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雨は降っていなかった。
重苦しい湿気に満ちた土地にある別荘を出て、男は山奥に繋がる道を進んだ。
理由は特になかった。
ただ、誰もいないような場所に行きたかった。
どこに繋がっているのかも分からないでいると、頭の中が自然と整理されていく。
水で滑りやすい石段を上がるには、スーツはやはり良くない。
男はボタンを開けネクタイを緩め、尚も上に進んだ。
石段と坂道を繰り返していくうちに、ようやく視野が開けた。
目の前に構えていたのは、随分と古くて小さい建物だ。
白い壁には十字架が、木製の入り口の周りには今にも折れそうな木が何本か取り囲み、マリア像と思しき像が男を呼び寄せているようだった。
男は引き寄せられるように、人気のない教会へと足を踏み入れた。
ギギッ…と渋い音がする扉を開けて中に入ると、外見からは想像もつかない程に立派な内装だった。
男は壁から天井にかけて見渡しながら、茶色くなった絨毯を進んだ。
何列も並ぶ椅子の一番前に来たところで、ゆっくりと腰かけた。
男はキリスト教信者でも、根っからの仏教徒というわけでもなかったが、感じていた緊張や仕事がらの警戒心は緩み、やがて大きく息を吐くと、全身の力が抜けていくのを感じた。
目の前に広がる一面のステンドグラスは、なかなかに細やかで美しいものだった。
女神や天使が一輪の花を掲げたり、愛でたりしている。
埃の被ったオルガンからは、渋い音が聞こえてきそうだ。
男は目を閉じて一呼吸ついた。
そして浮かび上がってくるのは、やはりあの日からずっと同じ、忌まわしい記憶の映像だった。
風船が割れるよりももっと激しく、冷たいその音が響くと同時に、一人の男が胸から血を噴き出して倒れていく。
それはそれはゆっくりと、まるでスローモーションのように、倒れていく…
男はハッと目を開けた。
そして瞬時に振り返ると、入口の扉がゆっくりと開いた。
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