第50話 神の居ぬ間に
リュミエール地下一階の片隅で、マグナとマルローが王都ミストレルの地図を広げて話し合っている。傍らには黒髪の少女の姿もある。トリエネがマリーヌ・フランソワとして密偵・暗殺任務を開始した日であり、マグナが初めてレボリュシオンを訪れた日の翌日のことである。
二人は先ほど聞いた音について話している。何やら遠くで轟音が鳴り響いたようであった。
「ありゃあネメシスの
「ネメシスは法に反した者に罰を与える……最も重いのが
「そうさ、裁判無用、猶予無しの死刑みてーなもんさ。基本的に王や体制に反する罪ほど罰が重い。俺たちゃ今んところジャミング装置で大丈夫だが、誰かが王を侮辱したか体制に歯向かう行動でも取ったか、あるいは許可されていない職種にでも就いたか、身分違いの婚姻でもしたか」
マルローは少し悲しそうな顔をしていた。自分の弟、エミールのことを思い出したからかもしれない(しかしエミールは雷に打たれて死んだわけではない。自身を賤民の身分に落とした上での婚姻であった為、法に反してはいない。彼を死に追いやったのは身分差により生じた、埋まらぬ溝ゆえの迫害である)。
今こうしている間にも、誰かが何とは知らぬ理由で死に至らしめられた。それは客観的に見て不当な理由であったかもしれない。しかしネメシスの司る規則にこの国の誰も逆らうことはできないのだ。
天井をぼんやりと仰ぐマグナの元にモンローが歩み寄って来る。
「マグナ様、オビターとレイシオからそれぞれ報告が来ておりますが、聞き及んでおりますでしょうか」
「ああ、先程聞いた。なんでもブリスタル王国とラグナレーク王国、どちらにも神の能力を持つ者の侵入があったようだ。ブリスタル王国はとくに被害なし、ラグナレーク王国は人的被害こそないが王城の宝物庫にあった三種の神器が逸失してしまったらしい」
「はい、ワタクシもそのように聞き及んでおります。三種の神器の内、八咫鏡だけは無事のようですが、草薙の剣と八尺瓊勾玉が行方知れずのようです。そしてさらに行方の知れないのが……」
「ラヴィアだな。アイツも王都アースガルズから姿を消しているとレイシオは報告してきた」
実はマグナがレボリュシオンを訪れるまでに、ブリスタル王国とラグナレーク王国それぞれに神の能力を持つ者が侵入していた。ここからはマグナ不在の二国でそれぞれ何があったのかを振り返る。
◇
ブリスタル王国辺境の町、ヘキラルを一人の男が歩いている。マリンブルーの髪と外套を靡かせ落ち着いた眼差しで、未だ人狩りの災禍から立ち直り切れていないボロボロの町並みを眺めている。
彼の名はアーツ・ドニエルト。裏世界のNo.7であり、ブリスタル王国にはクローヴィア男爵家のルーツを調査するべく訪れていた。クローヴィア男爵家令嬢のラヴィア・クローヴィアが夜の闇のように黒い髪をしており(両親は黒い髪ではないので隔世遺伝の可能性が高い)、この黒い髪というのが聖地”アタナシア”を探す上で手がかりの一つになる可能性があったからである。黒い髪は大陸東方の一部地域で見られるものだったが、実態は大陸各所に小規模に点在している。長年謎であったこの状況と、三種の神器を所持していたアヤメ・カミサキが黒い髪をしていたこと、アタナシアの伝承に三種類の神器が登場することをドゥーマが結び付けたのだ。
(たしかクローヴィア邸は高台の方だったか。まあ燃え落ちていると聞いているから、屋敷に行ったところで何も分かりはしないだろうが)
アーツは町はずれの川べりを歩いている。時刻は昼だが人通りの無い、寂れた場所であった。彼が川に架かる橋のたもとを何とは無しに眺めていると、突然空中がぐにゃりと曲がり、宙に浮いた人の姿が現れた。
(……?)
アーツは驚いてそちらに視線を移す。幾許か袖の余ったひらひらの服に、ベールのように薄い生地の首巻を巻いた男がふわふわと宙に浮かんでいる。髪は淡いスカイブルーで多少癖があり、呑気そうに微笑んでいた。
対照的にアーツは敵愾心に彩られた表情を見せる。
「誰だお前?」
「アハハー、ヤダなあ、そんな怖い顔しないでよ。ちょっと神の力を感じるなあと思って、様子を見に来ただけなんだから。ボクはオビター・ディクタム。偉大なる正義の神、マグナ様によってつくられた眷属さ」
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