■1■
ただの土地の前、俺はあるはずも無い高いマンションを見上げるように顔を上げた。
真っ白な入道雲と真っ青な空がどこまでも広がり、ジリジリと暑い太陽の日差しに目が眩む。
被っていた帽子のツバを片手で下げて「はあ」短い溜息を吐き出して、ただの土地である草を片足でバサリと蹴り飛ばす。
この場所が本当は現代の俺の帰る場所だった。セキュリティが強いマンションの入り口はオートロックで、鍵を開けてから中に入りエレベーターで上へと上がる、目的の階で止まり廊下を進む、インタホーンを鳴らすと彼女が…。
「生き地獄だ」
ここはそう、生き地獄だ。
両手で頭を抱えてその場にしゃがみ込む。暑さと不安感で頭がガンガンと痛い。
若かりし頃の宮根の家で世話になる事数日、ただダラダラと過ごすわけにもいかず元の世界に戻るための手がかりは無いかと色々探してはいるものの何一つ見つからない。
最悪、車に突っ込んでみるのはどうだと提案した俺に空は本気でブチギレた。最終手段はそれしかねえだろと半分喧嘩しかけた俺達をカズが慌てて止めたのは昨夜の出来事。
どちらもたぶん余裕が無い。
「帰りてえっ」
あっちがどうなっているのかは全く分からない。時間が進んでいるのなら捜索願いとか出されてるのだろうか、そしたらあいつ心配してるだろうな。
帰りたい、帰りたい、本気で帰りたい。
こんな経験きっと二度と出来ない事だろうし、貴重な体験だよと言われればそうかもしれないけど俺はウンウン本当にそうだね!なんて頷けない。
体験したもののみが知る地獄がここにある。
頼れる両親が存在しているのに頼る事は出来ねえし、まだ俺達の“両親になってない二人”なんだから近づく事もなかなか出来ない。
知り合いはいたけど結局は偽らなければいけないし。
最初こそ間違ってカズの前、「そら」と兄貴を呼んでしまいそうになったけど今では「クウ」とあっさり呼べるようになった。でもこれは悪い事だと思う。このまま名前すら違うものにすり替わって、俺達の居場所もこのままになって、一日一日経つ事に不安感が大きくなる。
宮根の事も、宮根ではあるけど頼ってはいけない宮根であって、だから俺の中では宮根と言う男では無くてカズと言う男で認識するようになった。
それが物凄くーーーーーーーーーーー怖い。
ある意味別世界。
いつまで続くのか、どこまで続くのか全く不明の世界だ。――――――――――と、そんな時だった。
「またさくらと喧嘩したの?飽きないね。」
「俺はそんなつもりは無いんだけどな、あれで意外と嫉妬深い女なのよー。たまたま女に話しかけられてるの見て拗ねやがって。可愛いんだけどねえ」
あの日、聞いたあの声が俺の立つ道の先から聞こえてきて慌ててそちらへと視線を滑らせる。
学生服に身を包む若い親父と慎の親父が談笑しながらもこちらへとやってくる姿を捕らえた。どうやらサボリらしい、まだ学校が終わるにはたぶん早すぎる。
会話に出た【さくら】と言う名前は母さんのものだ。
親父と母さんはこの頃から付き合っていたのかと納得しながらもすれ違うのは危うすぎると慌てて適当に道の先へと足を動かす。
少し離れた後方から親父達の声がまだ聞こえてきた。
「どうして上手くいかないんだろうね、お互い好き合ってるくせに」
「さくらが嫉妬深すぎるんでしょうー俺のせいじゃねえよ」
「どうだろうね、海だってさくらの前で色んな女に話しかけられすぎてると俺は思うよ?」
「瑠可ちゃんひっどいねーその現場見てるくせにそういう事言う?あれは俺から話しかけてるんじゃねえだろ、」
「でも、海の事好きなさくらからしてみれば面白く無いよね」
「もうちょっと協力するとかねえの?応援してくれよー」
「応援してるよ?してるけど、ほら、俺が口出してもさ」
