切れた繋がり

10

「可愛い。さすがみち」




淡いグリーンのグリッターネイルを施した爪を、奈々子は繁々と眺めながらも嬉し気に微笑んだ。




自らがオーナーを務めるバーの仕事が始まる前に顔を見せてくれた奈々子は、約束通りネイルの予約を入れてくれた。




全て任せると突き出した両手は、細くて綺麗で羨ましくなるくらい。




新作で入れたグリッターネイルを試してみたかったので、有難く塗らせて頂いた。キラキラと輝く色合いは、そこまで派手にはならず思った通り凄く可愛い。




最後の仕上げを施していると、「そう言えば」と奈々子は思い出したように顔を上げた。




「結婚式、行く事にしたんだって?」




小学生の頃にほんの少しだけ話した事のあるまあくんとあーちゃんの結婚式。奈々子が私の住所を教えたらしく二人からの招待状がマンションのポストへと届いていた。




もうほとんど顔なんて覚えていない二人の結婚式に行った所で、周りから言われる言葉は「誰だっけ?」に違いない。




それが分かっていながら行こうかと決めたのは、みっちーの事をふと思い出したからだ。

私の中で間違いなく、あの警察官の人がみっちーなのだと思ってる。けれどもしかしたら、万が一、いや億が一、人違いで別にみっちーが存在して居る可能性も無きにしもあらずと考えた。




だってどれだけ探りを入れても、あの人は全然私を思い出してくれない。お姉さんみたいな美人を忘れるわけが無いと言う。




もしかしたらみっちーは双子だったのかもしれない。それか兄弟がいたのかも。




そんな事はありえないと分かっていながら、むしろそうであって欲しいと願う自分が居た。




「まあ、誘ってくれたから一応」



「ご祝儀目的でしょとか辛辣な事言ってたのにね」



「そうだったっけ」




しっかりその言葉は覚えていたけれど、忘れた振りを貫き通しておく。




「それにしても小学生の頃から付き合ってたのに、今結婚って時間がかかったね」






てっきりあの二人の事だから、成人してすぐに籍を入れているのかと思っていた。




まあくんの真っ直ぐなあーちゃんへの愛情だけは、何となく記憶の片隅には残ってる。その愛情は、私がみっちーに対する気持ちと同じだったから勝手にあの頃親近感がわいていた。




奈々子は肩を竦めると「色々あったみたいよ」と言う。




「詳しい事は知らないけど、別れたりくっついたり繰り返した末らしいよ。あーちゃんは元々イケメン好きだからね。高校生の頃から派手に遊ぶようになって、その度最後はこっぴどく振られてまあくんに泣きつくみたいな」




なるほど、本当に色々あったみたい。




それにしても、まあくんの真っ直ぐすぎる愛情はその話を聞いただけでも全く変わった様子は見られずに何だかほっとした。まあくんって凄く寛大な男だなあ。




「もうよそ見はしないで、ちゃんと見てくれるまあくんにこれからは沢山愛情を返して欲しいと切に願いますね」



「本当にその通りね」




他人事ながら、奈々子と共にまあくんに幸あれと願った。




「そう言えば結婚式なんて久しぶりだから、ドレスが入らない」




悲しい事に、転勤族で点々としていた私に友達と呼べる人は奈々子くらいしか居なかった。友人からの結婚式のお誘いなんて今まで一度も無い。




行った事がある結婚式と言えば、親戚関連くらいしか無かった。




それももう随分と前になる。ドレスはもうとっくの昔に入らなくなっているに違いない。




「じゃあ今度の休みに一緒に付き合うよ」



「ええーわざわざ買うの面倒くさいよ」




今時レンタルなんていくらでもあるのだから、適当にその辺で済ませてしまえば良いという考えだった。




奈々子は乾いた爪を指先で確認しながら「別にみちがそれで良いなら良いけど」と含んだような言い方をする。




「どういう意味?」




お洒落なあーちゃんの結婚式だから、レンタルドレスで行くと式場に入れてくれないとかあるんだろうか。




「みっちーが来るかもしれないけどそれで良いの?」



「………はっ!!!!!」



「うるさ……」




そうだった、そもそも私はあーちゃんとまあくんの結婚式を祝うためだけに出席する事を決めたんじゃない。いや、心からおめでとうと祝福はしているけれど、本来の目的はみっちー探しだった。




