第62話

振り返るよりも先に、肩を強く掴まれた。


その強さは皮膚に指が食い込む程で、痛みもしっかり伴っていた。



背中に、知り尽くした体温が触れる。


髪が、相手の吐息で微かに揺れる。




綴だ。


背後に立って、私の肩へ手を掛けている人間は、綴で間違いない。




「お返事、聴こえなかったなぁ。」




案の定、彼の声が鼓膜を刺激する。


それも、たっぷりの怒気を含んだ物だった。





「夜ちゃんって呼んだのに、どうしてお返事しなかったの?」




…恐い。



恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。恐い。





「僕にお名前を呼ばれたらお返事をする。僕の方へ可愛いお顔を向ける。僕の元へ速やかに駆け寄る。そんな簡単で初歩的な事をまさか忘れただなんて云わないよね?」



脚が竦む。膝が嗤っている。躰が石化してしまったかの様な錯覚に陥る。




「ねぇ?夜ちゃん。」



肩から手が離される事のないまま、私の正面へと回った相手。


傍から見れば、溜め息を零してしまうまでに美しい笑顔がぶら下がっている。



けれど、私は知っている。


こう云う笑みを見せる時の綴は、手が付けられない程に不機嫌だと云う事を。





私は、知っている。

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