■6■

一つ嫌な事を思い出した。これが嫌な事になるとはあの時は全く思いもして無かったけど、この時代に飛ばされて俺は一度ハチと会ってた。それを思い出したのは昨夜だ。




夜遅くに帰ってきたかと思えばハチの着ていたピンク色のティーシャツには点々と真っ赤な血が飛び散ってた。怪我したのかと問えば「俺のじゃないよ」と薄気味悪く笑って、それ以上もう何も答えようとしなかった。




「落ちねえ」




ハチのピンク色のTシャツを洗面台に張ったぬるま湯の中でごしごしとこすり合わせるようにして洗う。それでもべったりと染み付いた赤色は取れる気配が無い。




ハチに会ったのは親父と母さんを引き合わせようとして真夜中走り回ってたあの時だ。あの夜もハチは真っ赤な血で染まってた。見かねて絆創膏を渡したその相手こそハチだったんだ。




それをふと思い出した。思い出しても色々おせえ。




やばい相手もかもしれねえけど、結局は行く宛てがねえんだから。




「まじで落ちねえよ」



「そう。じゃあ捨てちゃいな」



「……お前、毎回毎回こんな真っ赤に濡らして今まで何着捨ててきたんだよ勿体ねえ」



「さあ、もう何着だったか忘れちゃったな」




脱衣所の入り口でハチがキャラメル色の長い前髪を片耳へと細い指先で引っ掛ける。それを終えてから腕を組み、頭を扉に押し付けるようにして力を抜くような格好を取った。




「大体何でこんな真っ赤なんだよ。何して「アーオ」




言葉が真後ろから塞がれる。




鏡に視線を上げればハチはこてんと小首を傾げ妖艶な笑みを鏡越しに俺に向けていた。口角は上がっていても瞳は一切笑ってない。




両手をぬるま湯に突っ込んだまま手を止める。暫く鏡越しにだけ視線を交差させた俺達は「さーて」ハチの気だるい声色と共に張り詰めていた空気が切られた。




止めていた鏡から視線を再び真下のぬるま湯に落とす。べっとりと血で濡れたティーシャツから落ちた赤色に染まる湯は不気味に波打つように踊ってる。




「そろそろ俺も出ようかなあー。アオもこれから兄貴を探すんでしょ?もう諦めちゃえばいいのにさ」



「諦めねえよ、絶対兄貴の事は探して見せる」



「お前も大概諦めの悪い男なのね。」



「諦めが悪いんじゃなくて絶対兄貴は居る!」



「そう?まあ俺の知ったこっちゃないけどね」





知ったこっちゃねえならいちいち言うなよ。毎朝毎朝「諦めちゃえばいいのに」「きっと見捨てられたのよ」言われる俺の身にも慣れ。






聞き飽きた気持ち半分と、もういい加減にしてほしい気持ち半分。




「今日も遅いのか」





玄関に向かうハチの背中に脱衣所から呼びかける。両手をぬるま湯から出しても自分の両手は真っ赤に染まっていなくてホっとした。




こんなの慣れた事だったのに、久しぶりだから精神的にきつい。




姿の見えなくなったハチがとーんとーん、靴に足を突っ込みつま先を打ち鳴らす音が玄関から聞こえてくる。




「たぶん遅いかなあ。分かんないけど」




それってまた真っ赤になって帰ってくるって事なのか?聞こうと思ったけど、きっとまた「アーオ」残酷な言葉で塞がれると分かって止めた。





「弁当、ありがたくもらっていくね」




両手の水滴をタオルで拭いながらも脱衣所から顔を出すと、俺が作った弁当箱を片手で持ち上下させたハチが丁度玄関から出て行く所だった。




「気をつけろよ」



「はいはーい」





本当に気をつけた方がいい。ハチみたいな奴は他の奴から恨まれやすい。きっと本人それを承知で生きてるんだろうけどな。




ハチが出て行って、遅れたように扉が閉まる。




鍵に手をかけようとして、部屋の中を見渡した。シーンと静まり返った白い室内が一瞬真っ赤に見えて瞳を閉じる。





「血、見すぎた」




ダメだ、頭を振って肩掛けのバックを取りに行く。テーブルに置いてあったハチの部屋の合鍵を持って外に向かう。




自分の両手がやけに血生臭い気がして、長い溜息が自然と漏れた。



もう散々探して、後はどこを探したらいいのかも分からずにとりあえず足を向けて辿り着いたのは大通り。この時代でも大きなビルが立ち並ぶそこは排気ガスの匂いと、暑い空気が立ち込める。




