カクレオニ

内田ユライ

第1話

 自宅前の古い屋敷が取り壊されて、ようやく更地になった。


 そこそこ広い敷地だったので、公道に向かって縦に並んで三棟、しゃれた外装の二階建て木造アパートが完成した。

 小学校が近かったせいか、メゾネットタイプの間取りには若い家族が多く移り住んできた。


 我が家は、道路を挟んで向かいにあった。だから、敷地のなかで子どもたちが遊ぶ姿が窓からよく見える。


 おかげで日中はいくらか騒々しくなったが、お化け屋敷のような建物が放置されるよりマシだった。肝試し気分の若者が不法侵入することが続き、治安の低下や不審火に警戒しなければならなかったからだ。


 街並みが新しくなり、住民が増えて本当によかったと思っていた。


 そんなある日のことだ。春休みに入って、すこし経ったころだと記憶している。


 家族で外出して帰宅した。夕方にはまだ早いが、日中の暖かさがだいぶ衰えて、すこし肌寒くなってきた時刻だった。


 家の前の公道の真ん中に、ぽつんと大きめの段ボール箱が放置されているのを見つけた。


 引っ越し会社の印刷が入っているので、アパートに転居してきた誰かの忘れ物かと思った。引っ越しの作業員が、荷物を運び込み忘れたのだろうか。


「パパ、あれ……危ないんじゃない?」


 妻が、俺の腕を引っ張って指摘した。


 たしかに、と思って、車の往来を確認しながら公道へと歩み出る。対向車がすれ違うには狭い道幅しかない。日が落ちたら、箱に気づかずに衝突することもあるかもしれない。


 車ならまだしも、自転車だったら危険だと考えた。


 中身が詰まっていたら重いかもしれない、と慎重に引っ張り上げる。予測よりも、腕にかかる加重は感じられなかった。


 軽い、と判断する間に、思い切りよく箱を持ち上げる形になった。

 疑問が浮かんだ瞬間、わあっ、と声が響いた。


 知らない、子どもの声だった。


 箱の下から、小学校低学年くらいの男の子が出てきた。猫の香箱座りのように、地面に伏せて背を丸めた姿勢のまま、びっくりまなこでこちらを見上げている。


「えっ」


 状況がつかめず、驚いた顔で互いを見つめ合った。 


「ちょっと……なにしてるの」


 妻が尖った声を出すのが聞こえた。


 男の子はあからさまに怖じけた表情になって、おろおろしている。


「あ、あの、かくれんぼ、していて」


「危ないわよ、道路の真ん中でそんな箱のなかに隠れるなんて。車にかれちゃうわよ」


「え、えっと……おじいちゃんが……かくれるときは、さがすひとが見つけられるように、わかるようにかくれないとだめだって」


 男の子は泣きそうな顔になっている。引っ越してきたばかりなのか、ここらでは見かけない顔だった。

 もしかして、祖父と遊んでいたのだろうか。


 男の子に泣かれてしまって、そこへ祖父が現れれたりすれば気まずい。そう考え、妻に目配りする。


「そこのアパートに住んでるの?」


 うん、と男の子はうなずいた。

 敵意はないと伝えるべく、男の子に笑いかける。


「ここの道路、頻繁に車が通るわけじゃないけどね」


 しゃがんで、男の子に目線を合わせた。


「さすがに、箱の中に人が入ってるとは運転するひとも想像しないからさ。気にせず、突っ込んでくる車がいるかもしれない。危ないから、ここでかくれんぼするのは止めようね。わかった?」


 うん、と男の子は神妙に声を出して、こくんと頭を下げた。ぱっと身をひるがえし、アパートのほうへ駆け去って行く。


 あっけに取られて、後ろ姿を見送るしかなかった。男の子が建物の陰に入って見えなくなって、両手に抱えた段ボール箱をどうしたものかと思案した。


 上部はしっかりとガムテープで封をされている。ひっくり返してみると、下部のフラップは内側へと丁寧に折り込まれている。


 ため息が転がり出た。これじゃ、ぱっと見ただけでは開封済みとは思わない。


 あのくらいの歳の子はなにをしでかすかわからないわね、と背後で妻がぼやくのが聞こえた。




 数日後、騒動が起こった。

 我が家から二軒先で、交通事故があったのだ。


 妻が小学校でのPTA役員をしていた関係で、翌日に事件の子細が聞けた。


 新築アパートに越してきた住人の幼児が、レジャーシートをかぶって、車道にうずくまっていたらしい。幸いなことにその日は春の嵐が吹き荒れていて、幼児の手からレジャーシートが吹き飛ばされ、通りかかった車のフロントガラスに張り付いた。


 視界が奪われた運転手は、急ブレーキを踏んだ。すんでのところで幼児を轢かずにすんだのだが、驚いて幼児が立ち上がった拍子に転び、わんわん泣き出した。


 気が動転した運転手は救急車を要請し、ついでに警察のお世話になったという顛末だったらしい。


 結局、事故は未遂だったとわかり、女性運転手ドライバーは安堵のあまり、その場で泣き崩れたらしい。


 それにしても。


 なぜ、そんなところで幼児がレジャーシートをかぶっていたのか。


 妻の話では、その子もおじいちゃんとかくれんぼをしていた、と説明したのだそうだ。

 その子には遠方に住む祖父はいるものの、直近で遊びに来たことはないという。


 いったい、相手はどこの誰なのか、いや、それはもう不審者じゃないか、と保護者間で注意喚起のメールが回される事案となったのだった。


 

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