第八話「奥様は恥ずかしがり屋です」

第19話

温かい日差しの昼下がり。



寧々は旦那がいるであろうド映画の撮影の現場に足を運んでいた。




「はい、カット!オッケーです!」



「次、シーン54いくぞ!」



「確認されますか?」



「ああ、そうだな」



慌ただしい現場に1人ポツンと佇んでいる私は現場にいては邪魔ではないだろうか。



どうして関係者ではない私がここに来ることになったかについては、数時間前に遡る。














――――…



スマフォが音を立てている。



私のかなと思い、食器を洗っていた手を止めて鳴っているスマフォの傍まで行くとそれは私のものではないようで。




「あれ、桐鵺くんのだ」



どうやら旦那はスマフォを忘れていったようだった。こんなうっかりをするなんて珍しい。今朝は急いでいたからかもしれない。監督から急に時間変更があったか何かで1時間近く早く出ないといけなくなったと少々大変そうだった。



スマフォの表示を見ると、どうやら【しおり】と書かれてあった。



栞?誰?女性?



一抹の不安に駆られてしまい、出るのを躊躇った。



浮気……そんな文字を浮かべてしまう。いや、でも仕事関係の人の可能性が高い。浮気相手がこんな堂々と朝から電話をかけてくるだろうか。



ソワソワと側から見るときっと挙動不審だっただろう。そんな私を嘲笑うかのようにまだ鳴り続けているスマフォを一瞥して、私はそれを手に取った。



通話をするために画面をスライドさせた。




心臓が破裂しそうなくらい踊りながら、『はい』と応答しようとしたその時だ。





『ちょっと!!!千草くん!!!どんだけ遅いわけ!!!もう時間過ぎてるんだけど!!!アンタが遅れるとこっちの作業までマッハで仕上げないといけないんだから、ちょっとは急ぐとか何とかしたらどうなの!!??アンタの顔、仕上げるのにどんだけ時間かかると思ってんのよ!!』



いきなり大きな声が聞こえてきて、耳が対応しきれなかったのかキーンという音が耳の中で聞こえて抑える。



女性だ。思った通り、【栞】さんは女性だった。



でも会話の内容を聞いていると、それはどうやら浮気相手……というような相手ではないらしい。仕事関係の人、だよね?




「えっと、あの……旦那が遅くてすみません。いつもお世話になっております」



『大体、千草くんはいつも………………はい??』



私の言葉を冷静に受け止めてくれた彼女は数秒後に『ももももももも、も、もしかして……ッ、Strawberryの寧々ちゃん!!??』と先程の勢いはどこに行ったのかな勢いでキョドり始めたのだった。











―――…



スマフォがないと桐鵺くんも不便ではないかと思って、栞さんから現場がどこなのかを聞いてここに着いたのはいいものの、まさかのばったり現役時代によくしていただいた監督に出会ってしまい、あれよこれよといらぬツテを辿ることになり、以上をもって撮影現場にお邪魔することになってしまったのだった。



桐鵺くんにスマフォを届けようとしているはずなのに、まだ肝心の桐鵺くんと接触できていない。カメラの前で演技をしている彼を邪魔するわけにはいかないので端の方で大人しくしているのだけど、集中して演技をしている桐鵺くん、台本を真剣に読んでいる桐鵺くん、スタッフに優しい気遣いをかけている桐鵺くん、マネージャーの池崎さんと話している桐鵺くんの姿でさえ見惚れてしまう。



―――…私も重症かもしれない。



何だか旦那の仕事姿を隠れて見ているようで少々居心地が悪くなり、少し離れようかなと後ろに下がった時だった。




「あ!もしかしなくても、寧々ちゃんよね!!」



いきなり後ろから声をかけられて、振り向くとそこにいたのは、私よりも背の高い女性で腰袋を抱えているメイクさんのようだった。



あれ、でもどこかでこの声……。




「わー!!!やっぱり!!超感激!!……は、やっだ!!何この生物!!可愛過ぎない!!??本当に地球上に存在する生き物なの!?同じ人間とは思えないんだけど!!」



「……えっと」



そうだ、多分、今朝の通話の相手の方だ。栞さん、だと思う。



それにしてもいきなり怒涛の如く喋り始めた彼女に追いついていくことができず、呆然としていると『あら、やだ』と一度咳をしてから私に向き直る。




「ごめんなさい。つい、興奮しちゃって」



「いえ、そんな。……あの、もしかして今朝のお電話の方の、栞さんでお間違いないですか?」



「は!!やだ!!寧々ちゃんの口から私の名前が!!やっばい!!!ちょっと、録音していいですか!?お願いします!!もう一度、私の名前を!!」



「えっと、……栞、さん?」



「きゃああああ!!!寧々ちゃんが!あの寧々ちゃんが私の名前を……っ!家宝にする!!明日地球が滅亡しようとこれだけは絶対阻止する!!!」



多分だけど、反応を見るに……私のファンをしてくださっていた方かもしれない。



握手会とか、サイン会とか、ライブなどなどファンの方と触れ合う機会はあったけれど、引退して少し経っているため、目の前にしてこんなふうに言われるのは少し照れくさい。



ファンサービスとか今まで色々していたはずなのに、もう忘れてしまったなと思い彼女を見ていると、くるりとこちらに向き直った。




「よかったら、写真も一緒に」

「栞、何してるのかな?」



彼女の真後ろにはいきなり現れた桐鵺くんがいて、私も驚いた。気配が全くなかった。



真後ろにまで近づかれたというのに全く驚いてもいない彼女はくるっと後ろを振り返って、『ああ、千草くん』と気怠そうに答えた。




「そろそろ来る頃だと思ってたわよ。もうちょっとNGっててくれてよかったんだけどねー」



「いえいえいえ、そんな。妻を待たせるわけにはいきませんから。……寧々、ごめんね。俺、スマフォ忘れてたみたいだね。監督から聞いたよ」



「あ、ううん!いいの、全然!気にしないで」



―――…私としては撮影に臨んでいる桐鵺くんを見られて、役得だったし。




「気付くのが遅くなってごめんね。寧々」



ああ、目尻が下がって悲しそうな顔の桐鵺くんもかっこいいなぁ。




「そうだ、お詫びにお昼を一緒に食べよう。近くにいい雰囲気のレストランがあるんだ」



「え、でも撮影中でしょ?私のことは気にしないで」



「何言ってるんだ。君以外に大切なことなんて何もないよ。監督にはきちんと伝えておくから」



私の腰に手を添えて歩き出そうとする桐鵺くんに『あ、ちょっと待って』と伝えると、彼は首を傾げた。私は後ろにいる栞さんに視線を向けると、私と目が合った栞さんは『はう!』と悶え始めていた。



彼女から直接ファンと言われたわけではないけど、このままスルーするのも失礼だよね。




「あの、栞さん」



「はいいい!!」



「その、えっと…………応援、してくれてたんですよね。あの、私のファンをしてくれてありがとうございました」



『そ、それだけです…っ!』とだけ伝えて、最後は目も見ずに私は桐鵺くんの腕に抱きついてこの場を去った。



あーん!現役の時はもっとうまくファンサしてたのに、恥ずかしくて何もできなかったよー!私のばか!

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