【アップ】男山教会2023年1月22日礼拝説教/讃美歌〜Mynoteもあります

天川裕司

【アップ】男山教会2023年1月22日礼拝説教/讃美歌〜Mynoteもあります

【本日の礼拝メッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=EG5tPwsZX20&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12786362622.html

(讃美歌や聖書の内容を閲覧できます)



前奏

招詞 ヨハネの黙示録4章11節

頌 栄

たたえよ、主の民[讃21-24,こども改25]

開 会 祈祷

主 の 祈り(週報裏面)

十戒・祈祷(週報裏面)

子ども説教

子どもと親のカテキズム問19

「罪のはじまり」

こどもさんびか

しゅよわたしをあわれみ[旧57]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 508番(1,2節)

聖書

ローマの信徒への手紙15章1~6節(新P295)

詩編69編1~17節(旧P901)

説 教

「わたしたちの希望

~キリストにある相互の向上」

宮武輝彦

祈 祷

讃 美 歌 508番(3,4節)

みことばの交読文

エフェソ1章3~6節

感謝のささげものと執り成しの祈祷

頌 栄  539番

祝 祷

報 告



讃美歌~♬


「主よ、日に日に」讃美歌508

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zuy4BWJpWt0&t=27s


1

主よ、日に日に ましたまえ、

つみをくゆる まごころを。

きよめらるる 身のさちを、

つかえまつる よろこびを。

2

主よ、日に日に まいたまえ、

こころみには かつものと。

みこころをば 知るものと、

みことばにぞ 立つものと。

3

主よ、日に日に 見せたまえ、

のりとすべき みすがたを。

あまついえに ゆくみちを、

とこしなえの みさかえを。


讃美歌539番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=RLNZOZY75YY


THE ALFEE - 頌栄539番 (1993)

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=WGLmyfdrb3w


あめつちこぞりて

かしこみたたえよ

みめぐみあふるる

父、御子、御霊を



2023年1月22日 礼拝説教 中心聖句


わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。

ローマの信徒への手紙15章1節


万軍の主、わたしの神よ あなたに望みをおく人々が わたしを恥としませんように。イスラエルの神よ あなたを求める人々が わたしを屈辱としませんように。

詩編69編7節


はじめに

混沌とした世界の中にある、ただ一つの慰めと希望を、今日も共に学びたい。

「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。」とは、少なくとも使徒パウロ自身、自分を「強い者」の立場に身をおいていると言う。ここで、背景にあることは、偶像に供えた肉を食べてよいか、否か、といった信仰の良心、キリスト者の自由にかかわる問題。コリント教会への手紙でも「あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい」(コリント一8章9節)と勧告され、「あなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対してついを犯すこと」(8章12節)言い、「食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません」(8章13節)と、弱い兄弟たちのために、弱い者たちの態度を身をもって受け入れる。大事なことは、「この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕え」(ガラテヤ5章13節)ることであり、「おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努める」こと。この「互いの向上」は、「隣り人の徳を高めるため」(口語訳)。このようにして、キリストとその教えを土台とする教会が、「聖なる神殿」「神の住まい」(エフェソ2章21,21)として、互いに建て上げられることであり、このようにして、キリストの体として教会は、「自ら愛によって造り上げられる」(同4章16節)。

「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした。「あなたをそしる者のそしりが、わたしにふりかかった」と書いてあるとおり」と、パウロは、その根拠が、キリストの真実と愛にあることを証しする。この御言葉(詩編69編10節)は、主イエスが神殿での犠牲売買を退け、その悪徳(罪)を清められたときに、ご自身の復活における新しい神殿(教会)の建設を予告することもって証しされた(ヨハネ2章17節)。「かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためもの」とは、かつて迫害者であったパウロにとって悔い改めの証。聖書は人を断罪するためのものではなく、ただ、キリストの福音によって、人を悔い改めに導き、罪から救うための命の書。「それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができる」。この真の希望が、神と教会の前にある執り成しの祈りにおいて証しされる。

「忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくだいますように」と、さらに、わたしたちの忍耐と慰めの源が神にあり、一度、十字架の上にその身をささげられながら、死者の中から三日目に復活され、天に挙げられた、救い主イエス・キリストの中に、賛美と栄光を帰するものであることを証しする。このただ一つの慰めと希望とその賛美において、わたしたちの相互の一致と自由と愛が、真に、明らかにされる。

おわりに

人々が、神とイエスを知りながら、教会の存在を認めながら、神とイエスのもとに来ようとしない時、信仰の忠実は、不当な苦しみにおいて証しされる。わたしたちのために十字架の恥辱を負われたお方は、わたしたちを恥とせず、兄弟としてくださった(ヘブライ2章11節)。信仰によって、真の、一致と愛と希望を望みたい。



〈Mynote〉


二〇二三年一月二二日(日曜日)。

(子供メッセージ)

『子供と親のカテキズム 問一九』

「最初の人間は、創造された時の素晴らしい祝福の状態に留まりましたか?」

「いいえ。アダムとエバは、神様の言葉に背き、罪を犯しました。」

(公同礼拝)

