それが二人のルール

@SS213

Prologue

それを生業にしようと考えていた訳では無いけれど、若い内にやりたい事は全部やっておこうと、A県N市内にある広告や雑誌の写真を手掛けるカメラマンのスタジオで、アシスタントとして働き始めた21歳の春。


スタジオといっても、メインカメラマンの社長と、兄弟子となるサブカメラマン、仕事の受付やスケジュール管理をする少し年上の女性と、時々出勤して経理等をする年配の女性の計4人がいる程度のスタジオで、元々アシスタントが何人かいたらしいけど、別のスタジオに移籍したり、辞めていったりで、その穴埋めみたいな形で自分が入る事になった。


当時のこの業界のアシスタントは、ほぼ奴隷と同じで、怒鳴られたり、殴られたり、蹴飛ばされたりが当たり前の世界で、余程の物好きでもなかなかやりたがらないけれど、技術を得たいのならそこに飛び込むのが一番早いという事で、それはもちろん覚悟の上で入った。


朝一番でスタジオ入りし、掃除や湯沸かし、撮影機材のチェックなどをして、仕事が始まるとその日のロケや取材の準備をし、現場での荷物運びや撮影のセッティング等をやって、ロケが終わると後片付けと機材のメンテナンス、それ以外にはスタジオで広告用の商品撮影や現像等をやるのが主な仕事。


デジカメなどまだ存在しないフィルムカメラの時代なので、撮影後はカラーのリバーサルフィルムは現像業者に出すものの、白黒フィルムは全てスタジオ内の暗室で現像していた為、午後のロケがあると現像で残業になる事もあったが、残業代を出せるほど余裕がある訳でもなかったようで、ほとんど定時の5時で帰らされる事が多く、当然給料もそれまでやって来た仕事の中で一番少なかった。


ただ、実家暮らしでカメラや現像関連の機材は既に持っていた為、お金を使う事といえば、昼飯の他にせいぜいフィルムや印画紙を買うくらいで、休みの日も姉上に車を借りて近場に撮影に行く程度であまり誰かと遊び事も無かったので、特にお金に困るような事も無かった。


社長と兄弟子は、ロケや取材、スタジオでの大物商品や人物撮影の時だけ写真を撮って、それ以外は雑誌を見たり、楽しく雑談に花を咲かせたりしているけれど、その雑談にスタジオカースト最下位のアシスタントが加わる事はもちろん無く、やるべき事が終わっても他に何か仕事を見つけてやってたり、その日の撮影の記録を書いて勉強をするのが日常。


その時の自分は、過去の事件がキッカケで人間不信になり、誰とも話したくないくらいの勢いだったから、そんな環境でも苦痛になるどころか、むしろ都合が良かったといってもいい。


アシスタントの仕事はもちろん初めてだったけれど、趣味で撮影から現像までやっていた事や、常に先回りして準備する癖が以前の職場で身に付いていた事もあって、幸いにも失敗やドジを踏んで怒鳴られたり殴られたりという事は無かったけれど、それが逆に気に入らなかったのか、兄弟子のカメラマンには、色々と用事を言い付けられて使いっ走りに使われたり、何かにつけて八つ当たりされる事が多かった。


ただ、そんな程度でへこたれる程ヤワでも無く、かといって、下手に反発して反感を買うような事も無く、逆にあまりのクソ真面目さにイジメ甲斐が無いといった感じで、しつこく弄られる事もほとんど無かったけれど、学びたいなら勝手に見て学べとばかりに、技術的な事を教えてくれる事もほとんど無かった。


ロケや取材の時は社長や兄弟子に同行して、シャッターを押す以外のセッティングはほぼ全てやらなければいけなかったけれど、TV局や芸能関係等の楽しそうなロケ現場の時は、兄弟子が率先してアシスタントをやりたがり、兄弟子に他の仕事が入ってない限り、そういう現場に自分が行く事はあまり無く、せいぜい雑誌とか求人誌等の取材に付き添って行くくらいだった。


ただ、自分自身はそういう華やかな世界には全然興味がなかったから、逆に口うるさい二人がいなくなって、スタジオで静かに商品撮影が出来ていいくらいにしか思っていなかった。


経理担当の年配の女性は社長の奥さんで、毎日必ず出勤する訳では無く、週に2~3回程度やって来るだけで、しかも遅くに出勤し、早くに帰ってしまってたので、朝から現場に行って、帰りが夕方になる事が多い週は全く顔を合わす事もなかったけれど、もう一人の4つ年上の女性はやっぱり出勤時間が少し遅かったけれど、毎日スタジオには来てて、とりあえず当日や翌日、翌週の予定を確認する為に少し話はするものの、それ以上の会話は特に無く、社長達の雑談に参加する事も無く、自分と同じように何も喋ったりせず、淡々と仕事をして、やっぱり定時より少し早めに帰っていた。


その年上の女性は、いつも物静かで、ちょっと陰がある感じだったけれど、客観的に見てもかなり美人の部類で、兄弟子がお気に入りだったのか、ちょくちょくお誘いやちょっかいを掛けてるみたいだったけれど、彼女は兄弟子に全く興味が無いといった感じで、いつもサラッと受け流して全然応じる気配も無く、反応も淡々としていた。


兄弟子は、性格的にもそうだけれど、見た目的にも嫌味ったらしい雰囲気に溢れてて、お世辞にも女性にモテるタイプとは言い難かったから当然と言えば当然だったけれど、断られてムスッとしてる顔を見るのは、それはそれで悪くない気分だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る