もしかしたら本物のみっちーがその場に現れるかもしれないのに、レンタルドレスで済ませるなんてありえない。レンタルドレスは本来物凄く有難いけれど。




「みっちーのために純白のウェディングドレスを買っておかないと」



「それは出禁だわ。そのまま式場を横取りしそうな勢いね」




やれやれと肩を竦めた奈々子は「心配だから絶対に買い物にはついていかないと」と溜息を吐いていた。






奈々子と約束したその日、ちょっとお高めのショップがいくつも入っているショッピングビルへと来た。




見た事のあるブランド名を掲げる店舗も多くあり、ちらりと値札を確認すると悲鳴が出る程の高さでびっくりした。




「さっき見たパーカー、2990円くらいで売ってる店を見た事ある」




似たような柄なのに、ブランド名が入っただけで0が一つ多くなるなんて怖い世の中だ。




あまりの高額な値段に疲れてしまい、一旦休憩を挟むために韓国料理のお店へと避難した。




奈々子は届いたビビンバをスプーンで混ぜながらも「別に高いドレスに拘らなくても良いんじゃない?」と見も蓋も無い事を言う。




「どうするの、みちかってそんな安物のドレス買うような女だっけ?とか思われたら!品があって清楚な女に見られたい」



「カルビラーメンすすりながら言う事じゃないと思う」




激辛のカルビラーメンをずるずるとすすりながら言う私を、奈々子は呆れた表情で見つめてくる。




「そもそもみちの知ってるみっちーってそんな人?安物のドレス着てるからって軽蔑するような性悪だっけ?どこぞの高級ホストクラブにお勤めなのよ」




言われてみたら確かに、みっちーはそんな人じゃない。




私がレンタルドレスを着ていようが、ブランド物のドレスを着ていようが、そこが問題なのではなく、全ては私と言う中身が重要なのだと思う。




大人になって再会した婚約相手がそんなどうでも良い事をいちいち気にしている方が、みっちーはきっと嫌なはず。




「そっか、そうだよね」




頷きながらもカルビラーメンをすすりながら「でも」と小さく呟く。




でも現実問題、自分の手元に着て行けるドレスは無く、やっぱり借りるか買うか、それはどうしても決めなければいけないのだ。




韓国料理のお店を後にして、もう一度ぐるりとショッピングビル内を見て回った。




その中で唯一手が届きそう、かつ可愛いドレスが並ぶお店を見つける事が出来た。




「みちにはこれが似合いそう」




奈々子が見つけてくれたドレスは袖口が肘辺りまであり、上品な透け感にフラワーブーケの柄があしらわれたグレーのドレスだった。値段も2万円までいかず、一目惚れをしてすぐにそれに決めた。




さすがセンスのある奈々子だ。一緒についてきてくれて本当に助かった。




「ありがとう奈々子」



「特に何もしてないけどね。そう言えば結婚式の日にみちのお店でヘアメイクしてもらえる?」



「出来るよ!私も夢ちゃん、店長にヘアメイクしてもらってから行こうと思ってたから奈々子の分も予約しておく」



「ありがとう。じゃあ式場にも一緒に行こう」




そうしてもらえると大いに助かる。




奈々子が居なければ、結婚式場にすら辿り着けずに終わりそう。




購入したドレスが入った紙袋を抱えながらも、結婚式の日が待ち遠しくなる。どうか本物のみっちーが来てくれますようにと願いながら、エスカレーターへと乗って一階へと降りた。




