■10■

相変わらずいつみてもボロい場所だ。薬品臭い匂いが充満する室内には椅子に腰掛ける俺と、その向かいの椅子に腰掛けるここの先生と、何故か俺の隣に立たされているハチしか居ない。




兄貴達はとりあえず部屋の外で待たされたまま10分程は経過していた。




あれからたどり着いたカズと兄貴、それからこの人を殴ったのは俺だからと着いてきた親父に途中で目を覚ましたハチを連れてこの病院に来たわけだが、手際よく俺の腕に包帯を巻いていく病院の先生が「もう駄目だよ」穏やかな声で俺の隣に告げた。




「アオ君の怪我もハチのせいだろう。駄目だって言ってるのにどうして僕の言う事が聞けないの」



「だって先生」




ハチがしおらしい。




それは作ってんのか?と問いたくなるほどに。




たぶん作ってはいねえだろうけど。ハチはこの先生を酷く慕っているらしい、それを考えればしおらしい態度も納得出来る。




「あいつらまた妹を狙ったんだよ」



「それは確かにいけない事だね、でもハチだけで全部片付けようとするのもいけない事だ。また酷い事してきたんでしょ。警察に見つかったらハチの方が悪くなるかもしれないんだよ」



「俺はそれでも」



「駄目だよハチ。いい加減にしなさい。君ももう子供じゃないんだ。僕から包帯の巻き方とか消毒の仕方とか習っていたのはただの気まぐれなの?違うだろう、君はちゃんと目指すべき道があるんだ。もうこんな事はこれっきりにしなさい」



「…そんなの納得出来ない」



「ハチ。アオ君が怪我したのは誰のせい?」



「そんなのそいつが悪いだけじゃない」




俺を目の前にしてその言い方かよ、別に反論しねえけど。




二人の間に割って入っちゃいけねえ空気があり、俺は空気と同化する事だけに専念する。閉じた口はここに来てから一度も開いてねえ。




ハチと会話を進めながらも先生の手は止まらず、あっという間に腕に包帯を巻き終えた。無言のまま手を上下されて今度は着ていたティーシャツに手をかけて痛みに耐えながらも脱ぐ。




あらわになった肩には深い傷が付いていた。




「もっと良く考えなさい。アオ君がどうして危ない目にあったのか、ハチがそんな事を続けてたから巻き込まれたんじゃないのかな?」



「全部俺のせいなの?」




ハチが縋るような声を出した。




驚いて横目にハチを捕らえると泣き出しそうな表情でギョっとする。この先生に一つも認められねえことが辛いみてえだ。




俺の言う事は何一つ聞かねえのにな。




「ハチの気持ちも確かに分かるよ、でもその行動は正しく無い」



「先生っ、俺にあれを忘れろって言うの!?」



「違うよ。忘れちゃ駄目だ、駄目だから妹さんを別のやり方で支えてあげなさい。妹さんが望むやり方でね」



「そんなの納得できない」



「なら僕から言ってあげられる事はもう無いかな。僕の意見はこれだけどハチの意見は違うから、どうしようも無い」



「……っ」



「僕からの話はもうこれで終わり。外に出てなさい」



「先生、俺の事見捨てるの」



「見捨てたりしないよ。」




俺の向かいに腰掛ける先生は一切ハチの事は見ずにそう言った。誰が見ても見放されたと思うような言い方だったけど、ハチは何も反論せずに踵を返して外に出て行った。




ピシャっと扉を閉めた後、室内に取り残された俺と先生の間に言葉は無い。




肩にジクジクとした痛みが広がっていくのに黙って耐えていると、ふいに先生が「悪かったね」とようやく言葉を一言発した。




「何がっすか」



「ハチがさ、迷惑かけたみたいで。酷い怪我だ」



「これは俺が悪いのもあるからハチが全部悪いわけじゃないっすよ」



「アオ君は他人に優しいね。だからハチは君と一緒に居るんだと思うな。」





そうなのか?何かと俺の扱いが雑な奴だけど。




しっかりと閉め切られたドアの向こうを見やる。すりガラス越しに外の様子はあんまり分からなかったが、もしかしたらもうドアの外には兄貴達はいねえのかもしれねえ。




不機嫌な様子で出てきたハチの機嫌を…取ってるわけもねえしな。




「あの」




先生が俺の傷口に消毒をしていく。それが染みる事染みる事。




「ハチの事聞いてもいいっすか、先生はハチの事詳しそうだから」



「ハチねえ、長い付き合いと言えるのかは分からないけど僕がハチに会ったのはあの子がまだ中学生くらいの時だったかな?たぶん喧嘩か何かで怪我をしたんだろうね、道端で倒れてたのを拾って手当てしたんだよ」



