作風

小狸

短編

「たまには楽しくて幸せな物語も書いたら?」


 秋口の話である。


 今年の気候はとかく読むのが難しく、つまりそれは服装選びが難しいということでもある。半袖か長袖かの丁度中間のような服を僕は持っていないので、多少寒くとも、あるいは暑くともいいやと諦めている今日この頃である。


 僕は、一人の友人と外食をしていた。


 いや、正確に言えば、食事自体は終わり、食後のデザートを食べ終え、もう会計に出ることができる状態であった。


 友人とは、高校時代の部活で出会い、そこから大学生となった今まで縁が続いている。お互いに真面目ではあったつもりだけれど、部活でレギュラーになることができるような実力はなかったので、そこで意気投合した、という流れである。


 友人の名前は、束沼たばぬまじょうという。


「いや、別に僕が君の物語にあれこれ言う権利はないし、これまで数年僕は君の小説のファンだし、これからも君の小説を推し続けるつもりだけれどさ、君の作風を見ると、時々思ってしまうんだよ、譲」


 束沼は、小説を書いている。執筆活動自体は中学からやっていたようだが、公にしたのは高校かららしい。


 主にネット上の小説投稿サイトにて、短編・掌編の小説を投稿している。その総数は既に200を超えており、固定のファンというのも存在しているそうだ。公募小説賞に応募しないのかと尋ねたら、していると答えていた。高校時代の話なので今はどうなのか分からないが、作家志望なのである。


「明るく楽しい物語、ね」


 僕からの問いに対して、束沼は言う。


「ぼくだって書けるなら書きたいと思っているよ、明るく楽しい物語」


「え、マジかよ」


「そんなに引く?」


「引くっていうか、驚くよ。だって君の書く物語って、なんて言うか、その――」


「陰鬱で暗澹とした内省的で私小説的って言いたいんだろう? 知ってる」


 束沼がそれを自覚していたのが、何だか意外だった。


「まあ、そうだけど」


「分かってるよ。流石に僕も二十歳はたちになった、これくらいの自己分析ができなくちゃあいけない。就活も控えていることだしね」


「じゃあ、どうして陰鬱な物語ばかりを書くんだ」


「そうだなあ。根底から説明するとさ、ほら、お前には話したかもしれないけれど、ぼくの人生って、中学まで結構最悪だったんだよね。離婚せず反目しあう機能不全家族両親と、いじめを見て見ぬふりをする学年主任と、いじめに加担する金持ち、何もせずに笑う傍観者たち。自分居場所なんてどこにもなかった。帰る場所なんてどこにもなかった。何なら、深夜に一人で家から出て、徘徊してたくらいさ。家に居たくなさ過ぎてさ」


「ああ、言ってたな」


 それは、高校時代に聞いた話だった。


「だから、って直接断定するのも気が引けるんだけど、ぼくはさ、明るく楽しい生活っていうのを、知らないんだよ」


「知らない」


「そう。微塵も、1ミリたりとも知らない。知らないことは書けないなんて作家としてあるまじきことかもしれないけれど、そうだな、言い方を変えるとするなら、『あり得ない』と思っている、という方が近いかな。明るくて楽しくて幸せで恵まれて毎日生きていることに感謝しながら生きて、そんな人生なんてあり得ない。信じていないんだ」


「それは」


 とても悲しいことなのではないか。


 と、言いかけて止めた。


「知らないことは書けても、信じていないことは、書けないからね。それにほら、高校や大学に入って実感するけれど、大人たちは良く言うだろう『社会は厳しい』『現実は厳しい』って。でも、ぼくからすれば、今までの人生が散々厳しかったのに、まだ厳しいのかよ、って思っちゃってさ。厳しい辛い苦しい死にたいの連続じゃないか。そんな中で、一体皆はどう生きているんだ? そんな中で生きられる人こそ、選ばれた人じゃないのか? 恵まれた者じゃないのか?」

 

 そこまで言い切って、束沼はカフェオレを一口飲んだ。


「そう思ったら、気づいたら作風がこうなっていたよ。きっとぼくのそういう、普段表出できない負の感情の発露なんじゃないかな、小説って」


「なるほどな、それが君の、小説を書く動機、ってわけか」


「動機とはまた少し違うかな。モチベーションはまた別にあって、ただ、そうだな、きっとぼくは、誰かに分かってほしいんだろうな。厳しくて、辛くて、苦しくて、死にたかった、あの頃のぼくを。それを表出する手段が、小説しかなかった。これがなかったら、多分リストカットとかしてたと思うよ」


「そう、か。いや、何か思わず深い話になっちゃったな。気安く明るく楽しい話を書け、なんて言っちゃってごめん」


「いやいやいいんだよ。むしろそういう感想はありがたい。ぼく自身もそろそろ、変わらなければいけない時期なのかもしれないしね」


「変わる、かあ。僕たち二十歳だけど、変われるかな」


「人はいつだって変わることができるんだよ。本人が、変わろうとさえすれば」


「お、良いこと言うじゃん、譲。これを台詞にして小説書けば、それこそできるんじゃないのか、明るい物語」


「相変わらず安直だなあ」


 僕らはしばらく談笑して、店を後にした。


 その日から。


 束沼譲の作風が、ほんの少しだけ変わり始めたことに気付いたのは。


 きっと僕だけだろう。




(「作風」――了)

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