タイムマシン博物館(短編)
ながる
第1話 不法侵入
三角山の頂上には、大きな四角い廃墟がある。
屋根は崩れて、元は何階建てだったのかもわからないが、少なくとも二階の床までは残っていた。周囲は高い塀で囲まれていて、勝手に人が入り込めないようになっている。
私は、そのそばにある、屋根のない東屋で町を見下ろすのが好きだった。大きなハルニレの木が夏でも日差しを遮ってくれているのだ。
山とは言っても、低学年の遠足で目的地に選ばれるような小さなもの。隣町の海まで見えればもっと頂上まで来る人もいたのだろうけど、八合目の原っぱが小学生のたまり場で、それより上ではめったに人を見かけない。
昨日まで建っていたビルが壊されて、寂れ始めた馴染みの町がまた少し違う景色になった。最近できた新しい建物と言えば、山裾の団地跡にできた、なんとかいう胡散臭い研究所くらいだ。
ぴょん、と立ち上がり、セーラー服のスカートを払う。
風は心地よいが、葉だの小枝だのを落としていく。ついでに点数の悪かった数学のテストも飛ばしてやりたかった。顔見知りしかいないので、やらないけれど。
ふんだふんだ。
今どき計算は機械がやってくれるのよ。
高い塀に沿って山を下り始めれば、珍しく人とすれ違う。ベージュの
大あくびをしていたので、昼寝場所でも探しているのかと好奇心で振り返れば、塀の中へと入っていった。
正確に言えば、塀に取り付けられたドアの鍵を開けて、中へ入ったのだ。
あのドア、開くんだ?
錆びついて、雑草に覆われそうになっているその扉の向こうに、今更ながら好奇心が湧いて、私は少し駆け戻った。
そっとドアに手を添えてみても、ザリザリした手触りだけで開く気配はない。
お腹もすいたしな、と後ろ髪惹かれつつ諦めたのだった。
*
それから数日は友人と放課後を過ごして、おじさんと扉のことなどすっかり忘れていた。転校生がくるらしいとの噂が学年を席巻していて、男か女か賭けが始まったり。
そうやって二日ばかり日を開けてから何気なく三角山へと足を延ばせば、ふもとの『なんとか研究所』の入り口に、ベージュの作業着姿の人が数人溜まっているのが見えた。ああ、おじさんはここの人だったのかと、見覚えのなかった服装にも納得がいった。
と、いうことは、あの廃墟は研究所のものなのだろうか。土地を手に入れて、いよいよ解体するとか……
東屋は修繕して残してほしいものだが、下手すると頂上は立入禁止になってしまう可能性も?
それは嫌だなー、と、山道をだらだら登る。
上に作業着の人が誰かいたら聞いてみよう。
そう、心には決めていたのだけど、当の扉のところまで誰にも会わなかった。
ただし。
扉は壊れていた。
ちょっとだけ呆然とする。二日の間に何があったのか。
今は四角く口を開けているだけの壁に近寄って、そっと中を覗き込む。
「……おっと」
目に飛び込んできたのは、制服だった。鼻先をグレーのブレザーの生地が掠めていく。
お互い反射的に一歩引いて、顔を見合わせた。
市内の高校の制服ではない。都会の匂いがする(勝手なイメージだけど)。
生徒会長でもやっていそうな、真面目そうな顔がにこりと笑う。
「ごめん。人がいるとは思わなかった。中は危ないよ」
そう言って、その人は私を避けて出て行った。
危ないというところで、他所から来た人が何を?
坂を下っていく背中を少しだけ目で追ってから、今度こそ、中を覗いてみた。
雑草が生い茂り、見通しは悪いけれど、建物へと続く獣道がある。
迷ったのは三秒くらいだった。
立入禁止の札はないもんね。と、素早く体を滑り込ませる。
踏みしだかれた道を辿って行けば、やがて建物の正面に出た。
建物自体は思ったほど崩れていなくて、正面にはほとんどに板が打ち付けられていた。
一か所だけ板が無く、内部の黒い影を押し出している。
草や木の根に持ち上げられて、デコボコになった石畳を慎重に歩いて近づき、そっと中を覗いてみた。
側面の窓も板が打ち付けてあるのか、中はだいぶ暗かった。隙間から差し込む日差しが、浮遊する埃をキラキラと映している。じっと目を凝らしていれば、中の様子も少しずつ見えてきた。
何も無い。
だだっ広い空間は体育館のようでもあり、ただし床はタイル張りだった。
廃墟にしては瓦礫なんかもなく綺麗だ。天井に照明は見えないけれど、しっかりとしていて崩れたところもない。
「なんじゃこりゃぁ!」
突然の大声にリアルに身体が飛び上がった。
思わず中に入り込み、入り口横に身を縮こませる。ザクザクと草を踏む音に心臓が早くなった。見つかったら怒られる自覚があるので、つい身を隠してしまったけれど、何も無い空間では見つかるのは時間の問題だ。
どうしよう。外で素直に見つかっていた方が良かったかもしれない。
でも、すでに体は中だ。
往生際悪くどうにかならないかと目を凝らし、そして私は見つけた。左手の隅に手すりが見える。地下へと下りる階段だった。
暗いとか怖いとかよりも見つかって怒られる方が嫌だったので、私は何も考えずにそこへ走った。手すりは丸くカーブしていて、螺旋階段のようだ。先は真っ暗で見えないが、つまり、少し下りてじっとしていれば見つからないで済むだろう。
手すりだけを頼りに少し駆け下りて、しゃがみ込む。
近づく足音はやがて建物の中へと入ってきた。
「誰か居るか?」
反響する声は奥へと向かっているようだ。緊張か、暑さでか、首筋を汗が伝った。
一定の速度で聞こえていた足音が止まる。
そのまま出て行け出て行け。
が、パッと周囲が突然明るくなったことで思考が停止した。
電気つくのぉぉぉ!?
廃墟ではなかったのかと焦りは増し、近づく足音に身体が逃げた。
つまり、下へ。
螺旋階段を下りきり、その部屋を見渡して足が止まる。
上のホールの四分の一くらいの狭い部屋。隠れられそうなところはない。床の上に直接透明なケースがいくつか置かれていたのだが、一番近いものを覗いてみても、錆びたネジが一本入っているだけだった。
ナニコレ。
自然と次のケースに足が向かう。
これには折れたチョーク。普通の、白いやつ。
次は――と向かいかけて、降ってきた声に今の状況を思い出した。
「こら! そこで何してる!」
伸びた背筋を今度は少し丸めて、私はおそるおそる振り返った。
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タイムマシン博物館(短編) ながる @nagal
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