第9話

mission8: moon and you and poison


メイドが来て2週間が経った。

悔しいことに、メイドは何もしてこない。

何もない。

怪しいことは何一つせず、毎朝朝食を作り、その他諸々の家事を行っている。

無気力な目で窓の下に目をやる。

視界には、あのメイドが映っていた。

今だって、庭で洗濯物を干している。

そして、あの授業も。

てっきり何か我が家の秘密の情報を仕入れたらさっさと僕を殺して、土の下に埋めるかと思っていたのに。

その考えは外され、僕は今も生きている。

僕はあの女を殺したい。

けれど、それは今の僕にはできないことを、この2週間でことごとく思い知らされた。

だから、こうして素直に授業を受けているのだ。

世界一憎くて、大嫌いな相手から。

でも、僕だって、何もしていないわけじゃないー。

きっと、彼女がそれに気づくのは、僕に殺された後だろう。

フンッと鼻で息をつき、前にある本棚から1冊の本を取る。

タイトルは『毒と薬』ーー。

ペラペラと適当にページをめくり、あるページで止まる。

そして、口の端をあげて嗤った。

「…今に見てろ。」

「何を今に見るんです?」

突如、独り言に入ってきた声に、驚いて顔を上げる。

同時にバンッと勢いよく本を閉じた。

僕の視界を捉えたのは、彼女ーーメイドだった。

ドアの前で、両手に洗濯カゴを握っている。

「…お前、なんでここに。」

彼女に、本のタイトルが見えないように、そろっと後ろ、背中に隠した。

彼女と視線を外さずに。

緊張が走る。

少しして、メイドは口を開いた。

「なんでって、ご主人様が熱烈に私を見てくるからじゃありませんか。」

きょとんと、当たり前のようにつぶやく。

「熱烈って…」

反論しようとして、口を噤む。

熱烈では全然ないが、確かに先程まで見ていた。

だが、全然気づいていなさそうだったのに、気づいていたとは。

その疑問が分かったように、彼女はにこりと微笑む。

「…殺気がまるで隠せていませんでしたよ?あれじゃ、私達暗躍者にとってはバレバレです。」

本当に呆れた口調が、腹ただしい。

が、それも本当のことなので何も言えない。

いつか絶対殺してやると思いながら、殺気を隠す特訓もしなければ、と心に決めた。

「…それよりご主人様…」

彼女は僕の目をじっと見て呟いた。

「…なんだ」

ギロッと睨む。

目だけ彼女に向ける。

何故か、この、何気に緊張が走る空気に耐えられず、本棚からまた本を1冊取り出した。

今度は、怪しまれない普通の文学書。

「…先程、何をお隠しになったんです?」

ドキッと心臓が跳ね上がる。

見られていたのかっ!

彼女の視線は、もう、僕の後ろー背中に向けられている。

(勘づかれているっ)

彼女に聞こえないように、軽く息を吐く。

が、彼女は僕の上を超えていた。

「…視線、動向、冷や汗、心拍数、体温…」

彼女は聞こえにくいくらい小さな声で呟く。

その声で、更に心臓がうるさくなる。

ザワザワして、落ち着かない。

焦りと、恐怖。

「…視線は動き、心拍数が跳ね上がっているのが分かります。ーーやはり、何かをお隠しですね。」

彼女は静かに僕を見つめた。

探偵が犯人を追い詰めるようなーー

そんな感覚に陥られる。

彼女は、僕から1歩も近づいていないのにーー。

なぜ、そのような事がわかるんだ?

「…ふぅ、忠実なメイドに隠し事とは。少しだけ、強行突破で行きますか。…ご主人様、少々手荒れな行動にお許しを。」

何も言わない僕を無視し、彼女はため息をついた。

そして、息を大きく吸うと、足を1歩踏み出したーー。

「…え、」

そこからは一瞬だった。

いつの間にか、彼女の顔が目の前にあった。

目が合い、離せない。

彼女はにこりと微笑んでいる。

彼女は片手を壁に置き、僕を見下ろすような形になっている。

呆気に取られているうちに、彼女は素早くもう片方の手で背中に隠していた本を手に取った。

そして、本を僕に見えるようにヒラヒラと自分の顔の前で揺らし、どうだと言わんばかりの顔をしている。

パッと壁に置いていた手を話し、ページを開く。

「…あっ」

声が漏れ、取り返そうと手を伸ばすが、彼女に取られた時点でもう、遅い。

彼女はぴょんぴょんとジャンプして取ろうとする僕を横目に、一応取られないようにするためか、少し手を高く伸ばし、読んだ。

「…毒と薬、即効性…遅効性…へぇ。結構色々書いてありますねぇ。師匠に教わるよりも分かりやすいかもしれませんが、毒は試し。実際に試してみないと分からないことですよね。」

