第42話:寄進と天下と駆け引き
1564年8月14日:織田信忠視点・8歳
「若殿、どうか御助けください」
上賀茂神社の使者が板張りの床に額をつけんばかりに頭を下げる。
「私に助けろと言われても、どうにもできない。
織田家の寄進が欲しいというのなら、殿に頼め」
「近江守様には先に頼みに行かせていただきました。
近江守様は若殿が認めたら神殿を再建してくださると約束してくださいました」
上賀茂神社は八月八日の鴨川大洪水で被災した。
神殿が悉く流され、神官や巫女が何人も流されている。
被災した神殿を織田の手で全て再建して欲しいのだろうが、利がなければ嫌だ。
「内裏から斎院を復古するように命じられているであろう。
それを言を左右にして従わず、銭の無心にだけ来る。
まるで一向衆のようだ、そのような者は神仏の信徒ではない。
一向衆と同じように根切りにしてくれる」
法も論もない力による威圧だが、俺の手で宗教の独善を叩き潰す。
前世は信長、秀吉、家康のお陰で日本の宗教が大人しくなった。
寺は葬式仏教になり、寺請制度で権力者に統制された。
だが、薩長のテロリストが国を乗っ取り、自分たちが思うままに国を動かす為に、嘘と私利私欲を隠蔽するために、天皇陛下と神道を利用しやがった。
絶対君主と国家神道の両方を操って国を欲しいままに動かしやがった。
その結果が原爆投下と悲惨な敗戦、その後の属国化だ。
どれほど言葉を繕っても、戦勝国の軍が駐留を続けている状態は、真っ当な独立国とは言えない、植民地とまでは言わないが、属国以外の何者でもない。
ソ連全盛時代、東ヨーロッパ各国を衛星国と呼んでいた。
衛星国に自決権などない、ソ連の言い成りになる傀儡国家だと思っていた。
哀しいが、日本も同じ状態だった、アメリカの属国だった。
更に宗教も日本人を蝕んでいた。
戦前の国家神道の反動と、米国の陰謀で新興宗教が乱立した。
乱立した新興宗教が、心の弱った者や愚かな者を侵していた。
新興宗教の中には、政教分離を蔑ろにする悪質な組織があった。
信徒を国会議員や地方議員だけでなく、国家公務員に送り込んで国家転覆を謀っている団体があった。
中には多数の議員や職員を送り込み、市町村を支配下に置くような団体もあった。
恐ろしい事に、市町村の中には宗教都市と化した場所まであった。
国の省庁を支配下に置くべく、多数の信徒を省庁内に送り込んだ団体もあった。
過激な団体が、地下鉄に毒ガスをまく凶行を行った事もある。
だから、今までは白人至上主義の世界を打破するのを目標にしてきたが、ついでに宗教を叩きのめして日本人の宗教観も正しておきたい。
宗教は危ない物、宗教を語る者は偽善者だと、心の奥底に摺り込んでおきたい。
この世界では、俺の所為で信長の比叡山焼き討ちが起きていない。
比叡山を焼き討ちしたのは本願寺の一向衆になっている。
俺が仕組んだ事だが、表向きは宗教同士の争いになっている。
だから俺が、宗教が軍事力を持つ事を、政治の関与する事を厳しく禁じる!
織田家の者はもちろん、重要な役職に就く者が宗教に頼る事、加持祈祷に頼る事を厳しく禁じる!
「お許しください、高利で金を貸すなと申されましても、貸さなければ私たちも生きていけませんし、神殿も維持できなくなります。
兵を置くなと申されても、兵を置かなければ武家に社領を押領されてしまいます」
「内裏からの命を受けるなら、織田家が守ってやる」
「それは……私の一存では答えかねます」
「戻って指示を仰がねば返事もできないだと、子供の使いか!?
父上や私に対してそのような使者を送るなど無礼千万、許せぬ!
三好に話して京に攻め込む許可をもらう!
上賀茂下賀茂関係なく、全て焼き払ってくれる!」
「お待ちください、お許しください、織田家を軽んじたわけではないのです!」
「そのような事を口にする事自体が、織田家を軽んじていた証拠だ!