会話の流れを読み取って、俺は動かしていた足を止めて適当に自販機のジュースを買う振りをして機械の前へと移動する。
視線だけでこちらにやってくる二人を捉えるとクリーム色の緩いパーマがかった髪をガシガシと乱す親父は空と似た表情で困ったように笑ってた。
その隣を歩く慎の親父は黒髪を無造作に整えていて、慎とはまた違った顔立ちだが綺麗な事には変わりはない。俺達の親父を慎の親父はまるで息子でも見守るような表情で見つめてる。
「他の女なら上手くいくんだろうけどねえ。どうにも愛してる女の扱いは難しい」
言う親父に「だろうね」と笑う慎の親父。
帽子のツバで顔を隠すように下げながらも自販機の投入部分へと指を滑らせた。
「好き合ってるくせにまだ付き合ってない意味が俺には分かんないんだよね」
「それは俺が一番分かんねえよ。言っただろ、去年告白したら保留されてそのままだって。あいつこのまま無かった事にするつもりなんじゃねえの?困っちゃうねえ」
そう言った二人が丁度俺の後ろを通り過ぎた。
どこに向かっているのかは定かじゃないし、追おうとも思えない。
たった一つ、引っかかる事があった。
―――――――まだ、付き合ってねえのか?
好き合ってるくせにまだ付き合ってない意味が俺には分かんないんだよね。そう慎の親父が言った言葉を頭の中で反芻させる。
自販機の投入口から指先を離し、先を行く二人の背中を視線で止めた。
そちらに一歩踏み出して、いやと考え後退する。
「さくらにもう一回告白してみたら?」
「それで次こそ振られたら俺は立ち直れないかもしれねえわー」
「まさかそんな」クスクスと笑う慎の親父を隣を歩く俺達の親父は一瞥し、「笑い事じゃねえんだよ」肩をすくめていた。
二人はゆっくりと先の道を進んでいき、何の前触れも無く角を曲がって消えた。
そうか、親父はまだ母さんと付き合ってねえのか。そうなのか。顎に手をかけ、誰も居なくなった道に立ち尽くしながらも考えてみる。
ジリジリと照りつける太陽の熱で頭は少しだけボンヤリしていた。
付き合って…―――――そう考えゆっくりと二人が消えた先とは逆方向へと歩きだす。まだ顎には手をかけたまま少しだけ悩み、その手を下ろした。
空に話さねえと、そう思った時には既に駆け出していた。
―――――。
ピンポーン、鳴る呼び鈴に風呂場へと向けた足を戻し玄関先へと移動する。この時間、まだ若い宮根が帰ってくるのは早すぎる、となれば弟か。
かけてあった鍵を開いたその瞬間。
「そらっ!!!」
息を切らした弟が部屋の中へと飛び込んできた。
ゴツンッ!後頭部が床とこんにちはだ。
あまりにも勢い良く入ってきたものだから翼が被っていた帽子がふわりと脱げ落ちて乱れに乱れ切ったダークブラウンの髪先があっちにこっちに遊ぶように跳ねていた。
俺を押し返し飛び込んできたものだから背中から後頭部にかけて床にひっくり返った俺の前で翼が両手を床に着いて乱れる呼吸を整える。
頭が、痛え。
「何だよ、」
「おや、っ、親父に会ったんだ」
「…お前まさか話したのか?」
聞くと翼はまだ呼吸を乱したまま心臓を片手で押さえ頭をブンブンと横に振る。
この暑さの中、全力疾走してきたのだろう、酸欠状態にも近い翼の背中を撫でてやりながらも「麦茶持ってくるか?」聞くが弟はいらないと頭を振って。
「親父と母さん、まだ付き合ってねえらしい」
やっとの事でその言葉を吐き出した。
翼の話によると親父と慎の親父が歩いているところ聞き耳をたててその話を聞いたらしい。親父達がいったい今いくつなのかは分からないが、そうか、まだ付き合ってねえのか。
親父はその会話によれば明らかに母さんの事が好きなのに母さんが保留している意味は何なんだ。
「もしかして、母さんと親父が付き合えば俺たち帰れるんじゃねえかなって思って」
「……それも一理あるのかもしれねえな」
