第4話
正午になると一斉にお昼休憩に入り、殆どの人が席を立ちはじめる。
「せーんぱい!ご飯食べに行きましょ!」
莉乃ちゃんの可愛いらしい声に振り向くと、結希は「ごめん」と両手を揃えて先に謝った。
「5分だけ待って!」
「はーい!」
素直に返事をしてくれる莉乃に「ありがとう」と笑って言うと、パソコンに向き直り最後の行になる文章を打ち込んだ。
出来上がった内容を最初から読み直して誤字がないかチェックすると、保存ボタンを押して立ち上がる。
「おまたせ。奏恵ちゃんも行けそう?」
「行け──ます!」
奏恵がマウスを動かしてカチカチとダブルクリックをすると、ワークデスクの下に置いていた鞄を持って立ち上がった。
結希は莉乃と奏恵を連れて外に向かいながらどこで外食するかを話し合う。
「今日はどこ行くの?」
「昨日見つけたココ行きたくて!」
莉乃が渡して来た携帯を受け取ると、明るい家の写真が目に入った。
お店の外装は一見ごく普通の一軒家みたいで、隣りの写真には壁に絵が飾っていて、丸いテーブルが設置されている。
「いいわね」
「場所も裏道を行けば直ぐなんですよ!」
「そうなの? 良く見つけたわね」
「裏道通ったことあるけど知らなかった……」
場所が決まっても何げない話をしながらエレベーターを降りて通路を歩いていると、エントランスの所を行き交う人たちが困った顔を浮かべて通り過ぎていることに気づいた。
何かあるのかと不思議に思っていると、通行人の社員の表情に莉乃と奏恵も気づいたらしい。
「なにかあるんですかね?」
「大きな声は聞こえてこないですけど……」
エントランスにやって来ると通行人が余所余所しい顔をしていた原因は直ぐに見つけられた。
受付けでは案内をする受付嬢の若い女性に年配の男性が絡んでいて、その口調は甘えるようで何かを訴えていた。
「あらら、絡まれてる」
莉乃ちゃんが苦い顔で呟くその隣りで、結希と奏恵は何も言わずにじっと男性を見つめていた。
男性の方に見覚えがあったのだ。
(あの後ろ姿ってもしかして……)
どんなに目を凝らして見ていても知り合いの顔と一致する。結希は誰なのか予想がつくと頭が痛くなった。
「……先輩。あの男性の方ってミシュンの高槌さんだと思うんですけど……」
「やっぱり奏恵ちゃんもそう思う?」
「はい……」
横顔だけだから確定は持てないけれど、知り合いの高槌様なら納得出来るところがある。
「え、先輩の客ですか?」
奏恵の言葉に初めて見る人らしい莉乃が聞いて来た。
「どっちらかと云うと二班の客ね」
(まったく、あの人は何をやっているんだか……)
大勢の人に見られてるのに引こうとしないなんて、よっぽど気に入ったのが一目瞭然だ。
結希は頭を抱えて様子を見守る。
見た所受付嬢の女性は初めて見る顔だ。きっと新入社員なのだろう。
上司である先輩がいないのを見るに、イレギュラーな場面で高槌の相手をすることになってしまったらしい。
お互い引かない会話に、ふと高槌さんが何かを渡そうとして彼女は両手を上げて断っていた。
それでも渡そうとしてくる相手に、彼女は困り果てているようだ。
どうすれば良いのか分からないと言った様子に、結希はそろそろ助けてあげないと思う。
周りも見ているだけで助けようとする様子はない。
貴重なお昼休みに面倒ごとに構いたくはないのだろう。
「二人とも先に行ってて。直ぐ済ますけど、一応ラインに場所送信しといて」
「え、先輩!?」
「はーい。莉乃、行くよ」
奏恵は何も聞き返すことなく返事をすると、戸惑う莉乃の後ろ襟を掴みながら出入口へと歩きだした。
結希は彼女と高槌のいるカウンターに近づくと高槌の方に声を掛けた。
「もしかして高槌さんですか?」
名前を呼ぶと高槌の肩は大袈裟とも思えくらいに大きく跳ね上がった。
予想通り、男性は高槌さんだったらしい。
心底呆れつつも結希は高槌の後ろに立ち、「どうかしましたか」と聞いてみる。
すると、満面の笑顔を浮かべながら高槌が振り返った。
「や、やぁ伊波くん!」
「こんにちは。お久しぶりですね」
「あぁ、そうだね!」
年齢が50代の高槌はいつもようにきっちりスーツを着込んでいて、立っているだけなら一会社員の幹部だけあるスマートな雰囲気を漂わせていた。
けれど、その実態は女性にだらしなく、気に入った女性にはガンガン突撃して話し掛けに行く。
目が泳いでいる所を見ると、彼女を狙って口説いてことは、何も言わずとも分かっていた。
そうは言っても真面目に聞いても高槌が正直に認めるとは思えなくて、結希はあえて何食わぬ顔で話を聞いてみることにした。
「どうかされたんですか?」
同じ質問を微笑みながら重ねると、高槌は目を合わせずしょうもない言い訳を口にした。
「べ、別に世間話しをだな……」
「世間話しですか」
「あぁそうだ」
「それなら、彼女に何を話してたか聞いても大──」
“大丈夫ですね”そう言おうとすると、高槌さんは慌てて「そ、それは!」と声を上げた。
結希は黙って高槌を見つめると、その顔はしまったと云う表情を浮かべて固まる。
分かりやす過ぎる反応に、結希は笑みを深めた。
「高槌さん」
名前を呼ぶとイタズラしていたのを見つかってしまった子供のような、どこかしょんぼりした顔でチラリと見てきた。
「なんだね?」
反省の色を見せる高槌に対して結希は見逃すことはせず、胸を張って腕を組んで注意喚起する。
「ほどほどにしないと、奥さんに言いつけちゃいますからね」
鬼門のワードを口にすると、“奥さん”と聞いた高槌の顔が一変した。
予想外の展開に、悲壮な表情をしてガシッと両手で肩を掴まれる。
「それは絶対にやめておくれ!」
その余りの変わりようと、身の毛がよだつくらい怖い顔で近寄られて、結希は咄嗟に悪態をつきそうになった。
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