少女の選択
コツン、つま先に小石が当たる感覚にふっと意識が引き戻された。
「あれ…」
私、何していたんだっけ?
視線を落とせば、学校指定のローファーが目に入る。少し先に蹴飛ばしたであろう小石が転がっていた。
顔を上げれば見慣れた景色。高校生になってから、ほぼ毎日往復している道。
あぁそうか、学校から帰ってるんだった。
そんなことも忘れるくらいぼんやりと歩いていたのかと思うと、さすがに自分が怖くなった。
「つまんないな」
声にならない声で呟く。
家に帰って、ごはんを食べて、お風呂に入って、宿題を終わらせて、少しテレビを見て、寝て。
起きたら、また朝がきて。日が差し込むのを見て、無理やり身体をおこして。
あぁ嫌だ、毎日同じことの繰り返し。
コツン、一歩踏み出したところで先ほどの小石を再び蹴飛ばした。
コッコッコ…と飛び跳ねながらまた少し先へ転がっていったそれを、また蹴る。
何も考えずに、追いついては、また蹴る。
まるで小学生だと乾いた笑みをこぼしながら、それでも無性にそれが楽しくて小石を追いかけていれば、
ふわんと鼻を掠めた甘ったるい匂いに、立ち止まった。
小石はコロコロと転がって側溝に落ちてしまった。
スゥと鼻から息を吸うと、やはり甘ったるい香りがする。
「金木犀?」
帰り道に金木犀の木なんてあったっけ?
首を傾げながらくるりと辺りを見回したところで、気付く。
「あれ!?ここどこ!?」
小石を蹴るのに夢中になっていつの間にか知らない道へと迷い込んでいたらしい。なんとも間抜けである。
「え~ほんとに小学生じゃん」
ため息とともに肩を落とすが、なんだか楽しくもあったり。
このまま迷子になっちゃおうかな。迷子になって、全然知らない場所まで行って、誰も私のことを知らない町まで行って。
自由に。
そうだな、行くなら海があるところがいいな。山もいいな、川もいい。
田んぼや畑なんかも広がってて、建物が低くて、空が大きいところ。
夏はひまわりが咲いてて、冬は雪が積もるの。
それで、毎日自由に絵を描くの。好きな景色、もの、人。
誰にも邪魔されずに、でも時々近所のおじいちゃんとかが「今日も捗ってるか~」なんて声かけてきたりして。
私も「最高だよ!」なんて笑ったりして。
あぁ、なんて素敵。
そんな風に、過ごせたら、良いのに。
目の前に広がる世界は、どうにもかけ離れた住宅街で一気に気分が滅入る。
帰ろう。とりあえず、来たであろう道を戻ってみればいいかな。
くるりと踵を返した時だった。
「お嬢さん、」
柔らかい低音が、私を呼び止めた。
「えっ、はい!」
びっくりして思わず返事とともに振り返れば、「元気だね」なんてその人は目を細めてくすくすと笑っていた。
う、わぁ…
180㎝はあるであろう長身の彼をぽかんと口を開けて見つめる。
銀色の髪は夕日を浴びてキラキラとオレンジに光り、長い前髪から見え隠れする目は切れ長だけれど優しく細められていた。
モデルかなにか?
すんごい整った顔してるんだけど、え、かっこい…いや、そんなことより、
「描きたい…」
「かきたい?」
音にしていたらしいそれを拾われて、しまったと手で口を覆った。
「すみません、なんでもないです。気にしないでください」
腕を組みながらきょとんと首を傾ぐ様が絵になっている。
よく見たらお召し物は着物ではないか。中に着ている黒のタートルネックがさらに良い味を出している。
なんと素晴らしい被写体。あの髪の毛、私の持ってる絵の具で表現できるだろうか。
いや、しかしそれにしても、
「神々しい…」
「神々しい?君おもしろいね」
くつくつとおかしそうに笑う彼を穴があくほど見つめる。
だって、きっともう会えない。
覚えておかないと、隅々まで、家に帰ったらすぐに絵にしよう。
真剣な顔で脳内に色形を焼き付けている私に、神…じゃなく彼は言った。
「まぁまぁ、少し寄っていきなよ」
「黙ってて、今着物の柄を覚えてるところ……ん?」
「あっはっは、ほんとに絵を描くのが大好きなんだね、君」
ふわり「おいで」そう一言残し、彼は近くの門をくぐった。
ほわぁぁぁ…すべてが完璧なんですか!?
見た目だけでなく、言動までもが神ですか!?
同級生の男子とは比べ物にならない…いや、そもそも比較すること自体失礼だ。
くぅぅ、と何かを噛みしめて立ち尽くしていれば、ひょこりと門から顔を覗かせたその人は「おーい、お嬢さーん」と再び私を手招きした。
「あ、ハ、ハイッ!」
声が裏返った。恥ずかし。
何が何だか、よく分からないけれど、行くしかない。
だってまだ全部覚えきれていない。
これじゃ描き始めても中途半端になってしまう。それだけは避けねば。完璧に描いてみせる。
そして、自慢するんだ。こんな人間がこの世に存在していたんだと、私は会ったんだと!
……誰に?
「…ははっ」
自慢したい人はすぐに思い浮かぶのに。
次に会えるのは、一体いつだろうか?
あまりにも彼が綺麗で現実を忘れてしまっていた。
あぁ、それでも、それでも私は彼を描きたい。
ぐっと作った拳に力を入れて、私は誘われるままに見知らぬ門をくぐった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます