第34話

蝦夷えみし殿、この子に草を少しやりたいので、ちょっと取ってきますね」


「あ、待て!それぐらいなら、俺が取ってくる」


 そういって彼は急いで厩に行き、馬の餌になる草を取って戻ってきた。


 そしてその草を馬の前においてやると、馬は美味しそうにしながら、モグモグと草を食べ始める。


 稚沙ちさはそんな馬の様子にとても安心し、そのまま側でとても嬉しそうにしながら眺めている。


「うふふ、とても美味しそうに食べてる。後でお水も与えないと」


 一方蝦夷も、そんな彼女の様子が何とも微笑ましく思えた。

 そして何故だか、彼自身そんな光景を見ていて、とても心が安らぐ感じがする。


「さっき額田部の生まれといっていたが、馬には相当なれているみたいだな?」


 蝦夷は稚沙にそういうと、そのまま彼女の横に歩み寄ってきた。


「はい、実家が馬の飼育に携わってますので。なので私自身も、小さい頃から馬と一緒に育ったようなものです。

 それよりもこの馬、今日初めてこの宮に来たんじゃないですか?」


 彼女が見た感じでは、この馬は比較的若い馬のように見える。

 なのでまだ、こういった場所に慣れていないのかもしれない。


「あぁ、実はそうなんだ。前に乗っていた馬が最近亡くなってね。それで今日はこの馬で来ることにしたんだ。

 性格もわりと大人しく、蘇我の住居付近では難なく乗りこなせていたから、大丈夫だとは思ったんだが……」


「恐らく初めてきた場所だったので、少し怖くなってしまったんでしょうね。

 馬はこう見えてとても臆病な生き物なんです」


 稚沙はそういいながら、馬の首を撫でてやった。馬も彼女に撫でられてとても嬉しそうだ。


「へぇー、君は本当に馬が好きなんだな」



 そして2人は、そのまま馬が草を食べ終わるのを待つことにした。


 そして馬が草を食べ終わると、蝦夷がある提案を彼女に持ちかける。


「そうだ!これからこの馬に乗って、この付近を走ってみようと思っていたんだ。良かったら君も一緒に行かないか?」


「え、私がですか?」


 今は確かに休憩時間でもあるが、彼女はその時間を使って厩戸皇子に会いにいこうとしていた。


「あぁ、もし他の者に何かいわれたら、俺に付き合わされたと説明したら良い。

 もしそれが難しいなら、俺が直接宮の連中に説明してやるよ!」


(どうしよう、相手はあの蘇我馬子の息子だし。それに久々に馬に乗って走ってみたい気もする)


「分かりました。では蝦夷殿にご一緒させて頂きます」


 結局彼女は、馬に乗りたい誘惑に勝てず、彼についていく事にした。


「あぁ、そうしよう。それと俺のことは蝦夷と呼び捨てで構わない!」


 蝦夷はとてもニコニコしながら、彼女にそう話した。


「はぁ、そうですか……ではそのようにします」


 その後2人は馬にたくさんの水を飲ませてやった。

 そしてそれが終わると馬に乗り、そのまま宮の外へと走り出していった。

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