ビルの最上階は熱気で歪んでいるようにさえ見える。




さすが大通りとでも言うべきか、人数はなかなか多く、それぞれ暑そうに団扇で扇ぎながら通り過ぎたりアイスを片手に通り過ぎたり。アイスか、食いてえな。




途中で買ったウーロン茶と書かれたペットボトルのキャップに片手を添える。カシっと音をたて横に捻り数口、口に含んでから街中へと向かって歩く。




隣をサボりなのか何なのか、帰宅するにはまだ早い時間帯を高校生らしき人間が数人通り過ぎた。




何の気無く、俺も横を通り過ぎる。




「昨日もやばかったらしいな」



「俺も聞いた。何なんだろうな、男ばっか狙われてるって話だよ。」



「まじでやばいって。俺あんな事されたらもう外も歩けねえよ、」



「俺あんまその話知らねえわ、あれだろ、ここ最近治安悪くなってる一つの原因っていう。男ばっか狙われるすげえ悲惨な事件だろ」



「でもさ不思議と警察が動かねえんだって」



「お前馬鹿か、被害者だって言えねえだろ。すげえ恥ずかしいよ俺だったら。だって全裸だしさ、明らかに犯された後らしいしさ」



「うええーこえー。相手誰だよ、男かよ」



「知らねえよ。まじで強姦されたみてえな状態らしい。無理矢理縛られてさ、何度も殴られてさ、骨折れてた奴も居るらしいし精神的におかしくなって病院入った奴も居るらしい。辺りは真っ赤でさ、そこにポツンと全裸で投げ捨てられてんだって」



「その状況に出くわしても最悪じゃね?」



「本当になあー、」




噂話に花を咲かせて通り過ぎた高校生達はそこから話題は逸れて「つうかアイス食おうぜ」「いいねいいね」若さアピールなのか何なのか、この暑い中コンビニに向かって駆け出して行った。




