木犀たちのオーバード

根占 桐守(鹿山)

第1話 金木犀の独奏

 暴力と音楽。

 これは、相反する二つの才能に「木犀」たちによる夜明曲オーバード


 ◇◇◇


 頬を撫でる涼しい風が心地いい秋。公園のベンチに座って、この夜がずっと続けばいいのにと、隣に座る男に凭れ掛かって願う女の歌。


 そんな一昔前の懐かしい曲をジャズ風にアレンジし、ピアノで弾き語るのは——金守かなもり つむぐつむぐはもう数年以上はここ、バー「ジュピター」でバイトをしている。ピアノの弾き語りをお客に披露するのも、紡の仕事の一つであった。


 紡が軽やかに白い指を鍵盤の上で跳ねさせると、紡の長い黒髪もぴょんと踊る。女性にしては低めの声ではあるが、秋夜の男女の恋を明るくジャズ調に語る紡の歌声に合わせて、自然と店内では合いの手の拍手が起こっていた。

 紡が最後のフレーズを伸びやかに歌い切り、ピアノのペダルから足を離して、店内がしばし音の余韻に浸る。一拍置いて、わっと拍手が巻き起こった。紡はピアノの前に立ち、深々と一礼すると、送られる拍手に小さく手を振って応えながら、そそくさとカウンターへ戻った。


(何度やっても、緊張する……!)


 紡は無事に演奏を終えられたことと、未だに慣れることのない緊張から解放されたことも相まって、ほっと胸をなでおろす。


「金守ちゃん。今日も最高の演奏、ありがとうね」


 深呼吸をして胸の高鳴りを鎮めていた紡のもとにやってきたのは、品の良い口髭を蓄えた初老の男性。彼はバー「ジュピター」のマスターであり、バイトの紡とはそこそこ長い付き合いのある仲である。

 紡はマスターに向き合って、小さく頭を下げた。


「いえ。むしろ、いつも歌わせてもらってありがとうございます。マスター。またお店の仕事に戻りますね」

「ああ、いや。今日はもう上がりでいいよ、金守ちゃん」

「え」


 首を傾げる紡のもとに更に近づいてきたマスターが、小声を零す。


「確か金守ちゃん、明日も収録があるって言ってたでしょう? だから今日はもう上がっちゃって! 僕も〝金木犀〟の歌動画、楽しみにしてるんだ」


 マスターの言う「金木犀」とは、紡の本業——動画投稿活動を主とした歌手の名前であった。マスターは紡が歌手の「金木犀」であることを知る数少ない人物の一人で、ファンでもあるらしい。といっても、「金木犀」はまだまだ世間には知られていない、所謂マイナーなアーティストなのだが。

 紡は慌ててマスターに何度も頭を下げた。


「わ! いつも本当にありがとうございます……! じゃあお言葉に甘えて。今日もお疲れ様でした、マスター」

「ああ、お疲れ様。気をつけて帰ってね」

「はい。ありがとうございます!」


 こうして紡は身支度を整えて、バー「ジュピター」を後にした。


 ◇◇◇


 肉厚な白い花弁のようにも見える、上弦の月。今夜の月は、いつもより明るく思えた。

 だが、いつもより青白くも思えた。


 紡は自宅のアパートの二階まで上ってくると、鍵を開けて部屋に入る。淡白い光が窓から差し込んできている自室には当然誰もいないが、「ただいま」と声を掛けながら玄関の鍵を閉めて、しっかりチェーンまで掛けた。


「もうすぐ一時、か」


 紡は壁掛け時計の針を見て小さく息を吐くと、スマホをテーブルに置いて荷物を降ろす。すると、スマホがピロンと音を立てて、画面にメッセージが表示された。荷物を整理しながらスマホを覗くと、「同窓会」という文字がチラリと目に入った。


『ほんま久しぶりやね! みんなと会えるの楽しみ~』

『いっぱい飲まなアカンな』

『それじゃ二次会までもたへんで~?』


 おそらく、かつての高校の同級生たちのやり取りだろう。紡はスマホを手に取ると、素早くタップして同級生たちのメッセージがいくつも並んでいるグループの通知を非通知に設定する。そして、大きく溜め息を吐き出した。


(同窓会、か……私は行けないな、絶対。学校に友達いなかったし、それに……)


 紡は高校生の頃の、同級生たちの言葉や視線を思い出す。


『ほら、あの金守って人。小中で問題児やったらしいで。目つきも悪いし、怖いね』

『知っとる! しかも親が犯罪者で蒸発? とか聞いたことあるわ』

『やっぱ、犯罪者の子は犯罪者か』

『そういえば、芸能人のピアニストの子と一緒に居るとこ見たことあるんやけど。あれどういうこと?』

『あのキレイな男の子やろ!? やば、年下好き? キショ〜』


 わざと聞こえる場所でひそひそと飛び交う、あることないこと織り交ざった言葉。話しかけても避けられ、透明人間のように扱われることもあれば、教科書や着替えを隠されて慌てる姿を嘲笑われることもあった。


 紡は頭を振って、生まれつきの鋭い目を伏せた。そのまま、今年で二十五歳となる今でも鮮明に蘇った、学生時代の記憶を再び封じ込める。そして、何度も己に言い聞かせた。


(……私が、他の人たちと違ったのがいけないんだ。私が〝普通〟にできなかったから。全部、私が悪いんだから。仕方がない)


 それにもう、彼らと会うことなど二度とないのだから。紡は落ち込んだ気分を無理やりにでも切り替えたくて、まずはシャワーを浴びることにした。


 シャワーを浴びた後。紡はパソコンや編集機材の並んだテーブルの前に座り、以前収録して、編集もし終えた歌の動画を何度も確認すると、それを動画投稿サイトへと投稿した。

 すると、真夜中にもかかわらず、すぐに再生数がついてゆき、視聴者からの動画へのコメントもいくつか投稿された。最初に投稿されたのであろう「今回の歌声もめちゃくちゃ最高です! カッコイイ!」というコメントに、紡の頬がつい緩む。


 コメントをさらっと流し読みしていくが、その半分近くが批判的なコメント——所謂、アンチコメントのようなものだった。見なければいいものの、紡はついついそういったコメントにも目を通してしまう。


『声が汚ねぇ。よくこんな声を世に出せるな』

『曲と声の感じが合ってない。曲がパッとしない。しね』

『キモい』


 アンチコメントも多種多様だ。紡は「うっ」と胸を押さえて唸りながらも、それらのコメントを冷静に咀嚼する。これも紡の悪癖の一つだ。


(この声は生まれた時からのコンプレックスだからなあ。でも、歌うのは好きだから。どうにか歌わせてほしい……あとキモくてごめんなさい……んで、二つ目のコメント)


 紡はうんうんと唸りながら、テーブルに頬杖をついて考え込む。


(死ぬのはできないけど……曲と声が合ってない、っていうのは一理あるかも。もう少し曲作りの方向性変えてみるかな……それか、歌い方のバリエーションを増やすべきか。ボイトレ、もっと増やさないと)


 紡はしばらくそんなことを考えながら、明日の収録の準備も進めた。

 ふと、欠伸を嚙み殺して、そろそろ眠くなってきたなと思い至ったところで、壁掛け時計に目を向ける。針はもうすぐ、午前四時を指そうとしていた。


「やば……もうこんな時間!? お昼にはスタジオに行かないとだから、早く寝ないと……」


 ピンポーン。紡の独り言を遮るように、インターホンが鳴り響いた。

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