬ)


理性と社会的の二つの意味で。


取り留めのない話をしていると、あっという間に響が降りる駅に停まった。


「北川さん、あたしここでおりますね。さようなら」


響は礼儀正しく頭を下げると、名残惜しそうに降りていった。


響が居なくなって電車が発車すると同時に、悠はワイヤレスイヤホンを装着する。

音楽を聴くためではない。


スマートフォンを操作すると、しばらくしてイヤホンから流れたのは……。


──おはようっ、由加ゆか


先程別れたはずの響の声だった。


実は響にあげた猫のキーホルダーにGPSと盗聴器を仕込んでいる。

これでいつでも響の位置の把握と、鈴を転がしたような甘い声を堪能することが出来ようになった。


まごうことなき犯罪行為である。


響を見初めたその日、悠は興信所を使って響に関する情報を密かに集めた。

しかし、それだけでは飽き足らず、GPSと盗聴器で響の行動を把握しようと試みたのだ。


──響、おはよー! あれ、機嫌良くない? いつもは眠そうなのに、なにかいいことあったの?

──わ、分かる? 後で休み時間に話すよ……っ

──絶対だよ! えー、なんだろう。


微笑ましい友人とのやり取りに、零れ落ちそうな笑みを噛み殺す。


先程の響を思い起こす。

あまりにも可愛い反応を見せられて、某推理小説の分限者のように連れ去りたくなった。無事に妄想で留めておいたが。


この時ばかりは、整った容姿で生まれて良かったと思った。

並以下の容姿なら即不審者扱いと通報は避けられないだろう。


穏やかで味気ない日常が、響に出会ったことで鮮やかに彩り始めた。




この日以来、二人は毎朝ホームで落ち合い、一緒に電車に乗るようになった。


二人並んで吊革に掴まりながら世間話をする。

学校のことや友人のことを話す響の身振り手振りが愛らしくて、この時間は癒しとなった。


一緒に電車に乗るようになって数日が過ぎた日のこと。


いつものように世間話に花を咲かせていた時だった。

突然、電車は信号待ちで急停車した。


「きゃっ」


電車は激しく揺れ、響はバランスを崩して悠の方へ倒れてしまう。

足を踏ん張ってみたが、結局ダイブしてしまった。


「ご、ごめんなさい……」


事故とはいえ、こんなに密着したのは初めてだった。

響の膨らみの目立たない胸からは鼓動がはっきりと伝わる。


鼓動をバクバクと暴れさせている響をずっとこのまま抱き締めていたいが、怖がらせたくないのですぐに解放させた。


「怪我はない?」

「っ、大丈夫です」


頼りないほど細い足首を痛めていないか心配だったが、幸い響は痛そうにする様子は見られなかった。


響は降りるまで恥ずかしがっていたのか、ほとんど喋ることはなかった。

別れ際に「さようなら」と言った位だった。

髪をかきあげた時に見えた赤く染った耳を、悠は見逃さなかった。




三条環と付き合い始めてもうすぐ三ヶ月を迎えようとする秋の休日。


悠と環は買い物であちこち歩いていた為、二人は休憩をしようと目に入ったファミレスに入った。


お嬢様育ちかつ、地方出身の環は初めて入るファミレスに目を輝かせていた。


「悠くんはこういう所行ったことあるの?」

「小さい頃、叔父さんによく連れて貰っていたよ」


両親は弟ばかりを可愛がり、蔑ろにされていた悠だが、叔父は息子同然に可愛がってくれた。

よくファミレスに連れて行って、お子様ランチを頼んでくれた思い出があった。


ホール担当の女性店員に席を案内されて、向かい合うように座ると、店員から受け取ったメニュー表を眺める。


「ティラミス美味しそう。これにする! 悠くんは?」

「俺はコーヒーゼリーにするよ」


甘いものは得意ではないが、甘党の環に付き合ってスイーツ巡りするのは苦ではない。

環が美味しそうに食べている姿は和むので、見ていて楽しかった。

響に強く惹かれた今は、すっかり環は色褪せてしまったが。


それでも環と付き合い続けているのは、環の後ろ姿が響と酷似しているから。

環と体を重ねると、響を抱いているような錯覚に陥り、酷く興奮した。

クズの極みであることは重々承知だ。


二人は店員を呼び、ドリンクバーも追加で注文した。


「ねえ、悠くん。この間違い探し見て。すごく難しいよ」

「何個見つけたの?」

「まだ五個。やっと半分だよ」


悠と環はテーブルに置いてあったこのファミレス名物の難解な間違い探しに熱中したり、お互いの学校のことを話したり、和やかな時間を過ごしていた。


ふと、悠は環の飲んでいたグラスが空になっていることに気付いた。


「環、飲み物のおかわりいる? 入れてくるよ」

「いいの? ありがとうっ。アイスミルクティーでお願いします」


ドリンクバーコーナーは少し混んでいた。

先客の中学生くらいの男子は一つののグラスに飲み物を色々混ぜて悪ふざけをしている。


数分後に順番が回り、グラスに氷と無糖のアイスティーを入れる。そこにフレッシュとガムシロップを一つずつ混ぜた。


環の元へ戻る途中だった。

悠は環の方を一目見た瞬間、時が止まる錯覚に襲われた。


環と楽しそうに話す二人の女の子。二人は環と比べると幼く見えてしまう。

一人は一四○センチほどと小柄で小学生くらいにしか見えない。長いふんわりした髪をツインテールをしたフランス人形のような美少女だ。

 

