第52話

「…それを聞いて…





—————————私もすごく嬉しかった…」





    











ありのままを伝えよう。







あの日の言い知れぬ感情。




 



すぐにはわからなかったけど、あれから何度思い出しても…そう言ってくれたこと、ただ嬉しいと思ったのだから。







ちらりと姫を見るが、私の言葉を信じられないといった表情で聞いている。






それに己の浅慮さをひしひしと感じさせられ、苛立ちを覚えた。






 




「…本当に、全て私が悪いですね。あの時はっきり言っておけばよかった。…己の馬鹿さに腹が立ちます。………この馬鹿は父譲りだと思うと余計に腹が立つ」












「…義父上様…ですか…?」









姫のきょとんとした表情に、思わず父上のことも口に出してしまっていたことに気づき少し焦る。







だが、この際だから語り草にしてしまおうかと思った。










「…はい。…私の父はですね?家臣の娘を正室に上げました。政略結婚でもなんでもない。むしろ身分が低い者を正室にした。それが…私の母です」


 






「…存じております。広瀬様…」








「えぇ。所謂いわゆる…この戦乱の世に恋愛結婚です。恥ずかしくてあまり言いたくはないのですが」








月を見上げて、小さく息をく。








「生まれとしては側室が精一杯。なのに正室に上げるために父は必死だったそうです。身分が上の家臣の養女としたり、それはもう。大根を洗っている所に惚れたと未だに恥ずかしげもなく私達子供の前でも言っていて」









なんでも良いから、笑って欲しいと思った。





この姫に。










「…それは…仲がよろしい…のでは…?」










戯けて言うと、小さな声で姫が答えてくれる。










「…良すぎるのも困ります」











少し笑ってくれたそれだけで…ただ嬉しい。









「…子供の頃は、母に首ったけの愚かな父だと恥ずかしかった。…内緒ですよ?」










誰も周りにはいないけど、子供が内緒話をするようにわざと人差し指を口元に持っていき、笑ってみせる。








するとこの目に映った姫の表情に…この心は簡単に囚われてしまう。








ただずっと己に問い続け、探し続け、そして漸く答えを導き出した…この感情に。













「…はい。内緒、ですね?」











どうしてか泣きそうな顔をしながらも、それでも同じように口元に人差し指を持っていき涙を堪えるようにしながらも笑ってくれている。












健気なその笑顔を見ることができるのは…









————————自分だけでいたいと思った。













「…どうやら…やはり愚かなのは父譲りのようです」











囚われた感情のままにそんなことを呟いて、不意に視線を外す。








どうしてか、そのままこの感情をぶつけてしまうと…この姫を穢してしまうような気がして。










「…いや私の方が…父上の何倍も愚かだな」








考えて、独り言のように吐き捨てた。










「…久保様?」








ぶつぶつ言っている私が心配になったのだろうか、姫に名を呼ばれ、顔を上げると視線がぶつかる。









その可憐さ、目を逸らせない。













………触れてみたい。


 

 

 





会いたいと願って、漸く手を伸ばせば簡単に触れられる距離にいる…貴女に。


 




  




そんなことを無意識に思ってしまって、ただどうしようもないくらいに胸が高鳴る。







そんなにじっと見つめられては、もういとも簡単に歯止めなんて効かなくなるのに。







そんな事、貴女は微塵も思ってもないのだろうと思うとどうしてか堪らなくなって、思い切ってただ心のままにこの手を伸ばした。 











…その頬に。























「…父とは違い…」





 










私との婚儀を嬉しいと笑ってくれたあの日から、この心が囚われているこの得も言われぬ感情の名。








その名をずっと己に問い、そして探し続けていた。








そして堺で別れたあの日から、ずっと会いたくて堪らなかった貴女に漸く会えた今宵…間違ってはいなかったと思った。






 















この感情の名前は。



























—————————————恋。

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