無愛想な彼
第3話
ーー翌朝。
洗面所からダイニングに移動して対面キッチンで食器を洗っている母に「おはよう」と伝えてからテーブルに目線を落とすと、三人分用意されてるはずの食事が二人分だけに。
そこですかさず聞いた。
「お母さん、もしかして降谷くんの分の朝食忘れてない? 二人分しかご飯用意してないみたいだけど」
顔をしかめながらシンクで泡だらけのコップを水でゆすいでいる母にそう言うと、目もくれず無表情のまま返事が返ってきた。
「ちゃんと準備したわよ」
「降谷くんの分を含めたら三人分でしょ? 一人分足りなくない?」
「テーブルの上に用意してあるのは、お母さんとみつきの分。涼くんなら30分ほど前に食べ終わって部屋に戻ったわよ」
「えっ、もう? 早くない?」
私は昨日から彼が使用している6帖の洋室に吸い込まれるように目を向ける。
「涼くんは普段から早起きみたい。あんたも見習ってもう少し早く起きなさい。ほら、のんびりしてないで早くご飯を食べて」
「あ、あ、うん……」
昨晩の夕食は三人でテーブルを囲んでいたからてっきり今朝も三人かと思った。
降谷くんの美しい顔を真正面から眺めて食事ができるなんて最高と思って、ばっちりメイクでキメてからダイニングに来たのに……、残念。
ーーそれから30分後。
降谷くんがいるかいないかわからない部屋を眺めながら玄関で靴を履いていると、「みつき待って〜」と背後からパタパタとスリッパの音が接近してきた。
振り返ると母は小さな紙袋を突き出す。
「悪いんだけど、涼くんにこのお弁当届けてくれない? さっき渡しそびれちゃって」
私はそれを受け取って両手で軽く中を開いて見る。
「うん、いいけど。降谷くんはもう家を出てたんだ。全然気づかなかった」
「さっき出ていったばかりよ。あんたはドライヤーの時間が長いから。じゃあ、よろしくね」
「わかった。いってきまぁ〜す」
今朝はまだ降谷くんに一度も会えていないけど、このお弁当があれば確実に学校で話せるよね。
お弁当を渡しに行ったら、「ありがとう」とか、「気が利くね」、なんて言われちゃうのかなぁ。
そこで話が弾んで、「もしよかったら、一緒に食べない?」なんてランチに誘われちゃったらどうしよう!! きゃあああっっ!! 降谷くんと2人きりでランチなんてしてたら、女子のファンに妬まれちゃうかな。「隣の美少女は誰なの?」みたいなことを言わちゃったりして。もしそうなっちゃったらどうしよ〜!!
モクモクと妄想だけが広まっていき、百面相をしているうちに学校に到着。
廊下で降谷くんのクラスの3−Dの札が視界に入ると、教室扉の前後が降谷くんを眺める目的の女子で蓋がされていた。
彼は相変わらずのモテっぷり。
私は「はいはい。ちょっとごめんなさいね〜」と小声で言いながらその隙間を通り抜け、後ろから二列目の席で座りながら男友達と話している降谷くんのとなりについた。
彼は気配に気づくと、私の方へ顔を見上げる。
「降谷くん。これ忘れ物。届けに来たの」
頬を赤く染め、胸をドキドキさせながら紙袋を前に突き出す。
だが、彼は相変わらずクールな瞳のまま。
「なに、それ」
「え……えっと……、お弁当。忘れ物でしょ?」
同居していることは二人だけの秘密。
だから、他の人にバレないように言葉を選んだが、彼は無関心そうにフイッと顔を背ける。
「要らない」
「えっ」
「持って帰っていいよ。食わないから」
まるで返事をシャットアウトさせるかのように彼は席を立って教室の後方扉の方へ向かった。
『要らない』って……。う……、嘘でしょ。
確かにお弁当は母の好意だし、突然持ってこられても訳わかんなくなると思うけど、そんな冷たい言い方しなくても。
扉付近にいる女子は道を開けて彼を見届け、私はその背中を追ってとなりにつく。
「ね、ねぇ……。せっかく持ってきたんだからさ。せめて受け取ってくれてもいいんじゃない? それに、購買でパンを買うとお金かかるし……」
「……」
「それだけじゃないよ。このお弁当は愛情も栄養もたっぷりだし、他の人に自慢できるほどおいしいし」
「……」
「せめてひとくちだけでもいいから食べてごらん。食べてみないとこの美味しさが……」
「しつこいんだけど」
私が彼の目の前に周ってお弁当が入った紙袋を突き出した瞬間、彼は手で紙袋を払い除けた。
バシッ……、バンッ……バサッ…………。
紙袋は1回だけ床に弾んで横たわる。
その隙間から中のタッパが顔を覗かせた。
私は想定外の事態に直面すると、へなへなと紙袋の前にしゃがみこんで拾い上げる。
「うそっ……」
幸いタッパに入っている中身は蓋がぴっちりと閉ざされてるお陰で平気そうだが、私の精神状態は荒波に揉まれていく。
しかし、彼は「ごめん」などといった謝意を見せずに前に足を進める。
ひどい……。
お弁当を受け取らないどころか、母が忙しい合間を縫って作ったお弁当をそんな簡単に粗末にするなんて。
次第に恋心を抱いている瞳にはブワッと熱いものがこみ上げてきた。
「お弁当を払い除けるなんてひどい! 床に叩きつけられたのに『ごめん』のひとことすらないの? 私は降谷くんのために持ってきたのに。喜んでもらえると思ったから……」
そう叫んだが、彼は振り向くどころか告白を断ったあの日のように壁のような背中を向けたまま。
足を止める気配すら感じない。
その場に佇んでいる私は、残念なことにファンの女子から「うわ、かわいそう」といった同情を浴びる。
お弁当を受け取ってもらえない可能性もあると考えたりもしたけど、まさかここまで酷い態度を取るなんて。
どうして……。
少なくとも、受験日に消しゴムを半分分けてくれたあの日はこんなに冷たくなかったのに。
私は唇を噛みしめながら紙袋を拾って中のタッパを整えていると、後ろから聞き慣れない男子の声が届いた。
「……ごめんね。あいつ無愛想でさ」
「えっ」
振り返ると、黒髪で無造作にスタイリングしている降谷くんの一番仲良しの男子が両手をポケットにつっこんだまま私の横についた。
「俺は降谷の中学ん時からのダチでさ。あいつのことならよく知ってる。さっきはあんなに冷たい態度をとっちゃったけど、悪気はないから許してあげて」
「……あ、うん。焼津くん、気にかけてくれてありがとう」
「あれ? 俺の名前知ってるの?」
「知ってるよ。
私は紙袋を持ち上げながらそう言い、彼と目線を合わせる。
「あはは、そーなんだ。実はさ、あいつ、女に付きまとわれるのが苦手というか……。突き放しても寄ってくるから嫌みたいで」
「……そ、そう(あれだけモテるからわかる気がする)」
「誰にでもいい顔しないところが長所というか、短所というか。それに加えて3日前に辛いことがあったばかりですげぇ落ち込んでて……。だから、代わりに謝るよ。さっきはごめんね」
「あ、ううん。いいの……。焼津くんは悪くないし」
……降谷くん、3日前に辛いことがあったんだぁ。なんだろう、その辛いことって。
私は5回も告白したのに、降谷くんのことをなーんにも知らないんだね。
その上、人前で押し付けがましいことしちゃったな。……反省。
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