罅
第53話
相手の表情に危機感を募らせたのも束の間だった。
「どうし…っっ…。」
私のリボンタイに指を掛けて引き寄せた男は、その勢いのまま唇に接吻を落とす。
一番後ろの列の左端の席。そこに私達は座っている。
殆どの生徒が前方しか向いていないとは分かっていても、後ろめたいいかがわしい交わりに、冷や汗が噴き出して脈拍も狂い始める。
舌を重ねる激しいそれではないにも関わらず、唇を解放された私の呼吸は荒くなっていた。
その間に脳裏を過ぎったのは、反対側の隣に座っているはずの綴の貌。
恐怖を抱きつつ振り向いた視界には、癇癪を起している綴が映る事はなかった。
スヤスヤと眠りに堕ちている綴の貌に、僅かばかり汗が引いていく。
「ふふっ、怖かった?綴にこういうの見られたら、綴は凄く凄く怒るもんね。」
両肩に手が置かれ、背後から耳元で囁いた悪戯に満ちた声。
口付けをした確信犯の吐息が、頬に掛かって擽ったい。
「その癖に僕が寝ている隙に夜を喰べちゃうんだもん、綴って狡猾だよね。」
やけに棘のある言葉だ。そう思った。
視線だけを泳がせて周囲を見ても、他の生徒は皆一様に前を向いていて誰も私達の一瞬の接吻を目撃してはいないと判断する。
「綴は大切だけどね、僕にとって夜は綴よりもずっと大切なんだぁ。」
安心できる暇なんて与えてくれない語の声は、まるで円舞曲を踊っているみたいだった。
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