王子の恋わずらい

第1話



 エメラルドグリーンの閃光にのみこまれ、エリーゼに手を伸ばした次の瞬間。クラウスは塔の外にいた。正確には、放り出されていた。


 霧散していくエメラルドグリーンの粒子を、呆気にとられて見つめること数秒。


 ようやく我に返ったクラウスは、


「姫君!!」


 塔の頂きに向かってあらんかぎりに叫ぶが、その声がエリーゼに届くわけもなく、焦燥だけがつのっていく。


 いまごろ、全身に痺れがまわり、苦しんでいるに違いない。意識を失っているかもしれない。薬に対する拒絶反応が大きければ、なんらかの後遺症が発生する可能性もありえる。


「くそ!!」


 1秒でもはやく薬湯を飲ませ、痺れを中和してあげたいのに、それができない。左右の拳を緑のまばらな地面に打ちつけ、焦燥と同じく押し寄せてきたのは胸の痛み。


 —— 貴方を信じたのに


 —— わたしを裏切るのですか


 この計画を立てた時点で、およそこうなることは予期していたし、覚悟もしていた。しかし現実は、クラウスの想像を遥かに超えていた。


 額に汗をかき、顔をゆがめた彼女の目が、驚愕から憤りにかわり、ついには侮蔑の眼差しとなったとき、鋭い刃で胸をえぐられた気がした。


 これほどまでとは······


 全身の痺れにあらがいながら、クラウスの伸ばす手に、ありったけの拒絶の意思をしめしたエリーゼ。


 愛しい姫からの拒絶はクラウスにとって、剣で切られるよりも、毒を飲まされるよりも、遥かに耐え難いことだった。


 鉛のように重たい身体を起こし、クラウスは黒竜を呼ぶ。


 指笛を聞きつけたマーカスはすぐにやってきたが、まずは塔を見つめ、それから鋭い蒼玉の眼でクラウスをねめつけてきた。


 何も云わずとも、おおよその事態を把握したであろう賢竜から放たれる怒りに、クラウスは首を振った。


「おまえの怒りはもっともだが、今は姫君の痺れを中和する薬草を取りに行くのが先だ。砦に向かう」


 不承不承といったうなり声をあげた黒竜は、背に乗せたクラウスを振り落とさんばかりに飛び立つ。


 全身から怒気を発するマーカスの背から振り落とされないように騎乗しながらも、クラウスは上空に漂う異変に気が付いた。


 わずかな火薬のにおい。そして、砦の方角から響いてくる砲弾らしき音。


「奇襲か! こんなときにっ……」


 脳裏をよぎったのは、戦果をあげる自分を疎ましく思う自国の身内ども。或いは、これまで制圧した国々の残党やら、報酬ねらいの傭兵部隊。


 恨まれる覚えは数限りなくあるが、クラウスは苛立ちを隠せない。いつどこで狙われようがかまわないが、ルーベシランでだけは血を流すようなことを避けたかったのに!


 歯ぎしりしながら、トォーリヤの砦へと戻ったクラウスは、その予想外の戦況に思わずゆるめてしまった手綱のせいで、地上に降り立つ直前、マーカスの背から振り落とされた。


 怒れる竜は、クラウスをかまうことなく、すでに別の方向へと飛んで行った。


 マーカスの背から無様な恰好で落ちてきた上官に、レオンは容赦なく罵声を浴びせる。


「何やってるんですかっ! こっちは命がけだっていうのに!」


 埃にまみれ、身体のあちらこちらに切り傷を受け、文字どおりボロボロのレオンが、クラウスを引っ張り起こす。そこに狙ったかのように砲弾が飛んできた。


 スレスレのところでかわし、ひとまず砦を囲う大木の影に身を隠したクラウスとレオン。ライオネル帝国の暗黒の竜騎士と紫紺の死神は、恐ろし気な通り名には、およそ似つかわしくない土埃にまみれた姿で砦を見上げた。


 昨日、エリーゼと束の間の時間を過ごした見晴台。


「どうなっている、あれは侍女殿か?」


「どうもこうもありませんよ」


 レオンが指さしたのは、大きな鷹を肩にのせ、左手に弓矢、右手で砲弾を装填する姫君の侍女、たしかにその人だった。


「侍女殿がどうして……」


 反射する太陽に目を細め、大木から顔をのぞかせたクラウスとレオンの頭をかすめるように、


「うわっ!」


 正確に狙いを定めた矢が飛んでくる。転がったレオンを今度はクラウスが引きずり、さらに森の奥へと後退する。


「竜に騎乗できるだけじゃないのか、武器もあれほど使えるとは、おそろしい腕前だな。いったい何者なんだ、姫君の侍女は……」


「こっちが聞きたいですよっ! あの鷹が急降下してきたと思ったら、あの侍女、いきなり仕掛けてきて! 美味しい焼菓子をもらったからって、油断はしてないですよ。けっして油断はしてなかったけど……こっちは手入れ中のナイフ1本で、命からがら砦の外に逃げたのに、やっと戻ってきたかと思った師団長は、マーカスから落ちてくるし!」


 ナイフ1本 ——クラウスは溜息をつきそうになる。


 日頃は、人一倍警戒心の強いこの男を、ここまで油断させるとは、姫君の侍女は本当に恐ろしい。





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