第70話

「俺の母親は元々体の弱い人でね。俺と俺の兄弟を産んでからは、床に横になっていることが多くなった……」



稚沙ちさ椋毘登くらひとがいきなり自身の身の内の話を始めた事に少し驚く。

また彼には親だけでなく、どうやら兄弟もいるようだ。


「お母様は、本当にお気の毒ね。でもそれなら、あなたのお父様は?」


叔父の蘇我馬子そがのうまこと違い、彼の父親の話はこれまで、宮内でもほとんど話題に上がってくることがなかった。


「父親はひどく口数が少なく、とても真面目な人だ。だが母親や俺達兄弟の所にはたまにしか会いに来てくれない。

だからなのかな、未だに父とは上手く打ち解けれていないんだ」


「でも蘇我馬子の兄弟になる人よね?それなら、もっと政にも関わってきそうな感じするけど」


彼の父親は蘇我馬子の兄弟になるのだから、それなりの地位や権力を持っているはずである。


でなければ、椋毘登がここまで馬子に引き立てられることもない。


「まぁ、元々政に余り関心を示さない人だからね。叔父上達の影に隠れて、ひっそりと動いてる人だ。

あの小墾田宮おはりだのみやにだって、めったに行くことはしない。ちなみに俺は叔父だけでなく、父の遣いでも宮にやってきていたんだ」


稚沙はそれを聞いてなるほどと思った。


確かに彼の父親を、小墾田宮で見かけたことは記憶にない。


そして椋毘登が割りと頻繁に小墾田宮を訪れるようになった理由にも頷ける。


彼は馬子の護衛と同時に、自身の父親の仕事も手伝っていたのだ。


「ふーん、そうだったの。椋毘登が小墾田宮によく来るようになった理由が、これで分かったわ」


稚沙はそういうと、額の布を再度水で冷やして、彼にかけ直してやった。


とりあえず今は、彼をしっかり休ませてやった方が良いだろう。


「でも今は、しっかり休んで早く元気にならないとね」


稚沙は椋毘登に優しく微笑んでいった。


いつもは椋毘登の方が立場が上だが、今は稚沙のいうことに素直に従う彼が、少し可愛くも思える。


「あぁ、そうだな。悪いけど今はそうさせて貰うよ。それと稚沙、お前も遠慮せずに休んでくれ。

俺のせいで、稚沙の体調まで悪くなったら嫌だからな……」


彼はそう彼女に話すと、目を閉じてそのまま眠ってしまった。


そんな彼を稚沙は、しばらくの間じっーと眺めていた。


(まさか椋毘登の寝顔を見ることになるなんてね……でも少し可愛いかも)


さきほどの椋毘登の話しを聞いた限りでは、彼も日頃は色々と忙しく動いているようだ。


もしかすると、その日頃の疲れも出てしまったのかもしれない。


「とりあえず、もうしばらく様子を見てみて、問題なさそうなら、私も寝ることにしよう。椋毘登のいうように、私まで倒れたらそれこそ大変だもの」


こうして稚沙は、その後椋毘登の容態が落ちついているのを確認し、自身も眠りにつくことにした。

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