憤怒の追憶 ep.invidia――サタン

 目の前に広がる炎の中に、俺以外の何かがいた。珍しいと、そう思った。塵共は俺から逃げ隠れしているばかりで、こうして自ら姿を現すことなど皆無。

 珍しかったから。ただそれだけの気まぐれで、始末するのはそいつの顔を見てからにしようと考えた。黒い炎の先に目を凝らす。

 無造作に伸ばされた、クリーム色の髪。黄土色の細長い角が左右から生え、耳あたりの髪の合間からは魚のヒレのようなものが見えていた。右頬には何かで切られたような古傷。そして何より、白目であるはずの部分が黒く染まり切っていた。

 悪魔と言い切るには異質なものを感じ、即座に燃やそうとしていた手が止まる。

「おまえ……あくま、か?」思わず話しかけていた。久しぶりに発した声は掠れ、言葉も上手く出ない。

「愚問だのう。それより、そなたは何をしておるのだ?」

「こた、えろ」

 目の前の傲然とした男は、肩を竦めて続けた。

「我が名はレヴィアタン。ついさっき、そなたらと同族になったばかりの者じゃ」

「そう、か。……なら、ころ、す」

 悪魔ならば、殺す。話す必要もない。ついさっき悪魔になったばかりだというのなら力も弱いはずだ。そして、俺の事を知らないのも当然といえよう。

 拳から黒炎を出す。熱気が髪を煽った。

 これを見た塵共は怯え、喚き、逃げ惑い、助けを乞う。目の前の悪魔も同じ……はずだった。

「ははは、我を殺すというのか! よいよい。元気なのは良いことじゃ。しかしやはり、この姿だと警戒されてしまうのかのう」

 臆することもなく、ましてや逃げることもない。むしろ嬉しそうにしながら、炎をものともせずに俺の方へと近づいてきた。黒炎を興味深そうにしげしげと眺め、歯を見せて笑う。

 や、やめろ。近付くな。


 怖い。


 こんな反応を示す奴は初めてで、俺は呆然とその場に立ち尽くす。

 レヴィアタンと名乗った男が、実際の体躯の何倍以上も大きく見えて、その圧で押し潰されそうだった。

「むう。殺さぬのか? ならばこの炎はちいと邪魔じゃ」

 そいつは、俺ですら一度着火したら容易に消すことが出来ぬ炎を撫でるように触れただけで、いとも容易く鎮火してみせた。

 こんな、こんなのは知らない。俺の炎を消せる奴なんて、いないと思っていたのに。

「な、なんだ……おまえ」

「ふふふ、そう怯えるでない。我はそなたを気に入ったぞ? しかしそう怯えられては話も出来んな。……そうだのう、ではこの姿ならば平気か?」

 俺のすぐ目の前まできたおかしな悪魔は、そう言ってくるりと回転した。一回転し、再び俺の方を向いた時にはそいつの姿は変わっていた。

 角もヒレのようなものも、黒く染まった白目も頬の傷もなくなり、俺と同じような耳を持つ幼子の姿へと変化していたのだ。ぷっくりとした白磁の肌に、花びらのような唇。くりくりと大きな双眸は、俺をジッと見上げる。

「どうした? 口調も改めなばならんか?」

「ど、どう、して。……そこまで、する」

「なんだ。聞いておらなんだか? さっきも言ったであろう。我、レヴィはそなたを気に入ったのだと。強い者は好きなのじゃ」

「す、き……」

「そうじゃ。だから、そう警戒するな。我は、そなたを傷付けるつもりは毛頭ない」

 両手を広げて、愛らしい姿で諭すように語った。

 すき。すきって、なんだ。

 遠い昔に知ったことがあったような気がしたけれど、あまりに昔のことで思い出せなかった。

 そして俺は気付いた。もう、この悪魔に敵意を抱いていないということを。受け入れてしまいつつあることを。

 他者を、受け入れる。それは怖い事。俺に近付くものは皆燃えて消えてしまう。俺の意思とは関係なく発動する能力で、傷付けてしまう。だから、だから俺は。

 よろよろと、二、三歩後退る。

「で、も。おれ、は、きず、つける……から」

「よいよい。我は体が強いのだけが取り柄での。そなたのいかなる攻撃も受け止められる自信があるぞ」

「……だ、だけ、ど」

 俺を驚かせないように近付いた悪魔は、そっと俺の腕に触れる。

 ぶわり、と湧き上がる感情と、炎。黒炎が俺の腕から燃え移り、目の前の悪魔の腕がぼうぼうと燃え上がる。

 腕から燃え広がり体の全てが灰になるまで燃え尽くす様を見たくなくて、きつく目を瞑った。

「あ、あ……あぁ……」

 また、だ。壊したくないと思う程、何故か壊してしまう。俺の能力は自分でも制御ができない。

 だから嫌だった。制御できない自分が。弱い自分が。だから、だから、特別な感情を抱いてしまう前に、無のままで、全てを壊してしまいたかったのに。

 なのに、なんで!

「泣くでない。我は平気じゃぞ? まだ我はそなたの名も訊いておらぬ、死ぬはずがなかろ?」

 声がして、ゆっくりと目を開く。

 黄色くて大きな瞳が、俺を見上げていた。どこも、燃えていない。腕の部分の衣服が焦げている程度で、他はどこも。

 俺と目が合うと、ふわりと微笑む。胸のあたりがあたたかくなった気がして、胸をさすった。


 それが“好き”という感情だと俺が知るのは、まだ少し先の話だ。


――

―――

魔界を炎の海に変えていたころのサタンと、彼をロリショタコンの道に陥れたレヴィアタン。

実はこの頃の二人の口調が、今は逆になっているという小ネタ。

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