媚薬

藤間詩織

第1話 東京

「部長、3番に電話です」

「Hello!」

「Hello!koutarou kataoka」


夜の8時を回っていた。

丸の内にある三橋商事に勤める片岡浩太郎は日比谷方面に急いで歩いて行った。


「ごめん、恭子遅くなった。帰りにアメリカから電話があって」

「言い訳しなくったって、うちの会社では当たり前の出来事じゃない。わたしだってよく、浩太郎を待たせている」


永松恭子は貴金属部の部長を務める浩太郎の戦友ともいうべき女課長として、いまだ独身でバリバリと働いている。


「恭子は相変わらずきりっとしていて、キャリアウーマンって感じでいいなー。それに比べてうちのは刺繍教室の先生をやってるんですと威張っているけれども、本当に所帯じみているよ」

「奥さんの悪口言わないの。浩太郎が一目ぼれでサークルのOB会で現役女子大生を口説いたんじゃない。10歳も若い奥さんもらって、まだ、文句あるの?」

「女を感じないんだよなー。本人は一生懸命おしゃれしてるんだけれども、所帯じみてるんだよ。抱けない」

「そりゃー、21歳の時から子育てして、今やっと手が離れて、刺繍教室の先生として羽ばたこうとしているんだもの美穂さんも自分のためにも浩太郎のためにもおしゃれ頑張ってるのよ。そういえば、わたし、この間、美穂さんの刺繍キット買ってやってみたわよ。センスあるのねー」


美穂とは大学のスキーサークルのOB会の席で知り合った。

大学一年生だった美穂は初々しかった。

渋谷のセンター街で慶應生といえばナンパに引っかかる尻軽女と違って、美穂は由緒正しいお嬢様学校卒の慶應生だった。

やっぱり、生まれてくる子は頭が良くて顔がいい子がいい。

美穂に最初近づいた時、警戒した態度を見せた。

だが、結婚を前提に付き合ってくださいと美穂の家まで行って親を納得させて、美穂が大学二年の時学生結婚をした。

美穂が21歳の時浩輝が生まれ、23歳の時美和が生まれた。

二人とも美穂に似てかわいい子に生まれた。

美穂は料理もうまく、部屋もいつもきれいにし、俺の親ともうまくやってくれた。

一番の不満は赴任先についてこなかったことだ。

香港、マレーシア、イギリス。

どこに不満があったのだろう?

その辺の女だったら喜んで赴任先についてくるはずだ。

だが、美穂は頑として日本で子育てをしたいと言い張った。

子供たちを慶應の幼稚舎に入れて大学まで慶應にしてあげたいと、お受験で一生懸命だった。

もちろん、幼稚舎の受験に二人の子供は合格した。

俺は、香港、マレーシア、イギリスを単身赴任で渡り歩いた。

箇所箇所で女も作った。

48歳で日本に帰ってきて、貴金属部の部長になった。

同期の中には、執行役員や取締役になっているやつもいたが、俺は部長どまりでも精いっぱいだと言い聞かせた。

部下たちには70まで働きたいと威張っているが、本当ならば今すぐ辞めて、ゴルフ三昧したい。

今年で、55歳。

定年まであと、10年。

好きなことをして過ごしたかった。

女遊びの一つもその好きなことだ。

仕事のストレスを女遊びで発散させている。

俺は、恋愛依存性があるのではないかと思うくらい高校生のころから彼女が途切れなかった。

今も美穂という妻がいる。

しかし、永松恭子という愛人もいる。

美穂にはばれていないんだ。

それに美穂は刺繍教室に夢中だ。

俺の火遊びなど知る由もない。

定年まで10年。

悔いなく生きたい。

そして、その先に見える老後も。

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