第54話
「————————…貴女に」
この感情についた名を噛み締めながらそう核心を告げて、ただぼんやりとその頬を撫でる。
生まれて初めて触れた…男の自分とは違うその肌の柔らかさに、もっとと思ってしまう衝動を必死で抑える。
「…わた…し…?」
絞り出しされたような声に微笑んで、頷く。
そう、他の誰でもない…貴女に。
——————————私は心奪われた。
だから。
「…それなのに、待ち望んだ祝言の日に側室をとれだなんて言わないでください。断じてお断りします。そんなもの。…貴女に言われると…とても辛い」
待ち望んだ、祝言。
私がその言葉を言った瞬間に、姫は両手で口元を覆う。
その目に夜目でもわかるほどに涙が溜まっていくのを見て…心が張り裂けそうになる。
本当に悪いことをしたと、ただただ申し訳なくなる。
「…真、ですか…?」
涙声で尋ねてくる姫に、ただ許してくれと願うように頷いて見せた。
「…許してください。きちんと私が伝えなかったから。どれだけ…不安にさせてしまっていたでしょうか」
罵倒して、もっと怒ってくれてもいいのに。
ただ姫は涙を堪えて首を横に振る。
そしてぽつりと呟いた。
「…この婚儀…仕方なくだったのでは…?貴方様は…ただ…父上の
そう言いながら、溢れ出した涙が。
嬉しいと思ってしまう。
仕方なくではないと私に言ってほしいと、まるで甘えるかのように願っているのが手に取るようにわかって。
—————————愛おしくて堪らない。
そう思った瞬間…生まれて初めての恋では、歯止めなんて効かなくなる。
あっけなく、陥落する。
「…確かに、この婚儀は島津のこれからの為に義父上がお決めになったこと。貴女が言うように、全てがこの肩にかかるのも事実」
気づけば感情のままに勢いよく抱き寄せてしまっていて、そのか細さと柔らかさに鼓動が高鳴る。
それを抑えるように目を閉じた。
「そして当主の座なんて私には務まらないほどなのも事実です。…正直本当に恐ろしい。…気が狂いそうなほどに。…ですが」
全てが天命で、そして宿命だと受け入れようと思っても、その大きさにふとした時に足が竦む思いに苛まれるのは…抗いようのない事実。
それでも…。
さっきも、家臣皆の前で家督相続の言葉を述べた時…ただ貴女が傍にいてくれたこと。
…………心強いと思った。
ゆっくりと身体を離すと、泣いて俯くその顔を覗き込んだ。
今度こそ目を見て、伝えたくて。
———————————私の赤心を。
「…共に歩んでくれるのが貴女だと思うと心が楽になって…
いつしかこの日を待ち侘びていました」
待ち侘びていた。
この春の日を。
貴女と…夫婦になれるこの祝言の日を。
「…隣に、ずっといてくれるのでしょう?」
一瞬、その答えを聞くのが怖いと思ってしまったけど。
ただそっと、姫は頷いてくれた。
「よかった…。
それなら…宗家の家督でも何でも継いでみせましょう。
もう何も怖くはない…」
笑って欲しくて、戯けてみせる。
「…はい…っ」
そう言って、その大きな瞳からぽろぽろと涙が溢れていく。
その涙すら、愛おしくて。
触れたくて。
…もう、泣かないで欲しくて。
この指先で、拭う。
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