三週目②


「見えないんですか、目が」


 するとクラウスは、驚いたように双眸を見開くと、やがて、ためいがちにおずおずとあごを引く。


「ああ……いや、見えない、というほどでもないんだが……」

「ですが……いつも、私ににらむような目を向けておられましたよね?」

「睨む!?  いや、それは違う誤解だ! その……こうして目をすぼめた方が、よりはっきり君の姿が見えるのだ。……こわがらせていたのなら、すまない」


 そしてクラウスは、𠮟しかられた子どものようにしゅんとうなだれる。うそには聞こえなかった。きっと、本当に気づいていなかったのだろう。私が、彼の険しい目つきをきょぜつあかしだと捉えていたことも。

 じゃあ……あのときの彼も?

 雪の中、えんした妻をわざわざ宮殿の外まで見送りに現れたクラウス。最後まで険悪な目つきで私を睨みつける元夫に、私は、心からの憎しみと、そして悲しみを覚えた。こんな、最後のしゅんかんまであなたは、と――それが誤解だったとしたら?

 ありえない、とは言い切れない。

 三年。そう三年も、この人の妻として過ごした。なのに、その目がはっきりと見えていないことに、私は、一度として気づかなかった。

 私にとって、クラウスは最後まで敵国の王子にすぎなかった。だから拒絶し、心からも視界からも彼の存在をめ出した。私の目は、まんではないがかなりい方だ。祖国の港でも、水平線から近づいてくる船をだれよりも早く見つけるのはいつだって私だった。

 なのに見えていなかった。一番大切なはずのものが。


「え、っと……では、なぜ普段はがんでお過ごしに?」

「それは……こんなものをつけていたら、その、王子としてのげんが……」

「……威厳」


 確かに。いくら視界がかないといっても、こんな不格好な眼鏡をつけて回っては王族の威厳を保つことは難しい。ただ、ならばもっとえのする眼鏡を作れば済む話だ。少

なくともカスパリアには、そうした技術が――そうだ!


「じゃあ作りましょう! 新しい眼鏡を!」

「えっ……作る? 新しい眼鏡を……?」


 げんな顔をするクラウスに、私は大きくうなずき返す。


「ええ。カスパリアには、金属やガラスの加工にけた職人が大勢おります。殿下のお顔に似合う眼鏡を作らせることはたやいかと」


 古来、カスパリアは貴金属の工芸を得意としている。港を出入りする船乗りのためのそうがんきょうや望遠鏡の生産もさかんだ。そうした事情から、そうしょくせいの高い眼鏡づくりも早くからおこなわれてきた。威厳を保ちながらも普段使いのできる眼鏡を作ることは可能だ。


「そう……だな。では、たのまれてくれないか。君の顔を、もっとはっきりと見たい」


 そしてクラウスは、眉間の皺はそのままに目元をふっとゆるめる。その、思いがけない表情の柔らかさに、私はふと、奇妙などうを覚える。

 なんだろう、少し、どきどきする。


「と、ころで……この畑は、殿下のごしゅなのですか?」


 動揺を悟られるのが怖くて、適当な話題に水を向ける。するとクラウスは、今度はむらさきいろひとみをきらりと輝かせた。……よかった、かかってくれた。


「実は、ここは試験用の畑なのだ」

「試験用?」

「ああ。おもに国外から麦を中心に穀物の種を集め、我が国の気候でもさいばいが可能か実験している。種だけじゃない。国内各所から土も集めて、土壌ごとにあいしょうの良い品種を調べてもいる。収量を増やすための品種改良もな」

「……品種改良」


 そういえば。昔からクラウスの領地は、他の土地に比べて収量があっとうてきだった。貴族たちの間では、クラウスの母に入れ込んだ現国王が、特別よくな土地を彼女とそのむすした、とささやかれているのだけど。

 ただ、今のクラウスの話が本当なら、全く違う事実が見えてくる。


「あっ……す、すまない。その、退たいくつだろう。こんな……」

「いえいえ、興味深いお話ですわ! むしろ、もっとご教授頂きたいぐらいです」


 ところがクラウスは、なぜかおびえた顔を解かない。


「いや、正直に答えてくれ。……昔からの悪いくせだ。女性を相手にしても、こんなはなに欠ける話ばかりで……エレオノーラにあいかされたのも、主にこのあくへきが原因だ」

「えっ?」


 愛想を尽かされた? てっきり、ロルフに一方的に奪われたとばかり思い込んでいたのだけど。それはそれとして、といえば後者の話題だろう。妻の前で元こんやくしゃの話を持ち出すなんて。


