第32話

そうしていよいよ薬狩りの当日を迎える。


 皆は夜明け前に藤原池のほとりに集まり、夜明けとともに一斉に出発した。

 ちなみに稚沙の親戚にあたる額田部比羅夫連ぬかたべのひらぶの姿も、遠くからではあったものの何とか確認することができた。


 稚沙はその道中にふと周りの景色を眺める。

 5月の飛鳥は本当に美しい。冴え返える晴空の中を鳥達が飛び交い、それに合わせて薬草も所々から生えているのが伺える。


(本当に今日は薬猟にはうってつけね。椋毘登からひと達もそろそろ山の中で猟を始めてるの頃かしら)


 稚沙が薬草を探している間、椋毘登は今日は厩戸皇子うまやどのみこに同行していた。

 これは皇子直々の申し出だった。椋毘登の刀の腕前を見込んで、護衛を兼ねてとのこと。


 彼らは丁度山の中にまで入ってきており、もうすぐで猟の穴場に到着しようとしていた。

 そんな中、椋毘登の直ぐ前を歩いていた厩戸皇子がふと彼に声をかけてきた。


「ところで椋毘登、君には守りたい人やものはあるか?」


「え、守りたいものですか?」


 皇子の突然の問いに椋毘登は思わず驚く。

 だが頭の回転の早い彼である。とりあえず何か答えなければと、ふと自身の脳裏に浮かべてみる。


 そして椋毘登は、自身の家族達をことを考えてみる。


 (父、母、それに弟たちか……)


 だがその最後に突然稚沙の姿が浮かんできた。以前の彼なら絶対にありえないことだ。


(自身の一族以外で大事なものなんてなかったのにな)


 そう考えると何とも愉快に思えてくる。人はも変わる時は本当に変わるものだなと。


「そうですね。やっぱり自分の家族でしょうか。あとは家族以外で大事だなと思ある人とか?」


 彼自身は政にはさほど興味を引きはしない。これまでも過去に、自身の欲の為に身を滅ぼした人達を、彼は何人も見てきていたからだ。


 それに元々余り欲のない人間なので、自分の大事な人達を守るのが一番だと思ってきた。


「なるほど、まぁ普通はそうだろうね。皆家族あっての生業だ」


 また、今は他にも数名の家臣が共に行動をしているものの、厩戸皇子と椋毘登が先頭を切って歩いている。


 ただ椋毘登からしてみれば、厩戸皇子と離れてしまっては、今日ここに同伴した意味がないので、必死で彼の側について歩いている感じだ。


「厩戸皇子は、突然どうしてそのようなことを聞かれるのですか?」


 椋毘登からしてみれば、今は猟の最中である。そんなさなかで、彼は一体何を考えているのだろう。


「私は大和の皇子として、常にこの国の将来と、そこに住まう人々が他国に侵略されることなく、どうすれば平和に暮らせるのか、常にそのことを第一に考えている」


「皇子、それは誠に立派なお考えかと思います」


 椋毘登はそう返しながら、やっぱり彼は自分とはまるで違うなと感じる。


(やはり、この人は本当の大和の皇子だ……)


 椋毘登は厩戸皇子に対して、思わず尊敬の念を抱いた。

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