心に星を描く

月井 忠

一話完結

 日が落ち始め、辺りが夕焼けになった頃、頬に当たる風は涼しくなっていた。

 その風は、はしゃぎ声も耳に運んだ。


 細かい内容は聞き取れないけれど、楽しげな雰囲気は伝わってきて、沈んだ心が少しだけ浮き上がる。

 私は坂を駆け上がって来る男の子たちを明るい笑顔で迎えた。


「おばちゃん、コレ」

 おかしいな、まだお姉さんでいけるはずなのに……。


 若干のもやもやを抱えたまま差し出されたチケットを受け取る。


「はい、どうも。楽しんでいってね」

 半券を切ってから、小さな手に返していく。


 チケットには「予告状 今宵、プラネタリウムを頂きに参上します。 宇宙怪盗X」と印刷されていた。

 我ながら少し恥ずかしいけれど、こうして小さなお客様が来てくれることに一役買ったなら悪くもない。


 子どもたちは私の職場であるプラネタリウムへと入っていった。

 扉の横の壁にはヒビが修復されないまま残っていて、お世辞にも綺麗とは言えない。


 それでも私にとっては、思い出の一杯詰まった場所だった。

 本当に怪盗がやってきて思い出のままプラネタリウムをどこかへ盗み出してくれたらいいのに、そんな風にも思う。


 いや、本当はそうじゃない。


 そろそろかなと腕時計に目を落とすと、もう時間になっていた。

 私はゲートを閉じて建物の裏手に回り、職員用の駐車場に集まっていたスタッフたちに合流する。


 そこには怪盗に扮したマジシャンもいて、どこかソワソワとした雰囲気があった。

 そんな中、ぱんっと音がする。


 見ると館長が手を叩いたところだった。


「それでは今日が最終日になります、皆さん気合い入れていきましょう!」

 今どき珍しい、やたら熱血な館長だった。


 だからみんな釣られておー、と拳を上げる。

 最後ぐらいはと思って私も右手を握り、勢いよく伸ばしてみた。


 思いの外、気分がいい。

 なんだ、初めからこうしていればよかった。


 今回のイベントは私が提案したものだった。

 閉館予定のプラネタリウムを怪盗が盗み出し、そこには本物の綺麗な夜空が広がる、そんなコンセプトだった。


 デモンストレーションで実際に体験したけど、まさかここまでのショーになるとは驚きだった。

 仕掛けが気になったけれど、そこは聞かずにおいた。


 謎は思い出と一緒に残しておいたほうが良いと思った。


 もちろん、マジシャンはプラネタリウムを本当に消すわけじゃない。

 きちんと建物は残っている。


 ただ、カレンダーがめくられる頃には現実にプラネタリウムは跡形もなく消える。


 受付の仕事を終えた私はイベントの間、色々な手伝いに回る。

 職員用の廊下を歩いているとき、館内から歓声が聞こえた。


 この仕事をしてきて、一番やりがいを感じる瞬間だ。


 この日に訪れてくれたお客様。

 これまでに、このプラネタリウムに足を運んでくれた方たち。


 全員の心に、このプラネタリウムの星座を刻めたかな。


 扉を開けて外に出る。

 夜空には控えめな星たち。


 心に星空を刻めたなら、きっとどんな怪盗にも盗めないプラネタリウムになると思う。

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心に星を描く 月井 忠 @TKTDS

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