「で、ですが、殿下のこうした研究のおかげで、たみぐさは飢えずに済んでいるのです。しぼることしか頭にない祖国の貴族たちにも見習わせてやりたいほどですわ」

 するとクラウスは、ようやくふわりとしゅうを開く。そのみを……可愛い、と、思う。思ってしまう。


「貴国さえよければ、いつでも種子を提供できるとも」

「えっ? いえ、さすがにそれは――」

えんりょはいらない。いずれの民であろうと、飢えて苦しむのをだまってながめるのは忍びない。実は国内のしょこうたちにも、新種の麦やその新しい栽培方法をすすめてはいるのだが……いまいちきゅうが進まなくてね」


 そしてクラウスは、目の前のばくすいを無念そうにでる。


「確かに、収量を増やすなら戦争で土地そのものを増やす方が手っ取り早い。ただ私は、そうではない未来を……争いにたよらない未来を、あきらめたくないのだ」


 とつとつと語るクラウスの横顔は、あいと、それ以上に強い決意に満ちている。そんな夫の姿から、私は、なぜか目を離せなかった。


 王位けいしょうの序列三位。とはいえ事実上、王座とはえんの第三王子。それでも、自分にできることを地道にこなす彼の生き方は、なすべきことを自覚しながら、結局、何ひとつ果たせなかった私の人生の対極にある。

 これが……私の夫。

 私が、愛を持たずに嫁ぎ、そして別れた。


「……申し訳、ありません。殿下」


 するとクラウスは、案の定、怪訝な顔で振り返る。なぜ謝られているのかわからない、そんな顔。……そう、これは〝ここ〞のクラウスに対する謝罪ではない。だから目の前の彼に思い当たる節がないのは当然で、でも私は、どうしても彼に謝りたかったのだ。


「なぜ……謝る?」

「えっ、それは……ええと、てっきり、いい人と会っていらしたのかと……その誤解を謝罪したく……」


 さすがに未来のことを口にできるはずもなくて、さしあたり思いついた言い訳を述べる。でも、よく考えたらこれもこれで差し|障(さわ)りのある話題である。


「いい人? それは……愛人のことか? いや、それは誤解だ。君以外の女性とわざわざ会う理由がどこにある」

「だ、だって、国のためとはいえ、好みでもない女を無理やりめとらされて、その、何かとご不満でしたでしょうし……」

「不満? そんなまさか! そもそも、今回のこんは私から――あ、いや」


 そしてクラウスは、口の中でもごもごと言葉をにごす。やがてそれを飲み下すと、今度は一転、やけにれた顔を私に向けた。


「君の方こそ、このようなこんある国に嫁ぐのはつらせんたくだったろう。貴国にとって我が国は、お世辞にも良きりんじんとはいいがたい。そのような国への輿こしれを決意してくれた君に、私は感謝しているのだ」


 言い切ると、今度はなぜか頰と耳を赤くしてうつむく。


「……本当なんだ」

「い、いえ……別に、疑うつもりはございませんが……」


 少なくとも、彼の言葉に噓の色はない。ただ、だとするなら私は、多くの誤解をこの人に対して抱いていたことになる。


「と、とにかく、誤解が解けて良かったです。ええ」

「そうだな。早めに解けて良かった。さもなければいずれ、取り返しのつかないを招くところだった。……うん、本当に良かった」


 そしてクラウスは、あんしたようにほっと笑む。その、陽だまりに似たぼくがおに、私が抱いたのはほろ苦いこうかいだった。

 早めに? ……いいえ、むしろおそすぎたの。おそらくは私に敵意など持たなかったあの人を、私は最後まで憎み、遠ざけた。

 あの人に、妻としてまっすぐに向き合っていれば、あるいは今回のように打ち解ける未来もあったのかもしれない。けど、そうはならなかった。だから私は〝ここ〞にいて、取り戻すことのできないあなた││ いえ、あの人との悲しいすれ違いをやんでいる。

 歴史は、何度だってやり直すことができる。

 でも、私に呪文をさずけてくれたあの人には、もう二度と、永久に、謝ることはかなわないのだ。

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