今直ぐ三好家に使者を出せ、この者は叩きのめして放り出せ!」
「お待ちください、お許しください、ギャアアアアア」
1564年8月15日:織田信忠視点・8歳
「どうなされるお心算ですか?」
信長からの旗振り通信を聞いて黙る俺に、竹中半兵衛が聞く。
昨日上賀茂神社の使者を叩きだして直ぐに、信長と旗振り通信した。
今後の方針を確認するために、交互に通信して話し合った。
そしてようやく今、考えうる限りの可能性を合意できた。
「この機に乗じて、三好が上賀茂神社を焼き討ちしても構わない。
織田と三好を恐れた上賀茂神社が、斎王と斎院の復古を認めても良い
三好が織田の上洛を認めてくれれば更に良い」
俺は伊勢神宮の斎王も賀茂神社の斎王もほぼ同じだと思っていた。
だが、書を読む力をつけた小姓に朝廷から取り寄せた記録を読んでもらい、必要な場所が分かってから、俺自身で確認したのだが、大きな違いがあった。
人によっては些細な違いと言うかもしれないが、俺には大きな違いだった。
両賀茂神社の斎王は斎院と呼んだ方が好いようだ。
帝も朝廷も両賀茂神社も、こういう細かい所に五月蠅いと思う。
住むところも斎宮寮を築くのではなく、平安京北辺に小規模な紫野斎院を築けば好いだけだと書いてあった。
京から遠く離れた伊勢神宮だと、身を守る必要もあれば、生活に必要な品々も自分たちで作る必要があったから、十二司が置かれた。
だが何でもそろう平安京なら大抵の物が買えるから、十二司は必要なかった。
朝廷に力があった平安時代は、都の中は安全で便利だったのだろう。
内裏が十全に機能していた時代なら、内裏の十二司から取り寄せる事もできた。
「三好がこちらの真似をするかもしれません。
若殿の策で織田が莫大な利を得ているのは、三好も知っております。
三好が鯨漁と鰯の追い込み漁を始めたのは聞いておられますよね」
「ああ、忍から報告は受けている」
「私が三好なら、若殿が始められた伊勢神宮を使った神酒造りを真似します。
賀茂神社の斎院を復古させ、神船を使った交易も真似します。
この度の依頼を利用して、内裏を脅すのではりませんか?」
「そうなれば好い、そうなれば御上も内裏も織田家を頼るだろう」
「確かに、頼るかもしれませんが、逆に織田家を恨む可能性もございます」
「卑怯者に恨まれても痛くもかゆくもない。
本当に助けて欲しいのなら、三好討伐の綸旨を出せばいい。
三好を恐れて綸旨を出さず、三好を滅ぼすように誘導しようとする。
織田家にだけ滅ぶ危険を押し付けるような連中の為に、織田家から手を差し伸べる必要はない。
それで御上が弑逆され皇室が滅ぶなら、それも運命だ」
全部嘘、敵味方に弱みを見せないためのポーズだ。
織田家が送り込んだ北面武士、滝口武者、内舎人が命懸けで帝を護る。
護り切れないと判断したら、密かに配している忍びが近江に逃がす。
「若殿がそこまで覚悟を決めておられるのなら、何も申しません」
「覚悟など決めていない、三好が帝を襲う事はない」
「確かに、今の三好なら、覚悟など不要ですね。
三好は御上の権威を借り、将軍殺しを正当化したい。
ここで御上まで弑逆したら、大逆賊として袋叩きにされます。
担ぎ出そうとしている平島公方からも見捨てられる恐れがあります。
それどころか、平島公方が阿波を逃げて織田を頼る可能性があります。
若殿は平島公方が頼ってきたらどうされますか?」
「どうもしない、領内に住みたいというなら好きにさせるが、助けもしない」
「若殿は将軍を担がれないのですか?」
「この世を乱したのは将軍家だ、そのような悪しきモノは必要ない」
「将軍家が必要ないと申されるのですか?
織田家が天下を掴んでも、将軍になられないのですか?」
「ああ、父上と相談しなければいけないが、少なくとも私は将軍にはならない」
「では、どのようにして天下を治められるのですか?」
「方法は幾らでもある、半兵衛も考えて見よ」
「古には、摂政関白となって天下を治めたと聞きますが?」
「そうだな、そういう方法もある」
「ですが、幾ら何でも織田家が摂関家になるのは無理なのではありませんか?」
「武力と覚悟があれば何でもできる。
御上や公家が鎌倉殿や室町殿を将軍にしたのも、武力を恐れたからだ。
武力で脅して摂関を寄こせと言えば、内心は嫌でも摂関を寄こす。
逆に武力がなければ、将軍であろうと命すら危うい。
現に三好や赤松が将軍を弑逆している」
「それは、摂関家を滅ぼして新たな摂関家となられる気ですか?」
「半兵衛、私を人殺し好きだと思っているのか?
摂関家を滅ぼさなくても、絶家となっている摂関家を再興すればいい。
最近滅んだ鷹司家を再興してもいいし、古に滅んだ松殿家を再興してもいい」
「そのような方法を、御上と摂関家が認められるでしょうか?」
「認めなければ別の方法を考えるだけだ」
「別の方法ですか?」
「ああ、別の方法だ」
「どのような方法を考えておられるのですか?」
「半兵衛、私に聞いてもおもしろくないだろう?
自分ならどうやってこの国を治めるか、考えて見よ」
「分かりました、若殿を驚かすような方法を考えてみせます」
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