喪失
『あのさ、
『ん?』
『愛、天理ちゃんはこれを一体何だと思う?』
『愛、かあ……。ねえ、質問が難しいよ、七緒』
その質問に困惑する私を見て『ごめんね』と謝り、哀しげな微笑を浮かべる。その微笑みがあまりにも切なく『う、ううん……』と咄嗟に否定する。
と、いきなり『愛、これの対極に哀しいと書いて、哀と読む漢字があるね』と切り出す。
『うん……』
『この漢字が意味するもの、それは、喪ったものや、哀しい出来事に対する深い感情なんだよ』
『深い感情……』
『そう』
相槌を打ち、パーラメントのボックスからパーラメントを1本抜き取る。それを銜え、カチッ、カチッと黒色のライターでそれに火をつけたあと、パーラメントの煙を吸い込み、それを一息に吐き出す。
ステンレスの灰皿にギッシリと詰まったパーラメントの吸殻と、灰色のカーペットに散乱する何本ものポンプ――。
白い壁紙がヤニで黄ばみ、たくさんのゴミ袋が――私たちの絶望をその中に詰め込んだかのごとくパンパンに膨れ上がったこれが部屋にたくさん溜まった、まるで腐敗したかのようなアパートの一室でこうした語を交える、哀れな一組の男女がいる。
呼吸するように、エアコンが規則的に吐き出す悪臭。これとパーラメントの香気が混ざり合った、神経細胞が徐々に壊乱してゆくような臭気を嗅いだとき、私たちの心をじわりじわりと蝕み腐らす、その魔の手から逃れる術はないことを思い知らされた。
『オレが言いたいのは』
そう言い始め、パーラメントの灰を灰皿にトン、と落とす。
『言語化できない、そんな何かをオレは喪った。天理ちゃんは、そんな何かを喪ったオレを温かさという真綿で包み込んで、オレの心に優しさというガソリンを注いでくれる。多分、これが愛なのかもしれないな、って』
『七緒……』
照れくさそうに笑う、そんな七緒につられてぎこちなく笑った。
ねえ、七緒。
“さよなら”
この4文字より、さよならより確かな愛があるだろうか。
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