第3話



 逗留を許可された城の一角にある居室から、緑に囲まれた庭園を見つめているのは、ライオネル帝国竜騎士団の副師団長レオン。



「エリーゼ姫とウイッチ宰相補佐官が、文通をする仲とは驚きましたね」



 眺めの良いバルコニーからは、小さいながらもエリーゼとオリバーの姿が確認できた。



 携帯用の遠眼鏡をのぞいたレオンが、「へえ」と驚く。



「楽しそうにおしゃべりしていますよ。無表情が張り付いていると思ったあの宰相補佐官でも、エリーゼ姫の前では笑うのですね。なんか、いい雰囲気だなあ」



「うるさい。いちいち報告するな」



「もともと皆目がいい男ですけど、笑うと雰囲気がぐっと和らいで……これは世のご令嬢がほっておかない美青年だなあ」



 ドス黒い不機嫌オーラを隠そうとしないクラウスは、不在の間に溜まった書簡を広げているが、まったく集中できないようで、遅々として進んでいない。



「何も伝えないままでいいのですか? この期に及んでの言い訳であったとしても、賢い姫なら一を伝えるだけで、七ぐらいは察してくれると思いますけど」



「…………」



 返事はないが、クラウスの瞳は揺れていた。



 まったく、仕方がないな。



 レオンは大きな溜息を吐いた。これまでのところ、初恋をこじらせまくった王子には、まったくいいところがない。



 こちらが心配していたとおり、悪手に悪手を重ねる形となり、愛する姫君の信用は地に落ち、関係改善の糸口さえみつけられない状態で、今度はみるからに厄介そうな『 恋敵 』が登場した。



 訊けば、オリバー・ウイッチとは遊学中の寄宿舎が一緒だったそうで、互いに知らない仲ではないそうだ。



 大陸で3本の指にはいる豪商とはいえ、爵位を持たない商家出身の男が、たった数年でブルゴーヌ王国の宰相補佐官を務めていることからも、その有能さはうかがえる。



 ルーベシランの賢姫との身分違いの文通が、どういう経緯ではじまったかは不明だが、楽しそうに語り合っているふたりを見れば、良好な関係を築いているのは一目瞭然、空回ってばかりの上官にくらべて、なんとも賢い策をとっているといわざるを得ない。



 商家出身の宰相補佐官と王位継承権のない竜騎士師団長。「高位の国仕え」という点では同等だ。これは遅かれ早かれ、数日中に嵐がおきそうだな。



 そう思っていたレオンだったが、予想はハズレた。



 —— 夜も遅く



「師団長はいるか」



 嵐は、その日のうちにやってきた。



 前触れもなく、使いの者も寄越さず、遠慮なくやってきた宰相補佐官は、対応するレオンを長身から見下ろして、クラウス以上に不機嫌な顔をのぞかせた。



 なんで、揃いもそろって、みんな不機嫌なワケ?



 レオンは今日、何度目になるか分からない大きな溜息をついた。



 不機嫌オーラがぶつかり合う客間で、お茶を出し終えたレオンは、片隅に佇んでいた。かれこれ数分経つが、一向に口を開かない両者の間で、お茶はすっかり冷めてしまっている。



 —— それにしても、この変わりよう。



 庭園でルーベシランの姫に見せていた和やかな顔とは別人のオリバー・ウイッチに、レオンは不器用な上官と似たものを感じてしまう。



 ハッキリ云って、社交性ゼロ。まあ、エリーゼ姫が特別なだけで、大概においてこれが、このふたりの通常なのだろうけど。



「何の用だ」



 地を這うような低い声が聞こえたのは、そのすぐあと。



 不遜な態度で威圧するクラウスに対して、オリバー・ウイッチもまた、苦々しい顔をさらに歪め、不快感をあらわにする。



「姫に、薬を使ったな」



 レオンは驚き、目を見張る。交渉手腕に長けているはずの男が、腹の探り合いは一切無しに切り込んできた。



「勘違いするなよ。エリーゼ姫は最後まで、核心を云わなかった。これまでの状況と断片的な姫の話から、わたしが判断したことだ」



 —— バレている。おそらく、コチラがこれからしようとしていることもすべて。



 クラウスの顔をうかがったレオンだが、その表情はまったく動いていない。ただ、ただ、正面に座るオリバー・ウイッチを憎々し気に睨みつけているだけだ。



 —— どうやって切り抜けるつもりか。



 今の段階で、同盟国側の高官の口を封じるのは得策ではない。



 いつクラウスから指示を受けても動けるように、レオンは全神経を集中させる。



「正直、帝国の王子が、ここまでやるとは思っていなかった」



 怒りを押し殺すように話すオリバー・ウイッチの声に耳を傾けながら、クラウスの表情を注意深くうかがっていたレオンだったが、



此度こたびの同盟の件で、帝国が何を企んでいようが、何をしようが、わたしは一切関与するつもりはない。この国の行く末などに、興味もなければ関心もなかったが……」



 —— 関与しない? どうでもいというのか?



 予想外のことを云いはじめた宰相補佐官に、レオンの意識が向けられる。



「敬愛するルーベシランの姫を巻き込んでしまったこと……それを察知し、未然に防げなかった自分が許せない。わたしの姫を危険にさらした代償は払ってもらうぞ。ライオネル帝国はこれより一切、わたしの姫に関わるな!」



 —— え、それだけ? 



 肩透かしをくらったレオンだったが、直後、室内の温度が急激に下がったのを感じる。



「なんだと、『わたしの姫 —— 』だと? そのような戯言、二度と口にするな!」



 戦場でも感じたことのない激しい殺気がクラウスから放たれ、レオンは茫然となった。



 —— そこですか!? 



 同盟云々より、そこに反応するわけ!?



 そのへんの兵なら意識を飛ばしたくなるような殺気をまともに浴びながら、オリバー・ウイッチの目が細められた。



「戯言……だと?」



 —— アンタも、おかしいよ! そこに喰いつくわけ?



 よろけそうになるレオンをよそに、オリバー・ウイッチは挑発的な笑みを浮かべる。



「宰相補佐官などという非常につまらない仕事のために、形式上ブルゴーヌ王国に仕え、いたし方なく王家に従っているが、わたしが真に【姫】と崇めるのも、忠誠を誓いたいのも、大陸においてエリーゼ姫ただおひとり! 『わたしの姫』と呼んで何がわるい!」



「よくも抜け抜けと……それ以上、口を開けば ——」



「なんだというのだ。これまで交わした数多のふみのなかで、わたしは何度も『わたしの姫へ』と綴っているし、エリーゼ姫からは親しみをこめて『オリバー』と呼ばれて久しい。せいぜい『殿下』としか呼ばれない、どこぞの王子に、あれこれいわれる筋合いはない!」



「貴様……相当、死にたいらしいな」



 —— こんな夜中に、なんなの。この不毛な言い争いは。



 遠い目になるレオンだったが、いま一度、意識を集中させる。同盟を結ぶ予定の国で、自国の王子に流血沙汰を引き起こさせるわけにはいかない。いつでも抜けるように腰の剣に手をかけ、間合いをつめる。



 その胸に去来するのは—— 止められるかな。



 ライオネル帝国一の剣士が放つ、嫉妬の刃を。ハッキリいって、自信がない。




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