確実にそうとは言い切れないが、それに縋るしか今は手が無い。
それにここに来てすぐ親父に会って、そんな話を翼が聞いてきて、タイミングがたまたま良かったと言われればそこまでだけど。
「だけど一理あるかもしれねえって言ったって、ヘタに近づきすぎると…」
「でも近づかねえと二人の仲、取り持つキューピットになれねえだろ」
「お前キューピットって…」
もっと他に言い方は無かったのか。
「そう言えばこっちで母さんに会ったりしたか?」
「いや、会ってねえ。親父と慎の親父には会ったけど」
「だよな。そもそも母さんって昔どんなんだったんだ?」
「俺に良く似てたって親父が話してた、顔は知らねえけど性格は母さん譲りだなって」
つう事は結構口汚い“女の子”なわけね。
体勢をしっかりと立て直し玄関前で胡座をかいた俺は顎に手をかける。
そんな俺の前、翼はあっちにこっちにと跳ねた髪を持っていた髪ゴムで適当にサイドを後ろで結び額から流れ落ちる汗を拭い取った。
こいつそのうち熱中症とかにならないだろうか。
「母さんがどんな奴なのか知る必要があるな、けどどうやって見つけるか」
「学校乗り込んでみるか?父兄の真似して」
「本当バカだな翼。ちょっと頭冷やして来い、熱くてのぼせてんだろ」
「言っておくがお兄ちゃん、これで正常だ」
「もーどうしようー兄ちゃんまじでお前のこの先が心配だ」
「それか、親父の後を着けてみるとか!」
「危ういやり方だな、ストーカーだと間違われたらどうすんだ」
「違います!俺は…将来誓い合った彼女が」
「どうやって証明すんだ」
「致し方ねえ、その瞬間だけ空が彼女役やれよ。」
「彼女って、無理な話だろ。だったらお前が女装して彼女役しろ。とにかくこんなバカみてえな話は置いておいてだな」
よいしょ、話を置いておくように両手を一旦右へと滑らせてから自分の足首を掴む。
「とにかく毎度毎度追いかけてたら絶対危うい。大体親父を見つけられるかも、」
「学校の帰り道だよ。それに親父の前の実家は知ってるから、その近辺探ってりゃ絶対そのうち会えるだろ」
「それは…まあ言えてるな」
何となく癖になりつつある、携帯の時間チェック。カズはそろそろ帰ってくるかと確認したが、この世界に来てから俺の携帯も翼の携帯もうんともすんとも言わなくなった。
壊れたのか、そうでは無いのか。
何の意味も無かった携帯を押し込み、ソっと顔を上げて弟を確認すると弟はやっとやっと希望の光を見つけたような表情をしていた。
帰りたくて帰りたくて堪らなかったんだろう、それは俺も同じだ。
「分かった、じゃあその近辺をとりあえず歩いてみるか。ただし深追いは絶対すんな。」
「分かってる」
「母さんと親父の中を取り持つって言ったって一気に間合いを詰めたら失敗するんだからな」
「分かってる」
うんうんと頭を振る弟がやけに素直で気持ち悪い。
何か企んでるんじゃねえかとも思ったがどうやらそうでは無いらしい。翼も翼で失敗は許されないと良く分かっているようだ。いつも突っ走ってた弟だが卒業してほんの少しだけ成長したらしい。
「明日から、探してみよう」
「うん!」
そう言った俺達の言葉を待っていたように玄関扉がガチャリと音をたてて開いた。
強面な学生が顔を覗かせて玄関前に座り込む俺達双子を不思議そうに見つめてる。
「お前ら何やってんだ玄関で」
「暑くてぶっ倒れてたんだよ。おかえりカズ」
「おう、ただいま」
飯にしようぜ飯に!立ち上がった翼が俺の隣をするり抜けて行く、その横顔はやっといつもの弟の笑顔だった。
帰りたいと願う俺達双子にやっと小さな希望の光が差したような気がしてた、けれどそれは前途多難な光だったと知るのはすぐ先だ。
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