第2話


 御者に金を払い、ベティは荷物を持ってフィールディングに降り立った。

 ふくよかな土のいい匂いがする。

 彼女は地図を確認しながら、駐屯所へと向かった。

 基本的に、重点的な拠点でない限り、騎士の駐屯所には交替要員で五人ほどいるだけのこじんまりとしたものになる。


「ベティ・ガードナー、本日付でフィールディング駐屯所に赴任致します。どうぞよろしくお願いします!」

「これはこれは。元気な方ですね」


 フィールディングの駐屯所の指揮を務める騎士団長は、すっかりと髪が抜け落ちてはげ上がっていたものの、物腰が柔らかな中にも、歴戦も猛者を思わせる立ち振る舞いだった。腰に剣を下げているため、有事の際には見事に敵を討ち取るのだろうという、隙のなさにベティは感心した。


「ここで一年よろしくお願いしますね。女性はあなたひとりになりますから、くれぐれも用心を」

「ありがとうございます。いえ、大丈夫ですよ。私は女と思われておりませんから」


 そうベティは笑う。

 元々騎士はなにかと貴族の護衛も行うが、貴族令嬢の磨き抜かれた物腰柔らかさと気品のある美しさで目が肥えた男性陣からしてみれば、ベティの腕っ節の強さに、杓子定規みたいな面白みのない性格はきつく見えるらしく、王都にいて女性扱いを受けた覚えは全くなかった。実家には「孫は諦めてほしい」と既に謝ってさえいた。

 それに団長は「いえいえ」と笑ってから、気を引き締めた。


「そんなこと思っている方はおられないでしょう。あなたは充分魅力的ですよ。私に息子がいたら、嫁にもらいたかったくらいです」

「……失礼ながら、団長は独り身で?」

「ええ。どうしても単身赴任の多い仕事ですからね。ついに適齢期に良縁に恵まれることなく独身です。今はこの地で団長を務めておりますが、もうしばらくしたら厄介払いでしょうね」

「失礼ながら、ここにはどれくらいで?」

「ええ。もうそろそろ一年になりますね」

「……ええ?」


 団長は既に五十は過ぎているはずだが、そんな人ですら一年も経たずに追い出される。それがますますもってベティには不可解に思えた。


「……ここは一年経ったら赴任が終わるとお聞きしましたが」

「そうですね」

「なにかあるんでしょうか?」

「……そうですね。まずひとりで飲み歩きに行くのには向いていませんね。ここの村民は友好的ですし、なにかと食事に誘ってきますが、それは断ったほうがいいでしょう。もしものときは、村はずれの魔法使いに頼みなさい」

「……この村に魔法使いがおられるんですか」


 それに団長は頷いた。

 フィールディングに赴任が決まってから、ベティの胸には漠然とした不安がしこりのように残っていた。何故こうも腑に落ちない任務なのだろう。団長がいなくなった場合、誰が団長になるのだろう。

 なによりも、「魔法使いがいる」という言葉が、一番のベティの不安であった。


****


 魔法使いは宮廷魔術師以外は信用するな。

 いつからか王都で住んでいたら言われるようになった言葉である。詳細はよくわからず、ベティは「なんでだろう」と思ったが、それを言い出したのは宮廷魔術師からだったのだから、ますますもって意味がわからない。

 宮廷魔術師は、昼に夜に魔法の研究を務め、有事の際には騎士に同行して魔法で防衛を手伝ったり、魔法医として治療を手伝ったりしている、騎士としてもなくてはならない存在だ。

 一方民間の魔法使いはというと、ベティ視点では「よくわからない」というのが答えだった。

 町の外れには大概魔法使いがハーブを使って薬をつくり、魔法医のような専門職でないと買えないような高価な品は買えなくても、ちょっとした痛み止めや肌荒れの薬ならば、すぐに処方して売ってくれていた。

 真っ黒な服に鮮やか過ぎる真っ赤な髪。そしてころころとよく笑う頬にはいつもそばかすが浮いていた。そんな人懐っこい人々が悪人とも思えなかったが、その人々は気付けば忽然と姿を見せなくなってしまった。

 人は忘れてしまったことを「思い出せない」と焦ることは滅多にない。焦るときは大概は大事なものだったり重要な案件だったりするが、「忘れたな」で済まされることは、大体はそこまで重要じゃないものだ。