「それからっすか?」



「そうだね、借りを返したいって僕の元にまたやってきたけど断ったんだ。何度も何度もここに来るたびにハチにとってここに来るのが日課みたいになったんじゃないのかな」




ハチに実際聞いてねえから絶対とは言い切れねえが、嬉しかったんじゃねえだろうか。俺も経験した事はあるが、俺達みてえな悪ガキは世間から疎ましく思われる事が多い。




そんな中本心で心配して手当てしてくれて、それどころか自分がこうして訪ねてきても嫌な顔せず接してもらえればきっと誰だって嬉しく思う。




その繰り返しでハチはこの人を慕っていったんだろうな。




「前はもっと違ったんだよあの子も。確かにちょっと捻くれてる所もあったし危ない所もあったけど、やっぱりあの事件からガラっと変わっちゃったな。前よりもっと危ない事も平気でするようになったしね」



「でもハチは先生の言う事は聞くみてえだから、何とか説得出来ないっすか」



「僕も何度も説得してみたんだけどね、結局色々悩んだ末に危ない事をやめないんだ。仕方が無いとも思うけど」



「仕方ない…」



「ハチはあの事件があった時色んな人に助けを求めたんだよ。警察にも行ったし、仲間にも協力をお願いした、自分の中での解決策が分からなくて色んな所に掛け合ったんだ。怖かっただろうね、そんな奴等が普通に生活しててまた自分の大事な妹を傷つけたりしたらって思ったらさ、同時に憎かったと思うよ」





包帯をある程度の長さで切った先生が頭を横に振って眉尻を下げた。




見たわけではねえのにその頃のハチの姿が浮かんでくる。警察にどうにかしてくれと言っても詳しく妹の話を聞かないとと言われて、仲間に話しても全員の名前と顔が分かるわけではねえから探しようがねえと言われて、絶望していくうちに。




「他が頼りにならないのなら自分でどうにかするしか無いって、その時のハチは思ったんだと思うよ。それが未だに変えられないんだ」



「それは…何となく分かります。あいつも色々考えてる事があるんだろうし、その上で結局そう簡単には変えられなくて悩んでんのかもしれねえって」



「だからね、僕の意見はこうだけど、ハチの意見が違うならそこまでは押し付けられないなって思うんだよ。決めるのは最終的に本人だからね」



「…先生はハチにその…あぶねえ事とかやめてほしくないんすか?」



「やめてほしいとは思うけど、ハチは頑固だからね。それにさっきも言ったけどハチの気持ちも少なからず分かるから」




俺もそれは何回も考えてきた事だ、だから求めてる答えじゃねえと口を曲げると先生は「あからさまだなあ」と笑った。




色々考えたけど結局答えが出なかったからハチが慕う、この男の意見を聞けば何か変わるかもしれねえと思ったのに。




「はい終わったよ」





全ての手当てを手際よく終えた先生が椅子から腰を上げて救急道具を片付けていく。手当てされた箇所を片手で撫でればまだ痛かった。




この男でもハチを変えられないならもう無理かもしれねえ。




「アオ君がハチの事、しつこく説得すればもしかしたらハチも変わるかもしれないね」



「十分しつこくしたつもりなんすけど」



「あのハチだからね、しつこいって言うのは数年付き合っていかなきゃしつこいとは言えないかもしれないよ」




それは少し難しい問題だ。俺はこの時代の人間じゃねえから、上手くいって帰れるようになればやっぱりハチとの付き合いがそこで切れる。




それまでに何とかできればと思ってたから、この男の言葉にガッカリした。




先生はそれ以上特に俺に助言する事は無く、ただ一つだけ提案するように。




「その怪我が治るまでは泊まって行った方がいい」




と言った。散々怪我してきた俺からしてみればさほど大した怪我じゃねえように思うが、と小首を傾げればその意図を男が発する。




「さっきハチの機嫌を損ねちゃったからね、君はハチにあたられやすそうだ。病院に居ればハチは手を出さないと思うから。」




救急箱をしっかりとしめた先生が苦笑して提案した。




それは甘えた方が良さそうだ、未だにきっとハチは納得いかねえだろうからその怒りをぶつけるなら俺が一番手軽で身近な存在だからな。




怪我が悪化してもめんどくせえし。




診察をうけた部屋から外へと出ると薄暗い廊下が続いていて、兄貴達はそこには居なかった。やけにしーんと静まり返った廊下が不気味だ。




前方と後方を確認し、言われた通り隣の部屋へと一度足を向けた。たてつけの悪い扉を無理矢理右にスライドさせると白いベッドがいくつか両端に設置されていて、ベッド一つ一つを覆うカーテンもしっかりとあった。




薄暗い室内に電気を灯そうと手探りで電気を探しパチン、音をたてて着けた瞬間、フっと入り口に一番近いベッドに腰掛けている人間が現れた。




「よー、終わっ」



「ぎゃあああああっ!!」



「っ!!!」





お化け!!




