自堕落気取り――ベルフェゴール
ようやく魔界が落ち着いてきた。以前のように逃げ隠れする必要がなくなり、ほとんど無法地帯になっていたが、ある程度の統制が取れ始めている。正直、奴には無理だと思っていたが、あの無口な少年が上手く手綱を握っているらしい。
外から騒がしい声が聞こえてきて窓に視線を向けると、遠くの森が炎に包まれているのが見えた。また揉め事か、と溜息をつく。
恐怖の象徴として絶対的頂点に君臨していた奴サタンが大人しくなったかと思えば、今度は下位悪魔同士での諍いが増えた。アレでも、一応の抑止力にはなっていたのだと、今更ながら実感する。
燃え盛る炎の森を見て、昔の記憶がフラッシュバックする。忌まわしい黒炎が、魔界の全てを飲み込まんと燃え続けていた頃の記憶が。揺れる炎の真ん中で笑っていたのは、いつも――。
建てつけの悪い扉がガタンと開かれる音でハッとする。振り向けば、そこには黒炎の化け物――もといサタンが、腕を組んで不遜な表情で立っていた。
珍しい事もあるものだ。いくら統制の為の協力関係にあるとはいえ、“あの”サタンが俺などに会いに来るとは。
「ベルフェゴール」
「あ~?」
「貴様は何故、そのように振る舞う?」
「はぁ~?」
珍しく俺に話しかけてきたかと思えば、いきなり意味の分からないことを口にした。いや、質問の意味圏は理解出来る。しかし意図圏が分からない。
この男が、他者に興味を持つような奴ではない事は身を以って知っている。わずかにマシになったとはいえ、わざわざ俺に会いに来てまでこんな話を振ってくる奴ではない。
警戒を気取らせないよう、いつも通りの俺のまま対応する。
「その自堕落気取りは何だと、訊いている」
「あのねぇ。俺は、元からこうなのよ~。気取ってるわけじゃ~ねぇよ~?」
俺の返答に苛立ったらしいサタンは、眉間に皺を寄せて睨み付けてきた。
今日の奴は確実におかしい。いつもなら既に怒って会話を断ち切り、何処かへ行ってしまうだろうに。そもそも、いつもは自ら俺に話しかけてこないが。
最近悪魔になったばかりの何でも食べる黒髪のあいつに影響されて、変なものでも食べたんじゃないのか。もしくは変態にいよいよ変な薬でも盛られたか。
半目でサタンを見れば、鋭い目で睨み返された。
「……貴様は自堕落を免罪符にしているだけではないのか」
「は?」
今度は本当に意味が分からない。何故、お前にそんな事を言われなければならない? 例え、もしそうだったなら、なんだというんだ。
だいたい、俺の何を知っていると? 今まで魔界の全てを燃やして、壊して、燃やして、燃やして。燃やすしか能がない、ただの化け物であるお前が。
お前に怯え、逃げながら過ごさざるを得なかったあの頃、俺がどんな気持ちで過ごしてたかなんて知らないくせに、分かるはずもないくせに。そんなお前が、俺の何を分かると。
確かに今のサタンはあの頃とは違う。けれど、それがなんだ。その程度の変化で、俺のように弱かった悪魔の何が分かる。
サタンの姿に過去の化け物を重ね、手が震える。少しでも弱さを見せれば、飲み込まれてしまうと、唇を噛んだ。
「貴様は俺が恐いのだろう? だからこそ、そんな風に――」
「サタンー! ベルー! 何か美味しそうな話してるー!? ボク抜きでずるいよおおおお! ボクも混ぜてよおおおおおお」
白い布を顔の前に付けた黒髪の小さな悪魔が、バタバタと走ってくる。面倒くさい奴が来た。
だが、今は少し助かった。いつの間にか強く握りしめていた拳をゆっくりと開く。爪が食い込んだ掌が少し痛かった。
俺がこうして自堕落に生活しているのは、毎日怯えていた弱い頃にはこんな風に過ごすことすらできなかったから。その反動に過ぎない。奴が言うような理由なんかでは、絶対にない。
「サタン~、これだけは言っておくけどな~。俺は、自堕落気取ってるつもりはねぇのよ~。これが、俺だ。おめ~の印象とかど~でもいい」
目を逸らしたサタンが「貴様は自分すらも偽っているのか」と呟いた気がしたが、大声をあげて突進してきた黒髪――ベルゼブブの所為で確かめることはできなかった。
きっとこれからも、サタンの中で俺は『自堕落気取り』なんだろうが、これ以上弁解するのも面倒くさいからそれでいい。サタンなんぞにどう思われていようと、どうでもいい。
――
―――
恐怖の象徴でしかなかったサタンに虚勢を張って対等であろうとするベルフェゴールの話。
前にTwitterでタイトルを頂いて書いたものだったと思います。
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