「今日はお休みだからこのまま奈々子のお店に行っても良い?」




この後奈々子はバーへと戻らなければいけないらしい。私の用事で貴重な睡眠時間を削ってしまった手前、開店準備くらいは手伝わせて欲しかった。




奈々子は軽い調子で「良いよ」と頷くと、自らのお店へと向かって歩き出した。




その後ろをついていくと、ふいにスーツ姿の男の人が奈々子の横を通り過ぎてすぐに「奈々子か?」と振り返った。




呼ばれた奈々子も足を止め、男の人へと振り返ってる。暫く考えた様子で押し黙っていたけれど「もしかして剛ごう?」と小首を傾げた。




剛と呼ばれた名前がふと記憶の中で引っかかる。




立ち止まっている男の人はスラリと身長が高く、愛想の良い笑顔を浮かべながら「久しぶりじゃね」と奈々子の元へと近づいてきた。




「お前今何してんの?」



「バーのマスター。剛は?」



「超普通のサラリーマン。バーのマスターとかお前らしいな。今度飲みに行っていい?」




親し気に話しかける男の人に菜々子は財布から店のカードを取り出して「沢山飲んでいって」と口角を持ち上げて笑った。




「飲み屋街の一角で店出してんのかー。すげーな」



「サラリーマンなら上司から後輩までわんさか連れてきてくれて良いよ」



「何で仕事終わってまで面倒くせえ付き合いしなきゃいけねえんだよ。行くなら一人で行くわ」



「なに?まだ結婚してないの?」



「放っとけ。そういうお前はどうなんだよ」



「してる暇がないし、一人が気楽だから良いの」



「あっそうですか。ほんとお前らしいわ」




お店のカードを丁寧に名刺入れへと差し込むと、男の人はそこで初めて私に気がついた様子で目を丸くした。




「あ、すみません」




サラリーマンらしい愛想笑いと会釈を返されて、私もつられるままに頭を下げた。




「じゃあまた今度行くわ」と早々に立ち去ろうとする男の人に向かって、菜々子は「みちかだけど」と言う。




それから私には「剛、剛ちゃんって言えば分かる?」と。




私はきょとんと目を丸くして菜々子と剛ちゃんと呼ばれた男の人を交互に見た。




ずっと頭の中でハッキリとしなかった存在が浮かび上がってくる。小学生の頃、何かと私を不細工だと罵り、嫌みな性格だった剛ちゃんの姿がふと思い浮かんだ。



「……あー」




大人になってもあの頃の苦手意識をハッキリと思い出してしまい、いやーな顔が表情に出てしまった。接客業としてあるまじき態度だ。




けれど仕方ないと思う、点々と色んな場所へと移っていたから小学生の記憶なんて奈々子とみっちーの事くらい。




なのに剛という名前を聞いた瞬間、嫌な記憶が鮮明に蘇ってくる。小学生の頃、剛ちゃんにみっちーとの仲を大声で口に出されて喧嘩になった事。それっきり仲直りも出来ずに転校になった事。




一方剛ちゃんの方も「あー…」と私を上から下まで眺めると「そう言えばそんな奴も居たかも」と眉を潜めて言った。




それから取って付けたように「久しぶりだな」と素っ気なく言う。相変わらず苦手だ。




「ていうか派手な髪色してんな。仕事はアパレルか何かか?」



「ネイリスト…です」



「何で敬語なんだよ。俺の事覚えてねえの」




今さっき嫌な記憶が一気に呼び覚まされた所です。




「覚えてるよ。みっちーと一緒に居た人でしょ……」



「居た人って……」




剛ちゃんは小学生の頃、みっちーの友達だった。ガキ大将のような剛ちゃんと、真面目で大人なみっちーとのコンビはいつも異色だと思ってた。




どうしてあの二人が上手くいくのかと考えた時、みっちーが大人な対応をしてあげてるからだなと納得したものだ。




そんな過去の出来事を思い出してから、ふと幼少の頃一緒に居たみっちーと剛ちゃんの姿が頭に浮かんできた。みっちーと言えば剛ちゃん……剛ちゃんと言えばみっちー。




「剛ちゃん!!!!」



「うわあ!!」




剛ちゃんの両肩を勢い良く掴んで揺さぶった。




飛び付かれた剛ちゃんは本気の叫び声を上げて驚いてる。まるで化け物にでも遭遇したような叫び方だった。




まさか苦手な剛ちゃんにここで再会するとは思わなかったけれど、これは私にとっては有難い出会いなのでは。




「みっちーとまだ連絡とってる!?」



「はあ!?何だよ急に!」



「良いから!!!とってるの!?とってないの!?」



「と、とってねえよ!」



「何でとってないの!!」




今度は私が悲鳴をあげる番だ。




せっかく見つけたみっちーへの手かがりが一瞬で消え去ってしまう。




剛ちゃんは私の手を軽く払い落としてスーツに寄ったシワを丁寧に伸ばしながらも「高校違ったからな」と素っ気なく言った。




「中学までは一緒だったけど、そもそもクラスも違ったし、高校なんて別の場所だったから尚更だろ。だから連絡なんて今はーーーーとってねえよ」



「……ええ……剛ちゃんあんなに仲良かったのに…」



「哀れんだ目で見んな!別に俺も俺で新しいダチが出来たから気にしてねえよ」



「剛って言わなくて良いこと心に溜めないで何でも言うからね。いい加減怒らせたんじゃなくて?」




菜々子が指先のネイルに視線を落としたまま辛辣な事を言う。




剛ちゃんは菜々子に一瞥を向けると、静かに俯いて「まじでそんなんじゃねえから」と口を曲げた。




けれど剛ちゃんの話を聞いて腑に落ちた事もある。




もしかしたら中学に入ってからの友人関係で、あんな風に変わってしまったのかもしれない。世間の荒波にもまれたーーーみたいな。




「て言うかこっちに帰ってきてんのに、充にまだ会ってねえの?」



「会ってない……というかみっちーにしてみっちーにあらずな人とは会ったけど」



「お前何言ってんの?」



「だって、あの人私の事覚えてないって言うし、しかも全然知らない人みたいな感じだし」




あんなちゃらちゃらした人は知りません。




剛ちゃんは静かに息を飲むと、それから「お前に会いたく無かっただけじゃね?」と視線を足元に落としたまま呟いた。




奈々子にも言われた言葉で、再び心に大ダメージを負った。




実はちゃんと私の事は覚えていて、だけれど大人になってあの頃の約束事を持って来られたら困るから知らないふりをしてるーーーー悲しい一つの可能性をただ見ないように避けていた。




剛ちゃんは肩を竦めると、「とにかく最近の充については俺も分かんねえから」と唯一の繋がりをぷっつりと切ってしまう。




絶望している私を置いて、剛ちゃんは菜々子に「そう言えばまさしの結婚式呼ばれてる?」と別の話題を振ってしまう。




知らないのならこれ以上聞ける事もなく、私は静かに押し黙るしかなかった。



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