絡み合う糸

第22話

部屋の隅で体を丸めて俯いていた私は、携帯の着信音が鳴ったことに肩が跳ねた。


 電子音が二回鳴って、メッセージが来たことを教えてくれる。


 ──あれから、來が去った一人の教室は空気が冷たくて、とても静かだった。


 走った後の身体の熱はとっくに冷め切っていて、頭の中で苛立ちの含んだ声が響く。


 “もう、どうでも言い”と來は遠回しに言ったのだろう。


 そのことがすごく辛くて、來に嫌われたことがこんなにも胸を痛ませるなんて思わなかった。


 無意識の内に、心のどこかでまだ間に合うと高を括っていたのかもしれない。


 それが、好きな人から背を向けられることが、こんなにも悲痛にさせるだなんて知らなくて。


 胸の奥深くに棘が刺さったような痛たみが、足を立てなくさせる。


 別れてからどのくらい経ったのか分からない。


 開いた窓からは微かに元気な生徒たちの声が聞こえていて、殆どの生徒が登校して来てると思う。


 そろそろ教室に行かないといけない時間だろうけど、気力が全然湧いて来なくて教室に行きたくない……。


 溜め息をついて、未だに痛む胸に制服の上から手を当て撫で下ろすと、ふと硬いものに触れた。


 その“存在”にハッとして、頭をガクッと下へ向けた。


 ……私は何をやってるの。


 來のことばかりを考えて、相手の言葉にショックを受けて。


 ぎゅっと目を閉じた。


 溢れそうになる感情はまだ消えてくれなくて、抑えるのに時間が掛かった。


 視界が揺らがないように、間違いを起こさないように、「これで良かったんだ」って何度も自分に言い聞かせる。


 那久に託されたものを守りたいと思って、私はこの道を進むことを選んだ。


 その気持ちを裏切らずに済んだんだ。なら、これで良かったじゃないか。


 すると、もう一度着信音が響いた。


 携帯を開くとメール受信の通知に章と柊真の名前が載っている。


 内容は「おはよ」の三文字から始まって、二人とも似たような内容で、早く来ないと遅刻だぞって書かれていた。



「あぁ、そっか。昨日、連絡先を交換したんだった」



 時間を見ると、朝礼まであと3分しかない。


 さっきまで、別に遅刻でも良いやと思っていたけれど、二人に会うためなら行くか。


 立ち上がって、身なりを整えて、深呼吸をする。


 教室に行くのは正直、面倒臭いけれど、二人に会うためなら歩けそうな気がする。


 まぁ、厄介なのも教室にいるんだけど……。


 藍と蒼は來の所に行ったのかな。


 來を傷付けたと知ったら、きっともの凄く怒るんだろうな。




 ✽     ✽     ✽




 教室に着くと既に鹿羽先生が教卓にいて話しをしていた。


 朝礼開始の時刻から3分だけしか過ぎてないのに、どうやら今日の連絡事項を話している。


 シカちゃん遅れてくれれば良かったのになぁ。


 肩を丸めて溜め息をつくと、気を取り直して私は背筋をピシリと伸ばした。


 後ろの扉をノックもせずに開くと、クラスメイトの視線が一斉に集まる。



「遅れましたー」


「あ?」



 教室に入ると話しを中断されたことに怒ったのか、鹿羽先生が険しい目で見て来て、遅刻して来たのが私だと知るとその視線を緩めた。



「遅れた割に急いでませんってツラだな。──ったく。今日だけだからな。次はねぇぞ」



 えっ……!?


 それって、遅刻を見逃してくれるってこと!?



「し、シカちゃん優しい! ヤバイ、超大好き!!」



 ホントに!?


 ホントにいいの!?



