夢の沈黙

藍治 ゆき

「すごいわね、満点よ」


 教室が、どっと騒めく。私は、つんと鼻を高くして、満点の答案を受け取る。すっかり高くなった鼻を上げたまま、自分の席に座る。


 背筋をぴんと伸ばして座り、その注目を感じていた。


 私が通っている女学校では、勉強をせず、遊び惚けている者がいる。私は、その方たちを、はっきり言って見下している。


 高い鼻のまま家に帰ると、大急ぎでお母さまの部屋に駆け込んだ。


「お母さま、見てほしいものがあるの」


 胸に抱えていた、すべて満点の答案をお母さまに渡す。お母さまは静かにそれらを受け取り、静かに目を通した。


「すごいじゃない。礼子は、いい子ね」


 お母さまは微笑んでいた。


 それから自分の部屋に戻り、胸に抱えていた答案を抱きしめる。「すごいじゃない。礼子は、いい子ね」というお母さまの声が脳内でこだまする。十四年間、待ち望んでいた言葉だった。嬉しさで胸がいっぱいになり、目に涙が浮かんできた。やっと、透明人間のような存在から人間になれた気がした。


幼かったあの頃が、脳裏にふと現れる。


「彩子には、才能がある」


「すばらしいわ」


 彩子とは、私の四つ年上の姉のことである。私は両親が姉を褒める姿を、ふすまの隙間から見ていた。姉は、私が生まれる前から琴を習っていた。姉は両親から一心に褒められていた。私も琴を習いたいとねだったことがあるが、礼子は手先が器用な方でないからだめと言われた。確かに、私はお裁縫なども苦手で、手先が器用ではない。


 そして、琴の音が響く三人だけの温かな空気を壊したくなった。私はふすまを開け、部屋に入り、姉が琴を両親の前で披露しているなか、両親の膝に転がってみたりしたが、あっけなく締め出された。


 私は何もない子だった。姉のような才能もなかった。でも、そんな才能がなくても努力でどうにかなるものがあることに気が付いたのだ。


 勉強だ。やればやるほど、結果が付いてくる。勉強は、私の武器になった。


 次の試験でも満点を取るために、勉強机に向かい、筆をとる。


 すると、勢いよく部屋のふすまが空いた。姉だった。


「礼子。鈴子をみていて。お願いよ」


 そういうとまた勢いよくふすまが閉じた。鈴子とは、姉の子どもである。まだ自分で歩けもしない赤子だ。


 私の返事を待たないまま、姉は行ってしまった。自分で歩けもしない赤子は何をしでかすか分からない。何かが起こったあとめんどうなので、私は急いで姉の部屋に向かった。


 姉の部屋のふすまを開けると、鈴子は一人で遊んでいた。私は部屋に入り、座った。窓の外を眺めると、一匹の烏が横切った。


 すると、私の足に鞠が当たった。鈴子は、きゃっきゃと騒いでいる。その姿を、私は静かに見つめた。


 ふすまが開き、「おまたせ。もういいよ」と、姉が帰ってきた。


 姉は鈴子を抱き上げると、優しく胸の中へ抱いた。


「なんてお前は可愛いのだろう」


 そう、静かに呟いた。


 その様子は、虫唾が走るようなものだった。私は心底赤子が嫌いであった。煩いから、というより、羨ましいという感情が、幼い鈴子を見て煮え返ってくる。赤子は何もしなくても、注目される。


 正座をしていた足が痛くなってきたので、私は早々と部屋を出た。


 せっかくの勉強の時間が奪われた。ますます鈴子のことが嫌いになった。

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