 魔法使いたちの姿が見えなくなったとしても、ほとんどの王都の人々は「気付けばいなくなってたな」と思うくらいで、次の瞬間にはもう忘れている。

 いつしか、なにがそこまで宮廷魔術師は魔法使いたちを敵視していたのか、なにをそこまで宮廷魔術師たちが迫害していたのかの疑問は、皆忘れてしまった。

 結局、どうして魔法使いたちが迫害されたのかは、誰も宮廷魔術師たちに聞くことがなかったのである。

 だからこそ、ベティはここに来て民間の魔法使いがいると団長に紹介されたときは、思いっきり鉛を飲み込んだ気分になったものだ。


(別に私が追い出した訳ではないけれど……王都に住んでおきながら魔法使いに会いに行くというのは、気まずい気がする)


 フィールディングの村の散策は、人がまだ起きてこない夜明け前にしなさいと団長に口酸っぱく言われ、結局は先に村はずれに住むという魔法使いに会いに行くこととなったのだ。

 村はずれには、木に紛れ込んでしまったらまずわからないような、掘っ立て小屋が存在した。近くには井戸。家の周りには、よくわからないオブジェやら、適当に藁で編んだカカシやらが立てかけられていて、不気味さと奇妙さを醸し出していた。


(……王都にいた魔法使いたちには、こんな変な趣味はなかったと思うが)


 迫害されていなくなるまでは、町の外れには必ずいて、子供たちに親切にしてくれていた魔女たちを思い返し、気が重くなりながらも、ベティは扉を叩いた。


「すみません。しばらくフィールディングに赴任することとなった、王都近衛騎士団の者です! 顔合わせをしてきなさいと団長に言われたのですが!」


 返事がない。

 ベティはたびたび顔を合わせる宮廷魔術師たちのことを思った。彼らは基本的に勤勉だが、勤勉が過ぎて寝る間も惜しんで研究に励み、ときどき周りが食堂まで叩き出さないと、食事すら忘れていることがある。

 空腹で落ちくぼんだ目をギラギラとさせる様は、なかなかにシュールだ。

 まさかと思うが、ここの魔法使いも空腹でも研究に精を上げているのではないか。そう考えたらいてもたってもいられず、思わず扉をもうひと際大きく叩いた。


「すみません! 起きてらっしゃいますか!? 食事はなさっていますか!? ご無事ですか!?」

「ふぁあ……最近の王都の騎士って、こうも生真面目なんです~? ちょっと遅れただけで、こんなに扉を割れんばかりに叩かれたの初めてですよぉ……」


 そう言いながら出てきた人を見て、ベティはしばし見とれた。

 ひょろりとした体躯で、黒いローブをまとっている。下は黒いケープだ。そして赤い髪を乱暴にひとつにまとめた男性は、長身のベティとだいたい同じくらいの身長をしていた。


「おやあ……久々ですねえ。女性の騎士さんは! ようこそ、フィールディングに!」

「……ありがとうございます」

「結構結構。生真面目で実直。髪ひとつに乱れがなく、声も大きい。これならば大丈夫でしょう」

「……なにがですか」

「いえね。ここって少々呪われた地ですから。あんまり綺麗で可憐で華奢な女性に滞在されたら困るんですよね」


 それにベティは半眼になって睨んだ。

 綺麗でもなければ可憐でもなく、日頃から剣を振り回して戦っている自分が華奢な訳もない。騎士としてどれもこれも褒め言葉ではあるものの、女としての矜持を初対面で思いっきり傷付けられた。


「……あなたの名前を聞いておりません。私はベティ・ガードナーです」

「おやおや、ここまでけなしても態度を崩しませんか。結構結構。僕ぁテレンス。テレンス・オルムステッドと申します。一年間どうぞよろしくお願いしますね」


 そう言ってにっこりと笑ったことに、ベティはなにかが引っかかった。


(……まあ、この村に住み着いているんだったら、王都からの騎士が一年ごとに交替なことも知っているのか)


 自分より年上らしいこと以外なにもわからないテレンスを睨みながら、ひとまずは顔通しだけはさっさと終わらせることにした。

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