第4話 小さな覚悟と大きな優しさ
「駄目だ……。繋がらない」
耳に当てていたスマホを下ろして雄飛は項垂れる。マンションの管理人に電話をしてみたのだが、夜間対応をしないズボラな人なのでやはり出てはくれないようだ。横では申し訳なそうに萎んだ蜜璃がソファに座り込んでいた。二人して何も話さず、静まり返った部屋は状況の深刻さを物語っている。
そして重い空気はしばらく続き、先に沈黙を破ったのは雄飛だった。
「ごめん。一回整理させてもらっていい?」
申し訳なさそうな様子のまま蜜璃は小さく頷いた。
「日下部は鍵を自宅に置いてきたまま来てしまった。それでうちのマンションは古い方だけどなぜかオートロック式で自宅に戻れなくなった。とりあえず合ってる?」
さっきよりも一段と萎んだように身体を縮めて頷く。
ほとんどは蜜璃の不注意が原因なのだが、これに関して雄飛にも問題があった。思い返してみればラフな格好で玄関に座り込む蜜璃を間髪入れずに連れ出したのは雄飛だ。それに越してきたばかりという仕方ないと言える理由のおまけ付き。
「それでもう一度だけ確認するけど近くに迎えに来てくれる家族や知り合いは居ないんだな?」
ここで蜜璃が「はい」と答えてしまえば、自宅に泊めざるを得なくなってしまう。若い男女が一晩ともに過ごすというのは世間的にも雄飛の心身的疲労がよろしくない。何としても近くにどなたか居て欲しいものだが現実はそう上手くいかない。
「すみません……。母は海外赴任で父もそこについて行って居ません。親戚も皆んな遠い他県に居ます。信頼できる知り合いは越してきたばかりなので……凪瀬くんしか居ませんでした」
「その信頼できるポジションに何で俺を入れるんだ。もしかしたら最低な奴――」
話している途中で雄飛は言葉に詰まってしまった。
これ以上、説教じみた話は無用だろう。信頼できると思って助けを求めてくれたのだ。突き放してしまえば蜜璃は今夜の寝床を失う。そうなれば後々、罪悪感に苛まれるのは雄飛の方だ。下着もロクにつけていない状態の少女を梅雨中の夜に放り出すなど選択肢にはない。
雄飛は大きく息を吸って乱れ打つ鼓動を抑える。
「しょうがないから今夜は俺のベッドで寝てくれ」
「はい……本当にありがとうございます。このお礼は必ず……必ずします!」
「そうやね、そのうち貰うことにするよ。そうでもしないとお互いにギクシャクしそうだし」
雄飛は少しだけ頬を弛めて微笑んでみせる。少しだけ申し訳なさから解き放たれたように蜜璃も小さく微笑んだ。
「あんまり気にせずに今日は休んでくれ」
あまり長く向かい合って話すのも悪いだろうと思い、雄飛は蜜璃に背を向ける。
「それと……蜜璃から見て左のドアが寝室だから。あれだったら先に寝て貰って構わないよ。俺、風呂入るからさ」
雄飛は背を向けたまま寝室のドアを指さして示す。
「それでは……私は先に入ってますね……」
張り詰めたようなか細い声の返答に少しだけ違和感を覚えたが気にせずに浴室へと向かった。
洗面所のドアを開けると洗濯用のカゴの上には不器用に畳まれた制服が置かれていた。触ることも少しだけ躊躇ったが少し避けるだけなら大丈夫だと思い、洗濯機の上にそっと乗せる。
「そういえば日下部は出迎えた時は制服持ってなかったな……」
つまり日下部は制服を置いて帰ろうとしたことになる。
あまりにも不用心で警戒心が無さすぎる。もはや異性として全く意識されていないのではと思うほど。
「このレベルだと危なっかしくて放っておけないな」
何回目かも分からない大きな溜め息を吐きながら服を脱いでいく。脱いだ服を入れようとカゴの蓋を開けてみると目の前には白い布のような物が放置してあった。思考停止状態に陥った約一秒後には無意識に勢い良く蓋を閉めていた。
「あのバカ……。抜けてるにもほどがあるぞ」
