第106話

涙が溢れ出てぽろぽろと頬に落ちていく。




「ひー君。ひー君。」




こちらに歩み寄る彼にめいいっぱい手を伸ばして抱き着いた。



鼻を掠める甘い香りに、心が漸く安堵する。





「ふふっ、珍しく積極的だね、どうしたのかな。」





ゆるりと口許に弧を描き、私の身体を抱き寄せる彼。



さっきまで治まらなかった動悸や震えが、嘘みたいに落ち着いていた。



頬に落ちている雫をポケットから取り出したハンカチで拭うひー君の笑みは、温かくて優しい。



私から手を放そうとした彼に、身体が咄嗟に反応した。




「嫌だ、離れたくない。」


「じゃあ抱っこする?」


「うん。」


「可愛い。僕も日鞠と離れたくないよ、一秒たりともね。」





子供みたいな我儘を漏らす私にも、嫌な顔を一つせず受け入れてくれる。



彼のシャツに顔を埋めて、深く呼吸を繰り返した。




ひー君だ。



ちゃんと、ひー君だ。




慣れ親しんだ体温と感触、そして香り。





「ひー君に、会いたかったの。」





ぽつりと、彼の首の後ろに腕を回しながら漏らした。




「うん、知ってるよ。」




返ってきた言葉は、私が想像していた物とは違っていて、視線を数センチの距離にある綺麗な貌に向けた。




「…知ってるの?」


「うん、知ってるよ。」




驚く私の髪を撫でながら、ひー君は穏やかな笑顔を浮かべている。




「嬉しいなぁ。」




ひー君の声は、やけに弾んでいた。

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