感心の声を上げ、さも、自分が毒を飲んだことがあるような言い方をしている。

ぐぬぬ、と悔しそうにする僕に、彼女は目をやり、笑う。

「…私は軽度の毒なら耐性があるので聞きませんよ。試すなら、それ以上の毒にしてくださいね。」

見透かされた。

彼女が自分で弱みを言うくらいには余裕があるのと、圧倒的な勝利感。

それは、更に敗北感を強くするだけだった。

悔しくて、下唇を噛みながら、俯いた。

ギュッと噛む力が強くなる。

じわり、と血が滲むのがわかる。

口の中は少しだけ、血の味が広がった。

何より悔しいのは、殺したい相手がいるのに、その殺したい相手に手伝ってもらわなければ充分に殺せやしない自分に一番腹が立っていた。

それが、僕のーー訓練により努力をすることになる分岐点になると気づくのは、もう少し先の話だろう。

「次は毒のお勉強をしましょうか。」

そして、本を僕に返した。

洗濯カゴを持ち、ドアの前まで歩き、止まる。

「…毒のお勉強までしているなんて。私をどう殺してくださるのか、今から楽しみですね。」

そう言って、僕の返事待たず出ていった。

「…サイコパスめ。」

本を持つ手に力がこもった。


***


時に毒は薬となり、薬は毒となる。

それは、家族が殺されてから、ずっと頭に入っている事だ。

何度だって本を読み返したし、動物を使って毒実験も行ってきた。

それでも…

分からないこともまだ沢山ある。

だが、ちょうど良い実験台(殺人鬼)が来た。

…実験の、成果を見せる時だ。

廊下を歩き、キッチンの部屋のところで入る。

一応、辺りを見渡す。

メイドは今、部屋の掃除をしているはずだ。

この2週間で、メイドのルーティンは把握している。

朝5時に起床。

身支度をして、2階の部屋から1階へ降りてくる。

洗濯、掃除をして、朝食を作る。

片付け、掃除を済まして、勉強を教える。

昼になったら昼食を作り、また午後の勉強を教えている。

たまに、庭の選定をしたり、買い物に行ったり、僕にちょっかいをかけに行ったり。

洗濯物をたたみ、風呂を沸かして、夕食を作る。

そして、夜10時過ぎには寝ている。

大体、こんなものだ。

彼女の唯一分からないことは、部屋の中で何をしているかだ。

もちろん、来たばかりの頃に、彼女の素性を明かすべく見ようとした。

しかし…

「…何をしているのですか?ご主人様。」

ドアノブにかけようとした手がビクッと震える。

振り返ると、笑みを消した彼女の顔が見えた。

いつもの妖艶な、何を考えているか分からない笑みはなかった。

静かな怒り…怒気のようなものを感じる。

「…あ、いや、えっと…」

何か言おうとするも、言葉が出ない。

彼女の気配に押されている。

「…女性の部屋を見ようとするなんて、無礼ですよ。」

ニコリ、と笑みを浮かべる。

気まづさでふいっと視線を逸らす。

ドアノブに伸ばしていた手を下ろした。

無言でその場を後にしようとした時、彼女がボソッと耳に囁いた。

「どうせ、鍵がかかっているんです。入れません。」

目を見開く。

彼女は言葉を続けた。

「殺される度胸があるのなら、是非。」

そう言って、彼女は鍵をさして部屋へ入ってしまった。

部屋の中が見られないように最小限にドアを開けて。

…このことから、彼女は、僕に…いや、人1人、誰にも見られたくない秘密があるのだと、考えている。

今でも思い出すと、背筋が震える。

戸棚から、色々なレシピの書かれたノートを取り出す。

所々シミがあり、黄ばみ、手書きで「レシピノート」と書かれている。

これは、母が書いたものだ。

料理好きだった母は、メイドと良く料理をしていた。

母の、形見でもある。

眉間にしわがより、顔が曇る。

だが、そんな暇は今は無いと思い出し、材料を机に並べ、作り始めた。

外は、夕暮れに包まれようとしていた。


***


(…ご主人様はどちらに…?)