そして、もう一人の女の子は────


響であった。


「……彼氏さん戻ってきたよ。戻ろうよ“響”」


小柄な女の子が悠に気付くやいなや、片割れもとい響の袖口を引っ張る。


「そうだね由加」


響は悠の方へ振り向いた瞬間、大きな猫目を見張り驚きを露わにさせる。次第に瞳が潤んでいく。

響は逸らすようにすぐに環の方に視線を戻した。


「っ、ごきげんよう、環お姉さま」

「環お姉さま、ごきげんようっ!」

「響ちゃん、由加ちゃん、ごきげんよう」


二人は礼儀正しく環に一礼すると、そそくさと去って行った。環はにこやかに手を振っていた。


「今の子達、環の知り合い?」


二人がいなくなったタイミングで悠は環に声を掛けた。平静を装いながら、席に腰を下ろす。


「うちの学校の後輩だよ。二人とも初等部の六年生で、文化祭の実行委員会が同じで仲良くさせてもらっているの。素直で可愛い子、なんだか妹が出来たみたいだよ」


一人っ子の環は、彼女達をいたく可愛がってるようだ。


「へえ……」

「背の高い方の女の子、菖蒲高校の理事長の娘さんだよ」


(うん、そんなこととっくに知ってる。あの子に関することは全部把握済みだから)


興信所を使って調べ、盗聴に手を染めた悠は心の中で呟いた。


「そうなんだ……環、シロップは一つでよかった?」

「ありがとう。大丈夫だよ」


悠はアイスミルクティーの入ったグラスを環に渡した。


悠は残ったアイスコーヒーを飲みながら、先程の響の表情を思い浮かべていた。


(ああ、今の泣きそうな顔、スマホに収めたいくらい可愛かった……)


悠は響の中に芽生えた自身への好意に気付いた。

しかし、同じ気持ちと言っても手放しで喜ぶにはまだ早い。


響は同年代の平均より背丈は高いが、まだまだ未熟な体だ。

初潮は未だに迎えていない。

華奢で未熟な響に破瓜はとても耐えられないだろう。高校生の環ですらあまりの痛さに泣いた程だ。


(十六になったら迎えに行くから。それまでは待ってて)


悠は心の中で密かにほくそ笑んだ。




しかし、状況は突然、前触れもなく一変していく────


翌朝の週始め。響は足を滑らせて駅の階段から転落した。

高い位置から落ちた為頭を強く打ち、救急車で運ばれた。


悠は中々こない響を待ちながら、盗聴していた時に知った。


響は無事だろうか。

悠は心配のあまり一日中上の空だった。学校を休み、自室に篭っていた。


GPSで入院先の病院は知っているが、いきなり見知らぬ男子高校生が病室に現れたら、身内は酷く困惑するだろう。未来の義理の家族になる人には不審がられたくない。


(響、どうか無事でいて……何かあったら俺は生きていけない)


悠は響の無事を祈り続けた。




幸い響は命に別条はなかった。

響の無事を知り、悠は肩の荷がおり、安堵した。目尻に溜まった一粒の涙を指で拭いとった。


響の無事を知ってから、悠は学校に行くようになった。

授業と部活をこなしながらも、響と再び会える日を待ちわびていた。


数日後の休日の昼。友人の由加が見舞いにやって来た。

今日はどんな話で盛り上がるのだろうか。


自室のベッドで寝そべりながら、イヤホンで盗聴内容を聞いていた。


──よかったよ。すっごく心配したんだからね!

──由加、心配かけてごめんね?

──例の高校生には連絡したの? 心配してるんじゃない?

──え、誰なのその人……?


訝しむ響の声は、悠に裂くような胸の痛みを与えた。

同時に絶望の底へ叩き落とされる。


──響、前に言ってたでしょ? 凄く格好いい人で、最近よく電車で話すって。

──ごめん、分からないよ。

──響……もしかして……。

──ん、どうしたの?

──なんでもないよっ。今言ったの忘れてね!


二人は学校のことで話に花を咲かせていたが、内容は頭に残らずすり抜けていく。


響と由加の会話を聞いて分かったことは、

怪我のせいで、悠のことは響の中から消えてしまったようだ。


(どうして、俺を忘れた? なんで?)


心が深淵の底まで堕ちていく。悠の心象風景は他の色など許さぬ全てを塗り潰したような黒、常闇が無限に広がっている。


「笑いかけると照れていた癖に、手繋いだら真っ赤にさせてた癖に、抱き留めたら心臓バクバクさせてた癖に、彼女といるところを見て泣きそうな顔させてた癖に。俺を忘れるなんてゆるさない、許さない、赦さない、ユルサナイ……」


悠は自分のことを棚に上げて、記憶から自分を消し去ってしまった響に恨み言を呪詛のように呟き続けていた。


目を見開いたまま呟く姿は、悪鬼そのものだった。


(響、今は会わないでいてあげる。成長した頃に迎えにいくよ。絶対、逃がさないから────)


この日から悠は、更なる響の監視と、響に近寄る男の排除に血道を上げるようになった。

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