第98話

「薫?」


不意に名前を呼ばれ、我に返る。


「どうしたの?

 ぼ~っとしちゃって」


「透子さんとの(衝撃的な)出逢いを思い出してた」


「あたし、本当に薫の事は男だと信じて疑わなかったけど、裸を見てやっと納得したというか」


「体つきとかで解らんかねえ」


「声も低いし、仕草も男の人みたいだし、胸もな…」


「それ以上は言わなくていいから」


苦笑いを浮かべながら、薫は煙草に火をつけた。


「この関係が、まさか1年も続くなんて思ってなかった」


片方は一時の快楽を、片方は寂しさを紛らわす一時を。

お互いにそれぞれの生活には干渉せず、それぞれの目的の為に逢瀬を重ねているというか。


きっとお互い、それ以上の感情を持つ事はないと解っている。

揺らぎそうになる時は、心が少しだけ弱っているのかもしれない。


「そういえばさ」


透子が次の煙草に火をつけ、薫の太ももに頭を乗せた。


「最近、結構楽しそうな表情するようになったよね」


意外な言葉に、面食らってしまう。


「…そうかなあ?」


自分では、至っていつも通りで、特に変わった事もない。

これといって思い当たる節もない。


「何て言うのかな、こう、目が生き生きしてるというかさ。

 ちょっと前は、捨てられた子犬みたいな目をしてたのに」


透子の片手が、薫の頬に触れる。


「好きな人でも出来た?」


意地悪な、それでいて少し寂しげな瞳が、薫を見つめる。


「いや、いないよ」


それは嘘じゃない。

想いを寄せる人はいないし、特段仲良くしている人もいない。


「ふ~ん?

 まあ、別にいいんだけどね」


語尾を少し濁しながら、ゆっくりと煙草の煙を吐く。


「…私に好きな人が出来たら、透子さんは寂しがるのかな」


「寂しがらないよ」


「こんなに頻繁に逢ってるのに、つれない事をさらっと言うなあ」


「期待でもしてた?」


「ははは、してないよ」


2人の関係に、心の深くは関係ないのだから。

『友達』にはなれるだろうが、『恋人』になれる訳ではないし、望んでもいない。


嫌な言葉を使えば、所謂『セフレ』

それでも関係性は成り立っているし、双方の欲求はある程度埋められているのだから、文句がある訳ではない。


透子を独り占めしたいとか、同情して関係を続けているとかでもなく、純粋に放っておけないという気持ちの方が強い。

危険な事はしないにしても、自分の目が届く内は見守りたいところもあるが。


「…もう1回しよっか」


彼女の言葉に、苦笑いをもう1度。


「そうだね」


どちらともなく、口唇を重ねた。

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