メイドこと、萃は廊下を歩いていた。

先程、洗濯物を干し終わり、ご主人様にちょっかい…じゃなかった、呼びに行こうとしたら、部屋にいなかった。

ほんとにどこに行ったのかしら、とため息をついた時。

ある部屋の灯りが着いていることに気がついた。

(…ここは、キッチン?なんで…)

電気を消し忘れたかもしれない、と慌ててキッチンに入った。

「……!!?」

部屋にいた人物は、随分驚いた様子でこちらを見た。

「…ご主人様…」

要は、その部屋にいた人物の名を呟いた。


***


なんで、としか言いようがなかった。

メイドが驚いた様子でこちらを見ているのが分かる。

ドキドキして、心臓がうるさい。

冷や汗が止まらない。

僕は反射的に"ある物"をそっと隠し、メイドに話しかけた。

「…何の用だ。」

メイドは、開いた目を元に戻すと、呟いた。

「なんでって、もう夕方ですよ?夕食を作りに来たんです。…こっちが聞きたいです。」

メイドは僕に呆れた目を向ける。

その仕草にムッとしながらも、手を止めない。

作業を、止める訳には行かないから。

無視するのが分かったのか、メイドはこちらに近づいてくる。

「…?…お団子?ご主人様、お団子を作っていらっしゃるんですか。」

「何回言う。見れば、分かるだろ。」

ため息がこぼれる。

メイドは、生地を丸める僕の手元をジッと眺めていたが、「あ、」と言葉をこぼした。

「…お月見!今日は満月ですもの。なるほど。ご主人様も、案外そう言うことなさるんですね。」

皮肉を言ってくれる。

「…僕がしちゃいけないと言う法律はない。」

顔を見ずに言う。

「…ふふっそうですね。」

面白そうにメイドは笑った。


***


「ご馳走様でした。」

メイドはパチンと手を合わせた。

それだけで、絵になる。

彼女は生業と、黙ってさえいれば、世間一般的に言う『美人』になるのだろう。

僕は絶対に思わないが。

僕はコイツの恐ろしい所を知っている。

今更、容姿で騙されることはない。

今は、夕食を食べ終わったところだ。

少し遅くなったからと、今回はメイドは一緒に食べた。

遅くなった、の部分を僕の目を意味ありげにジトッと見てきたのはいけ好かなかった。

…などと、そんなことを考えていると、メイドと視線があった。

「…なんです?私の顔に何かついていましたか?」

クスッとどこか面白そうに笑うメイドに、眉間に皺を寄せながら、僕は立ち上がった。

少しさっぱりしたくなって、浴場に向かった。


浴場からでて、やって来た外は気持ちよかった。

外では綺麗な満月が煌々と、青々と僕を照らしている。

まるで、今から『大事な仕事』をしようとしている僕を静かに見ているかのようだった。

前からちょうど良い冷たさの風が吹いている。

それに身を預け、風呂上がりの、少し湿った髪がなびく。

水滴が頬についた。

「こんな所にいらしたのですか。…探しましたよ。」

驚き、声がした方を振り向くと、後ろにメイドが立っていた。

気配がまるでなかった。

まだ、バクバクと心臓が音を立てている。

湯冷めした体が、また熱くなっていくのが分かる。

メイドは探した感もないほどに、落ち着いていた。

まるで、僕のいる場所が最初から分かっていたみたいに。

「…な、なんだ。驚かすな。」

「申し訳ありません。そんなつもりはなかったのですが。」

ないならその気配を無くすのをやめろ。

彼女の生業故か。

やっと、心臓も落ち着きを取り戻し、前を向き直った。

心地よい風が顔に当たる。

「…お隣失礼しますね。」

「…はっ?」

僕が「嫌だ。」と答える前にメイドは隣に座った。

間にお月見団子を挟んで。

「…お前も食べろよ。」

「え、」

メイドが驚いた顔を見せる。

僕からこの言葉がでるとは思ってなかったのだろう。

「…ご主人様がそんなこと…おっしゃるとは思いませんでした。」

「…いらないなら食べる。」

僕は1番上の団子に手を伸ばした。

それを口に運ぶ。

「では、遠慮なくいただきますね。」

メイドはどこか嬉しそうに顔をほころばせると、団子を口にした。

僕はそれを見届けた。

メイドは僕が『少し心を開いた様子』を見て喜んだことだろう。