そんな背中を肩越しに振り返り、口にもう一度押し付けようとしていたウーロン茶のペットボトルを下ろす。




他人事――――とは思えねえ話だった。




十中八九、ハチの仕業だと分かった。昨日の出来事、男ばかりが狙われる、ハチの着けて来た真っ赤な血。




人探しって言うか、ちょっと復讐してやりたい人間が数人居て。ただそれだけ。含みある言い方をしていたハチの言葉が頭の中の引き出しから飛び出るようにして思い出された。




復讐、その言葉と高校生が言っていた言葉が完全に一致する。





「あいつまじで何やってんだ」




一旦飲むのを止めていたウーロン茶を勢い良く口の中に流し込んだ。水滴が回りに着いたペットボトルの中身は酷く温い。




とりあえず駅へ、と足を向けていたそれを咄嗟に方向転換しコンビニに駆けて行った高校生を追う。




自動ドアが開き、灼熱地獄から別世界へと変わった涼しいコンビニ内では冷凍ケースの前、先ほどの高校生達が「どれにするどれにする!?」「うまそ!」はしゃいでる。




俺は財布を取り出して。




「なあ、アイス奢ってやるからちょっとさっきの話聞かせてくんね」




なけなしの金を叩いて冷凍ケースの取ってに手をかけた。人数はえーっと1,2、3,4、…おいちょっと多くねえか。だって俺もアイス食いてえし。




――――。




暗闇に染まった道は高校生が言っていた通り血の匂いで充満していた。ジリジリと太陽に熱せられたコンクリートの熱で酷く異様な匂いに変わっていて吐き気がする。




街灯すら無い道の先は暗くて目を凝らしても良くは見えない。




肩掛けにしていたバックがズルル、滑った音が酷くハッキリ聞こえて肩が上がる。




『そういう場所に出くわすと嫌でも分かるよ、俺出くわしたことあるんだ。』



『どんなだったんだよ』



『つい最近だったんだけど、近道して帰ろうと思ったんだよな。街灯少ない道だけど、俺男だしそんなの気にもしてなかったんだよ。っで、だ。急にすげえ異臭がしてきた』



『異臭?』



『血の匂いだった。後は何か良く分かんない。とにかく吐き気がしたよ。それでさ、まさか死体でもあるんじゃねえかって思って急に怖くなったんだよな。』



『うん』



『怖くなったから方向転換して別の道から帰ろうと思ったんだ、そしたら呻き声が聞こえてきてさ』





高校生が物語りでも語り聞かせるようにして身振り手振りしながらも言っていた言葉を思い出す。




異臭に包まれる暗い道の中から言っていた通りうめき声のようなものが聞こえてきた。




「―――っ!…う゛ぅっ」




ヒヤリヒヤリ背中が冷える。察しは大体ついててもそれを見るのには勇気が居る。




『でさ、気になるじゃん?だから見に行ったんだよ勇気出して』



『…』



『男が一人倒れてた。暗いからあんま分かんなかったけど、たぶん全裸だったと思う。血が地面にこびりついてて、倒れてる男を見下ろしてる奴が一人立ってた。すげえ怖かったよ、顔見えねえし。幽霊みてえでびっくりして逃げ出したんだ』



『顔は本当に見てねえのか?』



『分かんない、けど…そうだな、華奢な感じだったよ体つき。だから女みてえにも見えたんだ』







その言葉の通り、コンクリートの壁に手を添えて中を窺えば暗闇の中黒い影がドサリと地面に落ちたところだった。もう呻き声は一切聞こえてこない。




倒れた男を見下ろすようにして顔を下げ、しっかりと立ち上がった人間が一人。暗い道の中、顔まではしっかりとは見えない。




それでも華奢な体つきだったと言っていた通り、女にも見えるくらい華奢すぎる体つき、身長も大して高くは無さそうだ。




どこからどう見ても、それがハチだと俺には分かった。





異臭の中しっかりと立つハチの表情は見えねえのに、何故か薄ら笑いを地面に落ちた男に向けているように見えて慌てて覗き込んでいた顔を引っ込める。




やっぱりハチだった。やっぱりーーーー。




確信へと変わった所で暗闇に染まる血の道から。




「これでもあいつの気持ちは報われねえんだよ」




吐き捨てるようなハチの声が静かに響いた。「クソが」続くようにそう放った言葉に弾かれるようにして腰を上げた。




この場に留まろうか、それとも帰ろうかたった二択を暫く考える。考えた結果―――を出すよりも早く。




トーントーントーントーン。




ハチの方からでは無く別の道から誰かの足音が聞こえてきた。ゆっくりと着実に近づいてくる足音にハっとして顔を上げる。




この場から逃げようとして、慌てて暗い道へと足を向けた。血の匂いに充満した中で立ち尽くしていたハチの元へと駆け出した。




「ハチ」



「……アオ。何やってんの」



「いいからとりあえず来い」



「何だよふざけんな。」




ふざけんなはこっちの台詞だわ。




視界の隅で屍のような人間がチラチラと目に入る。直視は出来ない。ひでえ状態だ。




ハチの腕をむんずと掴み引きずるようにして道から出る。遠くから迫ってくる足音にハチもどうやら気づいたらしく「っち」舌打ちを吐いて俺に掴まれた腕を振り払うと俺より先に駆け出した。




前を行くハチの後を追う。




後ろから迫ってきた足音は俺達の足音に気づいたのかゆっくりだった速度を早足に変え、最後は駆けるような音に変わる。




寸での所で道を曲がり追ってきた足音にはたぶん見られずに済んだけど、さっきの惨状は気づかれただろうな。




走りながらも口を曲げ、先行くハチの背中を追うと、ハチは足を止める事無く静かに一度だけ振り返り。




「アオ、部屋に帰ったら言いたい事があるよ」




残酷な声色でそう言ってきた。




臆する事なくハチの隣に足を速めて追いつく。




「俺も言いたい事がお前にある」

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