第38話

 入浴を終えて本日の予定をすべて終わらせたトーリは、銀の鹿亭の部屋に戻りベルンを連れ出すと夕飯を食べようと下へ降りてきた。

 洗い婆とアンジェリーナばあちゃんのおかげでサラサラになった髪を幸運の紐で縛り、新しい服を着たトーリはこざっぱりとして見える。


「お帰りなさい、トーリお兄ちゃん。お風呂に行ったのね。ますますカッコよくなったですねー」


「ありがとう、ロナさん。ロナさんはいつも可愛いですね」


「えへへー、お父さん、褒められたー」


 ロナがパタパタとかけて厨房に報告に行くと、心配症のジョナサンに「褒める男にゃ下心があるからな、引っかからないように注意しろよ」と言われて戻ってきた。


「トーリお兄ちゃんには下心があるのですか? どこに持ってるの? ちょっとロナに見せてくれませんか?」


(無理です)


 まんまるい目で尋ねられて絶句するトーリであった。




 今夜も美味しい食事(今日は肉のブラウンシチューだった)をおなかいっぱいに食べて満足したトーリは、少し離れたら寂しかったのか余計に人懐こくなったベルンを肩に乗せて、少し散歩に行くことにした。


「大きなお風呂でしたよ。魔導具を使ってお掃除しているそうで、清潔でした。ベルンもお風呂に入りたかったら、たらいを用意して作りますけど」


「すっ」


 リスは『けっこうです』と言わんばかりに手を振った。そして、ふんふんと自分の匂いを嗅いで首をひねる。


「いえ、臭いから言ったんじゃありませんよ。気持ちがいいからどうかなって思っただけです。でも、野生の生き物には入浴する習慣はありませんよね……確か、日本猿は温泉に入っていたような記憶が……カピバラ温泉というのも聞いたことがありますね。リス温泉は見たことないです。大丈夫、リスはお風呂に入らなくていい生き物ですから」


「す……」


 ベルンはほっとしたらしい。


 なんとなく露天が並ぶ通りをうろうろしていると、ベルンが木の実を売っている店を見つけたらしく、トーリの耳を引っ張った。


「おや、あのお店は昨日も寄りましたね。美味しかったのですか?」


「す」


 どうやら、あの店の炒った木の実はベルンの口にあったようだ。リスは身振り手振りでどのように優れた木の実なのかをトーリに説明しようとしたが「す」だけでは情報量が足りず、可愛いだけだった。

 でも、気持ちだけは伝わったので「せっかくだから買い足して行きましょう」と若い男性のやっている店に近づいた。


「いらっしゃい、炒りたての香ばしい木の実だよ!」


 男性の腰には小さな女の子がしがみついている。茶色い巻き毛が愛らしいこの子は、どうやら彼の娘らしい。


「いら、しゃ、ませー。おいしい木の実ですー」


 可愛らしい声で懸命に声をかけてくる女の子に、トーリは「お手伝いできて偉いですね」と笑いかける。その笑顔がとても美しかったので、女の子は「王子さまと、リスさん、きたー」と真っ赤になった。


「おや、昨日も買ってくれましたよね?」


「はい、(うちのリスが)気に入ったので、もっと買っておこうと思いまして」


「それはありがとうございます!」


 トーリは炒りたての木の実を袋に入れてもらった。


「あの……お兄ちゃんは、冒険者なの?」


 店主のズボンをギュッとつかみながら、女の子が小さな声で尋ねた。


「そうですよ。僕はトーリと言って、見習いの冒険者です」


「ティアは、ティアって言って、お店のお手伝いなの。トーリお兄ちゃんは、迷いの森の湖は本当にあると思いますか?」


「はい、ありますよ。ティアさんは、なにか叶えて欲しいお願いがあるんですか?」


 湖にいる水の精霊と友達になったトーリは『思う』ではなくて『ある』と断言した。その時、店主が困ったような顔でトーリを見た。


「お願い、あります! あのね、お母さんの病気が治るようにってお願いしたいの」


 トーリは思わず店主の顔を見た。


「……妻が病気で、伏せっているんですよ。治療院に定期的に通っているんですけどね、このところあまり思わしくなくて」


「それは大変ですね」


 トーリは『回復魔法は怪我には劇的に効くけれど、病気にはそうではないらしいですね』と表情を曇らせた。


「湖に、ティアにも行けるかしら?」


「無理だよ、ティア。迷いの森には恐ろしい魔物がいるし、願いを叶えてくれる湖に辿り着くことはとても難しいんだ」


 父親にそう言われたティアは「お父さん、この前は湖は嘘のお話だって言ってたのに。お父さんの言うことが嘘だったの? 駄目よ、嘘をつくとばちがあたるのよ」と責めた。


「トーリお兄ちゃんは湖に行けるの? 冒険者だから行けるよね。ティアのお母さんが元気になるように……」


「やめなさい、ティア」


 父親は大きな手でティアの口を塞いで、トーリに「申し訳ないです、聞かなかったことにしてください」と頭を下げた。


「これ、サービスしておきます。また買いに来てくださいね」


 木の実の袋をトーリの胸に押しつけるようにして、店主はまた頭を下げたので、トーリは「すみません、また来ますね」と言って、足早にその場を離れた。

 

「ゲームとは違って、回復魔法の使い手が少ないというし、ダンジョンに潜れる裕福な冒険者と違って、高い薬を買い続けたり治療院に通ったりするのも経済的に難しいのでしょう。僕が辻ヒールできるくらいに回復魔法のレベルが高ければよかったのですが……力が及ばず申し訳ないです」


 辻ヒールというのは、ゲーム中に通りすがりのヒーラーが回復魔法をかけていってくれることだ。


 トーリは『早く回復魔法のレベル上げをしましょう』と心に誓った。

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