三週目③
*****
ドアを開くと、
壁や
私たち夫婦の(といっても、今もまだ私一人で
「ここは?」
「温室、と私は呼んでいる」
目元には、例の不格好な眼鏡。本当は、一刻も早くカスパリア製の眼鏡をかけてほしいところだけど、今はまだ、その
すでにカスパリアには、半月ほど前に、
私に言わせれば、どこに
このままでは、眼鏡職人が
「おんしつ?」
「ああ。寒さに弱い貴国の植物を育てるための
「我が国の……あっ」
よく見ると、祖国の
「すごい……あんなにたくさん」
するとクラウスは、眼鏡の奥で
ああ、まただ。
ここ最近、この人と目が合うたびに
「あっ、す、すまない……君を馬鹿にする意図はなくて、その……き、君の反応が、ただ可愛くて」
「かっ――」
可愛い? いや、さすがにそれは噓でしょ!
ところが発言の主であるクラウスは、顔を赤らめたまま完全に固まっている。せめて、この気まずい空気を何とかしていただきたいところだけど、どうも今のクラウスには荷が勝ちすぎているようだ。なので仕方なく、私の方から水を向ける。
「しかし……なぜ果樹など?」
この温室は、クラウスの研究方針に照らすと明らかに異質だ。
彼の方針は、どんな階層の人間でも
一方で、これだけの部屋を総ガラスで造るのは、貴族でさえ資金的にも難しい。そのくせ取れるのはわずかな果実のみ。これなら、我が国から果実だけ取り寄せた方がはるかに安上がりだ。カスパリアの経済
やがてクラウスは、おもむろに顔を上げる。その頰には、
「カスパリアから嫁いでくる君に、不自由な思いをさせたくなかったのだ」
「えっ」
つまり……私のために、こんな
「貴国は古来、豊かな食文化を誇っている。私も以前、貴国の
「……そんな」
思いがけない言葉に、私は
てっきり、
問題は、その努力がまるで私に伝わらなかったことだ。
事実、彼が育てたというフルーツが、これまでの――前回までの人生も
例の
しかもそれは、日を追うごとにひどくなっている。昨日など、明らかに小石とわかる異物がビーフシチューの表面にぶちまけられていた。当然、口もつけずに下げさせたのだけど、この半月―― いや、前回までの人生も含めるとそれ以上の年月を干し肉とワイン、ビスケットだけで
「昨日のザクロはどうだったか? あれは、我ながら良くできていたと思うのだが」
「ええっ!? ……あ、はい……
するとクラウスは、「そうか」とやんわり笑む。そんなクラウスの素朴な反応に、私はふと、強い怒りを覚える。もっとも、それはクラウスに対する怒りではない。
この素朴な善意に
実際は、ザクロなど一度も供されなかった。調理人か、もしくは料理を運ぶメイドが
でも、この人はそうじゃなかった。
理由はどうあれ、この人は彼なりに私を
「……お食事、これからは
嫁いで以来、私とは別々に食事を
でも、こうしてクラウスの善意に触れたからにはそうはいかない。おそらく私たちは、また、どこか大事なところですれ違っている。
「一緒に?」
「ええ。そもそも食事とは、本来、家族
でしたら、せめて晩餐ぐらいは一緒にいただくべきでは?」
するとクラウスは、なぜか未知の呪文でも耳にしたような顔をする。
「家族、揃って……? そうなのか? 家族というのは……」
「ええ……。あっ」
まさか。
そうした境遇で、食事も、
そうやって身についた常識や生活習慣を、彼は疑いもしなくて――いや、だとしても使用人の誰かが、その間違った常識を正すべきだった。でも実際は……。
「どうした」
「えっ」
見ると、なぜかクラウスが不安顔で私の顔を
「すまない。また何か、気に障っただろうか……」
「えっ? いえ、そういうわけでは。ただ……やはり私は、食事は夫婦揃っていただくべきだと思うのです。貴国でも、それが
はずも何も、事実だ。三年この国で暮らした私が言うのだから間違いない。
「そうだったのか……ちなみに、君はどうしたい」
「えっ? 私、ですか?」
「ああ。習慣だからといって無理に従う必要はない。一人で食事を摂りたければ、引き続き、そうしてほしい」
「いえ、そもそも私が、一緒に摂りたいと」
「だから、それは本心なのかと聞いている。私に遠慮してのことなら、その必要はない」
「そ、れは――」
言われてみれば……実際、どうなのだろう。単純に、クラウスと一緒なら嫌がらせも
わからない。けど、それだけじゃない気が、少し、する。
「いえ……殿下と、少しでも同じ時を分かち合いたいのです」
感情がまとまらないまま、場を繫ぐつもりで答える。するとクラウスは、なぜか落ち着かない顔で目を左右に泳がせる。
「それは……その、本心……?」
「ええ」
「そ、そうか。……そうか」
しみじみと、
「あの……寝室も、ご一緒して良いのですよ? 夫婦なのですし……」
何となしに切り出してから、なぜ、と私は思う。子どもじみた反応を見せるクラウスを、もう少しからかってみたかったのかもしれない。
ところが、言ったそばから今度は私が
案の定、クラウスは反応に
「あっ……やっぱりその、結構です……」
するとクラウスは、今度はあからさまに
ともあれ私たちは、この日の晩から一緒に食事を摂りはじめる。さすがに宮殿の主と一緒なら、例のつまらない嫌がらせも止むだろう――。
そう、期待した私は甘かったのだ。
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