『ローマ人への手紙』(第一五章一〜六節)

『詩篇』(第六九篇一〜一七節)

「私達強い者は、強くない者達の弱さを担うべきであって、自分だけを喜ばせる事をしてはならない。私達一人一人は、隣り人の徳を高める為に、その益を図って彼らを喜ばすべきである。キリストさえ、ご自身を喜ばせる事はなさらなかった。」(『ローマ人への手紙』第一五章一〜三節)

『ローマ人への手紙』の冒頭で書かれて在る事は、直接的にはローマの教会に対する勧告である。強い者は、弱い者の為に生きる(生かされる)べきである。そうして生きなければ成らない。パウロは「私達」と言ってる事から、教会に集う者達を始め、全世界の全ての人達がそうせねば成らない。そして「強い者と弱い者」と二者の存在が認められて居る。

ここで言う一つの「強い者」「弱い者」と言うのは、信仰に強い者・弱い者と、信仰に於ける強弱(強者・弱者)が指摘されて居る。更に食べ物についても言われて居る。弱い者は野菜ばかりを食べて居り、強い者は肉や葡萄酒を食べたり飲んだりして居る。

確信に基づいて居ない事は、全て罪である。信仰に於ける確信。神様の教えに対する確信を以て行動する、これが強い者のする事。弱い者は信仰に於いて何となくで行動し、確信を持たずに他の行動もする。信仰に於ける強弱が、一つこの「強い者・弱い者」を分けて居る。

自分のする事が、本当に神様の前で大事な事かどうか?正しい事かどうか?聖書に記されて在る事が唯一の希望になり、大事な事である。何となく信じる者は、この聖書に記されて在る内容も「何となく…」に成る可能性がある。だから出来る事なら早く確信を持ちたい。確固たる信念を以て、イエス様の事を信じ、聖書の内容を正しく理解して信じたい。

だからこそ、確固たる信念を持つ強い者は、弱い者の弱さを担い、譲歩して、弱い者の世話をする姿勢でその徳を高め、ずっと寄り添う姿勢で助けねば成らない…とパウロは教えて居る。

誰でも徳を高める時、信仰を守りその通りに生きる(生かされる)時、自分の為に生きようとし、他人(隣人)の事は二番〜三番に成る可能性がある。

「忍耐と慰めとによって、望みを抱かせる為である」(『ローマ人への手紙』第一五章四節)。

これは全ての人々に対して記されて在る事である。必ずキリストに立ち返る姿勢を以て、全ての人が行動しなければ成らない。信仰の土台はキリストである。イエス様の言動、教えられた内容に基づき、全ての人がその命の源に立ち返らなければ成らない。

『エペソ人への手紙』(第二章二一〜二二節)

「このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなた方も、主にあって建てられて、霊なる神の住まいと成るのである」。

アダムとエバはただ一つの木の実を食べた事により、それまでの神様からの恵みの全てから削がれ、堕落の罪の人生に至ってしまった。その上で神様は、それでも人を愛し、滅ぼさず、今日に至る迄の恵みを与えて下さって居る。この事を覚える上で、常にキリストに立ち返る必要があり、その姿勢を維持せねば成らない。

「心が貧しい人は幸いである」自分を捨て、神様の教えに縋って生きる(生かされる)。この事に救いが在る。「正直者は馬鹿を見る」という言葉が人の間にあるが、これは罪がそう言わせ、その通りにさせて居る。この罪が為す業に騙され、惑わされては成らない。神様が人に教えられる大原則は何か?これを先ず求め、知って理解する必要がある。

イエス様の時代でも、神殿の中で人々は、売買を始めて居た。それは「神の家を盗賊の巢にする事」とイエス様は叱られ、その盗賊を全て退けた。人間の中の強欲・強い者を、信仰に立つ強い者が諭し、退け、信仰に於いて正しい方へ誘(いざな)われた。

キリストは常に全ての人に、聖書に在る「正しい方向へ誘(いざな)い、正しい姿勢で、正しい希望を持つ方法」を教えて居る。イエス様の言動に習う事が先ず重要で、その通りに生きる(生かされる)事を求めねば成らない。

「忍耐と慰めとの神が、あなた方に、キリスト・イエスに習って互いに同じ思いを抱かせ、こうして、心を一つにし、声を合わせて、私達の主イエス・キリストの父なる神を崇めさせて下さるように」(『ローマ人への手紙』第一五章五〜六節)

(御言葉の交読文)

「私達の主イエス・キリストの父である神が、誉め讃えられますように」

「神は、私達をキリストに於いて、天のあらゆる霊的な祝福で満たして下さいました」

「天地創造の前に、神が私達を愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストに於いてお選びになりました」

「イエスキリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです」

「神がその愛する御子によって与えて下さった輝かしい恵みを、私達が讃える為です」


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


「アーサー・ホーランド師特別集会」The House of Liberty

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=I-tfmWGKOKg


挑戦の年2023年-3つの完成を目指して-

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=wDmLWdeUb88&t=546s


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

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