「待て待てひでえなお前はー俺だっつうのー」



「おまっ、お前、電気着けとけよボケ!」





突然姿を現したのは空だった。てめえふざけんな、心臓止まるかと。




「いやーわりーわりー、お前の手当てが終わるまで待ってようと思ってたら眠くなっちまって、気づいたらここでな」



「びっくりしたわ!!カズと親父はどうしたんだ?」



「親父は母さんが腹に子供居るからなー一旦帰したけどすげえ心配してたぞ。今度見舞いに来ますっつってた。カズはハチがすげえ不機嫌そうに出てきたから追ってった」



「そか」





じゃあもしかしたら俺でなくカズが当たられてるかもしれねえな。大丈夫か。




ベッドに腰掛けたままの兄貴の元に足を向けると、部屋の中にある小さな手洗い場の上にある古びた鏡に俺の姿が一瞬映った。大げさなくらい包帯だらけだ、大した事ねえのに。





そのまま兄貴の隣に腰を下ろし両手を組み合わせる。




「ハチの事、先生に聞いてみたんだけどな…やっぱり解決策が見つかんねえわ」



「その前に俺はハチと喧嘩中だけどなあ」



「何かあったのか?」



「お前ねえー」




苦い表情を浮かべた兄貴を見てハっとした、俺のせいか。




「何で喧嘩してんだよ、ハチが俺を置いてったのは仕方ねえ事だろ。あそこで妹を置いていくわけには行かなかったんだし」



「そういう事じゃねえんだなあーあいつの態度がまず気に食わねえ」



「態度って」



「まあこの話はとりあえずいいわ、そんでえ?ハチがどうしたって?」




いいのいいのと片手をだるそうに上下させた兄貴が会話をまた元へと戻す。




気にはなったが聞いても言わなそうだと早々諦めて会話を再びハチへと戻した。




「あいつが変わればいいなって思ってたけど、先生にも難しいことだって言われたんだ」



「まあそんなの前から分かってた事だけどなあ」



「そうだけど」




でもやっぱりーーーーーそこで納得出来る問題じゃない。




眉根を寄せた俺を隣から空がジっと見つめてくる。反対されるかもしれねえと思っていたら意外にも。




「一つだけ方法があるぞ」




こんな言葉が返ってきた。




隣の兄貴に顔を向けて、黙ってその方法とやらを待っていると兄貴が提案した解決策とはこれだった。




「ハチの本名を聞きだして、現代に戻ったときにそいつに接触してみたらまた何かが変わるかもしれねえ」



「…それは思いつかなかった」



「ただ良い方法とは言えねえけどなあ、現代でハチがどんな人間になってるか分からねえし。お前にすすめるのも気が引ける。でもここで引き下がる気はさらさらねえんだろ?」



「…ねえな」



「あの頑固なハチが口を割るのかは分からねえけどな、」





それが一番の問題になってくる。最初こそ適当に流すだろうけど、あんまりしつこく言えば適当な偽名で誤魔化してきそうだ。それじゃ全く意味がねえ。




「難しい問題だな」



「それでいて危険が伴うって事忘れてんのか?」



「分かってっけど」



「お前は痛みに疎い所あるからなあー信用ならねえよおー。お兄ちゃん今回も本当心配で心配で、俺寿命これでどれくらい縮んだだろうなあー」




しくしくと両手を目元に押し付けて泣き出したそれが嘘だと丸分かりだけど、言葉はきっと嘘じゃねえだろう。あの時ふと頭に浮かんだ彼女の言葉に救われた気がする。




「今まで他人を犠牲にするより俺が犠牲になった方がずっと楽だと思ってたけど、そうでもねえんだな」



「…なになに?ちょっとは成長したのか?」



「何となく分かった気もするけど、やっぱりどうしようもねえ時は自分を犠牲にする方を取っちまうかも。ただ早々諦めるのももうやめるわ」



「ほう?」



「兄貴が寿命縮んで早死にしたら困るからな」



「お前もやっと兄貴を敬うようになってくれたわけね」



「まあ、多少は…」



「よしよし、どんどんそうやって成長してってくれるとお兄ちゃん嬉しいわあー」





くしゃくしゃと頭を撫で回される。頭の上をかき回すように何度も撫でられた後、空のその手が俺の背中へと落ちた。




冗談で撫でていたのとはまた違い、心配するように上下して撫でられる。




兄貴の手に何度救われたか分からない。そうやって俺を守ってくれた兄貴が俺の事でハラハラしながら生活せぬよう、俺も俺で変わっていかなきゃいけねえ所がまだまだ沢山ありそうだ。




「早くお前の事迎えに行ってやりたかった」




空が自分を責めるようにして申し訳なさそうに唇を噛む。俺も俺で変わるから、お前もお前で自分の事を責めるのはやめろよな。




「大した事ねえよこんなの」



「お前の怪我、全部俺が貰えたらいいのにな」



「残念、一つもあげません」

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