今すぐにでも呼び出してどうにかさせようとも考えたが、この状況でも冷静に判断できるようになったらしい。今は雄飛自身が全裸状態なのでどうなるかも想像が付く。
「もう……いちいち気にしてたらキリがないか」
ぬるくなった湯船を追い焚きで温めて、今は全てを忘れて湯船に浸かることにした。
今日だけで蓄積した精神的な疲れは全く取れなさそうだ。
「一応、さっぱりしたけど……」
浴室から出て身体を拭き上げながら洗濯カゴを横目で見る。まだ例の物は残ったままで雄飛は蜜璃にどう伝えるか迷っていた。
「とりあえず……蜜璃に聞いてから決めよう。寝てるなら明日でも大丈夫だろうし」
もはや思考を放棄していた。むしろオブラートに包まずにストレートに伝えた方が蜜璃の今後の為になるだろう。そうだそうだと自分に言い聞かせながら洗面所を出ていった。
リビングはまだ明るく、いつもの静けさを取り戻している。寝室のドアに手を掛けて音を立てないように開くと部屋は暗くなっていた。リビングから差し込む明かりで蜜璃がベッドに横になっているのが分かる。
「タオルケットくらい羽織って寝ろよ。風邪引くだろうが……」
蜜璃は何も羽織らずに背を向けて横になっていた。雄飛は溜め息をつきながら蜜璃の足元に固まったタオルケットを手に取り、蜜璃の身体に掛ける。
「え!?」
突然、眠ったふりをしていた蜜璃がこちらを向いて雄飛の腕を手繰り寄せた。
よろけてバランスを崩した雄飛は蜜璃が横になっているベッドに手を付く。押し倒したような構図に混乱していると蜜璃は顔を赤らめながら雄飛を見つめてくる。
「お礼……させて下さい……。覚悟は出来て……ます。こ、これくらいのことしかできないです……けど――」
蜜璃は続けてゆっくりとジャージのファスナーを下ろしていく。
「バカか……お前は」
雄飛はファスナーを下ろそうとする蜜璃の手を掴んで静止させる。羽織かけていたタオルケットを手に取り、頭から被せた。
「ちょ、ちょっと……凪瀬くん!?何を――」
「なんでもっと自分を大切にしようとしないんだ。それに日下部は覚悟なんてできてねぇよ。頭にタオルケットを被せただけで慌てているし、もともと最初っから手が震えてるんだよ」
「覚悟ならあります!これくらいのことしか私にはできないから!」
頭に被せたタオルケットをすばやく取っ払う。
「ほら……怯えた顔して今にも泣きそうじゃん」
「怯えてもいません!泣いてません!」
必死になる蜜璃は身体を起こして強く否定する。ポコポコと叩く手を掴み、雄飛は蜜璃の身体を抱き寄せた。
「え……?」
一瞬、何が起こったのか蜜璃は分からず戸惑ってしまう。雄飛は優しく頭を撫でながら宥める。
「大丈夫……。俺には気を遣うな。今日さ……久しぶりに誰かとご飯食べて、話ができて楽しかったんだ。それだけで充分貰ったよ。だから――」
抱き寄せていた蜜璃を少しだけ離して向かい合う。まだ戸惑って状況が上手く読み込めない蜜璃の涙を拭って続けた。
「自分の身体を他人の為にどうかしようなんてするな。もっと自分を大切にしてくれ」
「う、うん……」
小さく頷いた蜜璃の頭をまた撫でる。
越してきたばかりでどれだけ心細かったか。雄飛は全く想像していなかった。
「今日はもう寝よう。俺はソファで寝るから何かあったら起こしてくれよな」
ベッドから立ち上がり、雄飛は蜜璃に背を向ける。
寝室のドアに手を掛けて、笑顔で振り返った。
「おやすみ、また明日な」
「お、おやすみなさい……凪瀬くん」
リビングの電気を消してソファに身体を埋めるとすぐに眠気が襲ってきた。小さい頃に母から頭を撫でてもらったことを思い出しながら深い眠りについた。
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