第3話 青天霹靂

 テーブルの上に置いてあった黄色いチョークをつまみ上げて、彼は部屋の奥へと向かった。機械に囲まれた小さな丸テーブルの上に、ケースに入れたチョークを置いて立ったままパソコンで操作する。

 ヘッドセットをつけて何度か風見さんの名前を呼んだけれど、諦めたように一息ついた。


「深山さん、ちょっとこっちに来てくれるかな?」

「え? はい」


 私は素直に従った。五センチほどの段差に足をかけたところで、ピピピピと機械が音を立てる。


「おっと。ストップストップ! ちょっと待ってね」


 何故か嬉しそうに、佐伯さんがキーボードを叩き始めた。


「なるほど。勝手にシンクロしちゃうのか。でもそれで通信障害が……」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、しばらくあちこちと機械を触ってはパソコンに向かう。手は休めずに、少しだけ佐伯さんはこちらを見た。


「貴女には、風見さんを迎えに行ってほしいんだ」

「迎えに……?」


 間抜けにオウム返しをした私に、佐伯さんはつまんだ何かを見せて、ひょいと放り投げた。受け取って見れば、ワイヤレスイヤホンだ。


はね、出来る人が少なくて。才能なのか、体質なのか……まだ研究段階でね。過去ではその場に無関係な人があまり長く居ると、必要な情報に置き換えるために元の意識が薄くなっていく、という症状が出やすい。今回、風見さんは用務員さんの動きをトレースしてくれてると思うし、場数も踏んでるけど、できるだけ早く連れ戻したい。彼は貴重な協力者だからね」

「意識が薄く……」

「夢みたいだって、深山さんも言ったよね。自分と、他人の境が曖昧になる感じ」

「え! じゃあ、取り残されたら……」

「こちらの自分を忘れて、過去の人物として暮らすことにもなりかねない」


 私は知らない生徒たちが仲間だと感じたり、自分が「サヨコ」だと受け入れてしまう感覚を思い出して、鳥肌が立ちそうな両腕をさすった。


「怖がらせてごめんね。リスクはあるんだけど、貴女はお婆さんの身内で、その制服は当時のものだ。情報的にはあまり齟齬がない。目的をしっかり持っていれば、自分を見失う確率は低いと思う。何かあった時のために多めに帰還用の道具どんくりを渡すから、危険そうだったらいつでも使って」


 そう言って、佐伯さんは四角いケースに四つどんぐりを入れて渡してくれた。


「無理強いはできないんだけど……そのイヤホンで僕がちゃんと誘導ナビゲートするからさ。風見さんに会ったら、あとは彼に任せればいいよ」

「え!? これ繋がるんですか!?」

「ふふん。電波は時を超えるんだよ」


 自信たっぷりの笑顔に、何度も使ってるんだなと感じる。

 おじさんは、何も知らない私を助けるために、迷いもせずにどんぐりを渡してくれた……妙に急いで、説明も省いた理由がじわじわと身に染みてくる。


「……行きます」


 佐伯さんの言ってることはよく解らないし不安もあるけれど、時間旅行という非日常に好奇心が勝った。

 こんな素人に頼むのだ。本当に切羽詰まっているに違いない。託されたなら、やってやろうじゃない!

 イヤホンを耳に突っ込んだら、佐伯さんはにやりと笑った。


「うーん。頼もしい。じゃあ、ゆっくりその台の上に上がって」


 段差に足をかければ、機械が音を立てる。早くなったり、遅くなったり、不安定な音が響く。等間隔になるまで休まず指を走らせて、佐伯さんは汗を拭った。


「これで大丈夫そうかな……もう少しケースに近づいて。カウントするよ。三……二……いち!」


 なんだか慌ただしく、心の準備をする間もなく、辺りが眩しい光で満たされた。



 *



 ザザっと耳元で雑音がして目を開けた。

 生徒がずらりと並んでいて、手には何か持っている。マイクでの掛け声に人が動き出した。

 どうやら講堂で、卒業式の直後のようだ。

 前回と違う場所に不安になりつつ人の流れについて行くと、イヤホンから声がした。


『深山さん、聞こえる? 話せない状況だったら、イヤホンを爪でコツコツして』


 指示に従えば、ホッとしたように佐伯さんが息をついた。


『よかった。後で隙を見てトイレに行くとか、話せそうな場所に移動してみて。それまでは現地の流れに逆らわないように』


 コツコツと了解を示して、私も気持ちが軽くなった。声だけとはいえ、安心感がすごい。

 辺りを見回せる余裕もできた。残念ながら用務員さんは見当たらなかったけれど。

 このあと、最後のホームルームで、解散した後は教室に残ってみんなで黒板に寄せ書きする。前回も用務員さんが声をかけに来たから、最悪それを待っていればいいはずだ。

 十分ばかりの自由時間を告げられ、私は教室を出たのだけど、廊下にもトイレにも思ったよりも人がいた。

 仕方なく隣の音楽室にそっと入り込んでみる。廊下の喧騒から離れて、いい感じだった。


「……佐伯さん?」


 あまり声は張れないので、聞こえるか心配だったのだけど、応答はすぐにあった。


『聞いてるよ。どんな感じ?』

「えっと卒業式直後で、トイレタイムです。前回より少し前の時間帯みたいで……」

『うん。あんまり問題はないよ。そのまま、用務員が呼びに来るまでのんびり待ってもいいし。あんまり動くとすれ違っちゃうかもしれないから、確実に行こう』

「わかりました」


 教室に戻って担任の話を聞き、花束贈呈で泣かせて、そういうところは今も昔も変わらないんだなと感慨深い。

 最後の挨拶を終えて、廊下でたむろしたり、教室に戻って記念撮影したり、黒板に寄せ書きを残そうって話になっていく。


「サヨコ」


 友人が、黄色いチョークを持って私を振り返った。ここからは知った流れだ、と、手を伸ばした時。


「時川さん」


 私の肩を誰かが掴んで引いた。


「時川小夜子さん。ちょっと、お話が」


 そのまま腕を引かれて、教室から連れ出されてしまう。

 えええ? ナニコレ? 前回と違わない!?

 教室からはヒューヒューと下手くそな口笛や、はやし声が聞こえてくる。足を止める気配がないことに私は焦った。


「ちょっと、あの! どこにいくんですか!?」


 用務員さんが来るまで教室から離れたくない。廊下くらいならいいけれど、と、相手を見れば、見たことのない少年だった。


「どこって……海」

「海!?」

「見たいって、言ったじゃないか」

「ええ? いつ?」


 有無を言わせず引かれる腕が痛い。

 階段を下り始めた少年の足は段々速くなり、足がもつれそうになる。


「待って。危ない。私……」

『深山さん。もし、自分が危ないと思うのなら、どんぐりを使って』


 佐伯さんの声に、あ、そうかと気を取られ、こけそうになった私を少年は抱え上げた。そのまま階段を駆け下りる。


「ちょ……放して!」

「一緒に海を見よう。それが夢だった」


 息を弾ませ、階段を下りきり、廊下へと角を曲がる。校舎の外に出るようなら使おうと、私はポケットに手を伸ばした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る