第9話


数メートル離れた場所に営業帰りなのか、スーツのジャケットとビジネスバッグを腕に額をハンカチで拭いながら現れた塩原……と、その腕に手を絡めた



確かあの子は……経理部で一番可愛い…名前何だっけ…



とにかく若い事務員の子が砂糖のような甘い笑顔を浮かべて塩原を見上げていた。



「これからランチですかぁ?ご一緒したいなぁ。近くに美味しいお蕎麦屋さんができたんですよ~」



また、変に間延びした声。それに甘ったるさが混じって何とも聞き心地が悪い。



でも……



なぁんだ、塩原モテてるじゃん。手頃な所で~…ってワケじゃなかったんだな、昨日の発言は。



やっぱり冗談のクチか。



「ごめん、俺まだ仕事残ってるから…」



塩原は苦笑いで手を振りながらこちらに向かってくる。



すると私とまともに目が合った。



「前川」



心なしか、塩原の声が弾んだ気が―――した。



気のせい?うん、気のせいだ。



昨日のあの謎の発言を聞いたから。



「何、お前今からランチ?」そう聞かれ



「うん、まぁ。外にでも行こうかと。あんたは?」



「見ての通り帰ったばっか、これから事務作業してそれから遅めにとる」と塩原は苦笑いでビジネスバッグを指さし。



塩原に絡んでいた経理の女の子から、あからさまに……敵視されているのは、気のせいじゃないよね。



「そ、頑張ってね」



二人の邪魔はしないわよ、と言う意味を含めて私は塩原と経理部の女の子の横を通り抜けた。



そのときだった。



「待って!前川」



と何故か腕を取られて、焦ったような塩原の声に呼び止められた。



何?



目をあげると



「前川、今日、夜予定ある?」と小声で問われた。



「夜?予定?」



私は今日のスケジュールを頭の中で描いた。



「今日はアポもないし定時で上がる予定。その後は帰って寝る。二日酔い気味で」と肩を竦めると



「じゃ、今日夜飲みにいかね?あ……二人で…」と聞かれて



は?



「……てか、あんた、私、二日酔いって言ったよね」思わず目を吊り上げ、冗談半分で塩原にでこぴんをお見舞いしてやると、塩原は大げさに痛がって



「ってーな、たまには俺の愚痴も聞いてくれ」と塩原は唇を尖らせ、ちらりと後ろを振り返る。



そこには経理部の可愛い女の子が頬を膨らませてこちらをじっと見ていた。


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