「はいはい、告白はいいから。席座れ。話しを続けるぞ」



 鹿羽先生が手を軽くシッシッと払うと、連絡事項の続きを話そうとした鹿羽先生に生徒からのクレームが入った。



『えぇー! 先生、優しすぎー!!』


『やべぇよ。俺もシカちゃんこと好きになりそう……』


「……言っておくが、5分以上から遅刻とみなすから覚悟しろー」


『えーー!』



 先生と生徒の遣り取りを他所に、上機嫌になったまま席に着くと章が手を上げて笑う。



「おはようさん」


「おはよう」



 オウム返しに挨拶をすると章は朝礼を気にしているのか、ニッと笑ってからまた前を向いた。


 前の席にいる柊真にも、口パクでおはようと挨拶をすると、同じように返してくれる。


 鞄を横に掛けて席に座ると、斜め前に座っていた藍がふんぞり返って軽く睨むように私を見て来ている。


 その前席では、チラリとこっちを見て微笑む蒼の姿に私はアハハと苦笑いで返した。


 対応の違う双子の様子にどう言う反応をすれば良いのか困ってしまう。


 それにしても、來と一緒にバルコニーにいるかと思ったけど、教室にいたのには少し驚いた。


 この様子だと藍はまだ何も聞かされてないのだろう。


 殴られるのはもう少し先か……。



「──今日の午後くらいは誰も逃げるなよ」



 ぼんやり聞いてた先生の話しは所々しか耳に入れてなかったが、『林間学校』の単語が聞こえていたから係りを決める授業になるんだと知れた。


 忠告を最後に終わって、鹿羽先生は教室から去って行った。


 全然話しを聞いてなかったから何をするのか分からないが、午後の授業は全員参加らしい。


 先生が教室から居なくなると、章が直ぐに振り返り肘を私の机に置いて来た。



「美夜が遅刻なんて以外だな」


「そう? 私も寝坊はするよ」


「想像出来ないな。──にしても美夜って、勇気あんなぁ」



 そう言われて、一瞬何を言われているのか気付かなかった。



「ホームルームが始まっとるのに乱入なんて根性あるわ」



 そう章に笑われてから、私はあぁと納得した。


 遅刻した生徒の姿なんて中学校で沢山見て来たから私は慣れているが、章からすると私は真面目な生徒の部類に入るのだろう。


 心底驚いた顔をしている。



「その辺は中学で良く見て来たからね」



 それに、して慣れてもいるのだから、別に大した勇気なんて持ってない。



「お前って外見とのギャップがすげぇよ」


「そーかなぁ」



 首を傾げながら曖昧に返すと、教室内は抜け出す生徒で人数が半数にまで減っていた。


 優等生とほんの一部の不良たちが残った教室はやけに広く感じる。



「あれ、二人は残るんだ?」



 章と柊真の机の引き出しには教材が沢山詰まっていて、やる気が窺えた。



「おう。成績悪いと総長にぶん殴られるからな」


「へぇ」


「もう鬼やで、下手したらオカンより怖いわ」



 二の腕をさすって怖がる仕草に私は苦笑まじりに「そうなんだ」と笑った。


 すると、話しを聞いてた柊真が怒られることになった理由を教えてくれた。



「高校受験で一から教わってればな。ちっとは勉強しろって怒られるのももっともな話しだろ」



 なるほど。それは確かに頷ける。


 そう思った私の目の前で章が「うっ」と唸って、口を尖らせていた。


 子供ぽい態度を取る章に思わず微笑んでしまう。


 そんな私の視線に章は気付いて拗ねたのか、「もう良いだろ!」と話題を変えようとしていた。


 二人のいる族の総長は頭が良いんだな。


 そう思っていると、不機嫌そうに黙っていた藍が話に割って入って来た。



「章、柊真、俺たち溜まりに行くから」



 そう言って私をチラリと見ると、フンッと鼻を慣らしてそっぽを向く。


 立ち上がる藍に続いて、蒼も席を立つと「バイバイ」と手を振って教室から出て行った。



「おぉ。またなー!」


「またな!」



 双子を見送った柊真が私を見る。



「徹底して嫌われてるな」


「しょうがないよ。手違いでも縄張りに入っちゃったから」



 今の態度でも十分、まだ殴られてないだけマシだと考えるべきなのだろう。



「仲介してやろうか?」


「いや、大丈夫。下手に仲良くするのもね」



 『赤龍』に憧れを抱く生徒たちを刺激することになるのは避けたい。


 それなら、ある程度嫌われているくらいが丁度良いだろう。



「何かあったら言ってくれて良いからな」 



優しい柊真の申し出に、私は素直に「ありがとう」と甘えることにした。



「美夜は授業に出んのか?」



 聞いてた来たのは章だ。



「学校探検してこようかなって思ってる」



 さっきまでいた所も良さそうだったけど、他に良いところないか、サボりで使える場所を見つけて置かないと。



「じゃぁさ。お昼の場所探しておいてくんね?」



 章の言葉に首を傾げる。


 お昼の場所……?


 何かするんだろうかと言う疑問が真っ先に浮かぶと、柊真が溜め息まじりにツッコんでいた。



「その前に一緒に食べれるかだろうが」



 ──あ、お昼ご飯か!



「食べる!」


「なら任せた!」


「任せろ!」



 胸を張って答える私に、柊真は頭を抱えて「……俺はツッコまねぇからな」とぼやいていた。


 柊真の呆れた様子に私と章は声を上げて笑い合う。


 正直に言うと、一部の女子たちの視線がものすごくささっていたいけど、それは無視することにした。


 ご飯を一緒に食べるくらい許して欲しい。



「見つかったら連絡してくれ」


「了解」



 二人も注目の的の存在だからね。


 出来るだけ目立たない場所を探しておこう。


 教科の先生が来る前に出て行こうとすると、丁度チャイムが鳴って私は二人と別れた。

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