第50話

森本さんの腕に包まれた事に気付いたのは、多分10秒くらい経ってから。

どうしていいのか解らず、あたしは固まってしまった。

そのまま秒針は時を刻んでいく。


そんな時。


「とりあえず、落ち着け」


聞きやすい声が、耳にしっかりと届いた。


太ももの間から、お尻がゆっくりとソファーに辿り着く。

体は更に森本さんに密着して、背中から森本さんを感じている。


森本さんの声で落ち着いたあたしは、小さく頷いた。

流れていた涙は、驚いていた拍子に止まっていたようだ。


「ゆっくり、呼吸をしてみ」


耳のすぐ近くで、森本さんの声がする。

それが何だか恥ずかしくて、顔が赤くなったのが解った。

…別に何かを意識してる訳じゃない。


言われた通り、やや大きく息を吸って吐いてみた。

2、3回程繰り返すと、先程よりも気持ちも心も落ち着いてきた。


そんなあたしを察したのか、あたしを包んでいた腕に力が入った。


「悪かった」


何に対する謝罪なのか解らず、あたしは首を傾げる。

何か謝られるよう事はされていないし、言われてもいない。

むしろ、謝らなきゃいけないのはこっちの方だ。


「こっちに来て、まだ何も慣れてないのに、いろんな事を言っちゃって。

 もっと色々、気にしてあげてたら良かったんだが…。

 口出し出来る立場じゃないから、静観するくらいしか出来んくて」


あたしは大きく首を左右に振る。

森本さんは、何も悪くない。

ちゃんと出来てなかった、あたしが悪い。


「一気にあれもこれもなんて、出来ないよな。

 何から手を付けて、どんな風にやっていけばいいかなんて。

 度胸だけで、何とかなるって訳じゃないのに。

 もっとこう…助けになるような事が出来たら良かったんだが…」


「…森本さんが謝る事、何もないもん。

 あんなに大口開けて、大きな事ばかり言ったのに、何も出来てないあたしが悪いんだよ」


あたしの言葉を聞いた森本さんは首を振る。


「傍にいるのに、ほったらかしにしてたのは悪いと思ってる。

 最初は放っておいていいって思ってたけど…。

 周りから『気に掛けてやれ』って言われて。

 言われたから、気に掛けたのと言われたら、返す言葉もないんだけど。

 けど、全く気にしてなかった訳じゃない。

 …って言い訳だよな」


いつもの距離を感じさせるような声のトーンじゃない。

優しい声が、心を撫でてくれてるみたいで心地いい。

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