そんなこと……あるわけないのに。

「……ッ!!?」

メイドが急に手を抑え、目を見開いた。

額に汗が滲み、顔はどことなく青い。

見るからに苦しそうだ。

口の端から血が流れるのが、抑える手の隙間から見える。

苦しそうに身をよじらせ、なんとか耐えようと必死のようだ。

「…ご主人様…一体何を…」

「"したんですか"だろ?簡単だ。お前に効く毒を盛った。」

ククッと意地の悪い嗤いが盛れる。

「…僕はこの機会を狙ってたんだ。お前が…」

「"死ぬのを。"」

声が被る。

気づくと、僕はベンチに仰向けになっていた。

彼女が僕を押し倒したのだ。

押し倒した時に落としたのか、団子が器ごと地面に転がっている。

顔が近い。

彼女の長い髪の毛の先が頬に触れている。

ナイフが僕の両肩…服に刺さっていた。

逃がすまいとしているのが分かる。

メイドは静かに僕を見下ろしていた。

「…それで…この演技はいつまで続ければ良いんです?」

そこには苦しさを全く感じさせないメイド…いや、殺し屋がいた。


***


「…え、んぎ…?」

「えぇ、そうです。」

だって、ずっと苦しそうにしてたじゃないか。

その問いが分かるように、メイドは言葉を続ける。

「…毒で私を殺そうなんて…舐めた真似してくれますね。こんな毒で、死ぬわけないじゃないですか。」

一般人じゃ、即死のものなのに。

「…少し、嘘をつきました。完全に効いてないとは言えません。確かに、最初は効いてましたが…すぐ身体に馴染んだみたいです。」

「…嘘だろ…」

震えた、渇いた声が漏れる。

前言っていた通り、本当に並大抵の毒では効かないらしい。

彼女は想像を超えた…『バケモノ』だった。

「…どうして分かった。それは無味無臭のものだったはずだ。」

彼女は少し黙ったあと、団子をつまんだ。

「確かに味はしませんでしたけど…"無味"と言う味がするんです。」

それに毒を仕込んでいたのに気づいてましたし、となんてことないように言う。

その言葉に絶句する。

こんな奴に…一体どうやって勝てばいいと言うんだ?

「…それに、ご主人様の距離のつめ方があまりにおかしかったもので。」

「…おかしい?」

「えぇ。だって、今にも死ぬほど殺したい相手に、そんな2週間そこらで心を開けますか?」

「…!!」

確かに、そうだ。

あれはメイドに必ず食べてもらうための演技だった。

殺す以外なら、絶対に言わなかった。

彼女の笑みを思い出す。

あれは嬉しいではなく、真実を知っていて面白がっている笑いだったのか。

「いくら私達の関係が特殊であれ、人間はすぐに心を開きません。いきなり距離を詰めるということは、何か理由があるに違いないと思っただけです。」

そう言って、彼女はナイフを外した。

もう、話すことは何もないとでも言うように。

ベンチに穴が空いているのがかすかに見える。

僕は起き上がり、座り直した。

彼女も隣に座る。

しばらく沈黙が続いた。

「…月が綺麗ですね。」

ブーッと唾を吐く。

あまりに唐突なことで、むせる。

「…ッゴホッゴホッ………は?」

「…は?て…私はただ月の感想を…あぁ。」

彼女は意味が分かったようににんまりと笑う。

「"あっち"の意味だと思ったんですか?ご主人様。意外とロマンチックですね。」

両手でハートマークを作りながら話す。

ほんとに、ウザい。

「…ち、違う!お前のせいだ!」

「私?私のせいなんですか?酷いですね。」

「お前も距離を詰めて僕を油断させたんだと思ってーーむぐっ」

口に何かを入れられた。

弾力のあるそれは、しっかりと胃に収めれた。

その正体は、団子だった。

メイドが、入れたのだった。

呆気とられている僕を置いて、メイドは話す。

「明日は毒のお勉強ですね。私に効く毒を少しお教えしましょう。」

ギロッと睨む僕を横目にメイドは立ち上がる。

「…月が綺麗ですね。」

「……!!?」

一体どっちの意味で言ったのか分からないが、イタズラめいたメイドの横顔を月は静かに照らしている。

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