第2話 お隣さんは①

「やっぱり……凪瀬雄飛くんだよね?」


 あまりの予想外すぎる展開に雄飛は頭の整理が追い付かず十秒程度黙り込んだが、大きな深呼吸をしてようやく言葉を口にした。


「合ってるよ。隣室に越してきたのって日下部さんだったんだね」

「お隣さんって……凪瀬くんだったんですね」


 お互いに辿々しい雰囲気のまま会話が止まってしまう。

 舐められることのないようにと厳格な態度で臨もうとしていた雄飛にとっては寝耳に水であった。同級生が相手だった場合を考えておらず、その後の対応をどうすればいいのか分からなくなっていた。


「えっとお部屋……うるさかったですよね」


 申し訳なさそうに落ち込む蜜璃はドアの隙間から頭を下げる。


「こんな形での謝罪になってしまいすみません。お見せできないほどの有り様なんです」

「い……いえ、別に迷惑って訳じゃ……」

「気を使って嘘は付かなくても大丈夫ですよ。今日中はこれ以上の迷惑はかけられませんし、明日中に何とかします」


 蜜璃は再度、深く頭を下げて謝罪する。

 別に雄飛にとってはそこまで迷惑をかけられた訳でもないのにここまで厚く謝罪されると申し訳ない気持ちになる。それに越してきたばかりで慣れない土地や他人との交流に疲れ切っているだろうという中、クレーマーとも言えるような押し掛け方をしてしまったことで更に申し訳ない気持ちになってしまった。


「俺の方こそ申し訳ない。只でさえ疲れているだろうと思うのに押しかけてしまった。俺のことは気にせずにゆっくりでいいから」


 軽く頭を下げてから自宅に戻ろうとする。


「待って下さい!それじゃ申し訳ないです!せめてお詫びを……」


 グゥゥゥ――


 明らかに誰かのお腹の虫が鳴いた。

 それは確実に雄飛以外の者から聞こえてきて、振り返ると顔を真っ赤にした蜜璃がプルプルと震えていた。聞かなかったことにしようと立ち去ろうとしたが、蜜璃の小さな悲鳴とともに大きな荷崩れの音が聞こえて来た。


 ガッシャン……パリンッ……ドンッ


 ガラスのような物が割れる音がして慌てて振り返るとドアの隙間から顔を出す蜜璃の姿はない。


「日下部さん……?」


 蜜璃からの返答はない。

 そして不意に最悪の場合が頭を過ぎる。


「日下部!おい……大丈夫か!」


 無我夢中で駆けていた。まだ知り合ったばかりの他人だろうと関係ない。

 何か挟まっているのか幸いにもドアは閉じきっていない。ドアに手を掛けて中を覗く。


「尻もちついちゃいました」


 また恥ずかしそうに笑う蜜璃の姿があった。見たところ大きな外傷も出血の跡もない。

 少し離れたところで棚が倒れて陶器のコップが綺麗に割れているのが見て分かった。


「良かった……」


 心の底から安心したからか膝に力が入らずにしゃがみこんでしまった。蜜璃はあたふたとしながらもまた頭を下げる。


「心配をおかけしました……」

「無事ならいいよ。それより――」


 部屋の様子を軽く窺う。越してきたばかりとは思えないほどの散らかりっぷりに少し笑みを零してしまった。


「とんでもなく散らかってるな」

「み、見ないで下さい――!」

「もう隠すこともないだろ」

「そうかもしれませんけど……」


 恥ずかしそうになりながらもからかわれているからか少しプクっと頬が気持ち膨らんでいるようだ。

 学校で見た時の蜜璃の様子は真逆で作り笑いの仮面を被っているような印象だった。でも実際は感情が豊かで人間味がある人のようだ。


「お腹空いてるだろ?」


 この子は何度顔を赤くするんだと言わんばかりにまたじんわりと頬が染まっていく。

 

「やっぱり聞こえてたんですね……」

「聞かなかったことにしようとも思ったんだけど、この様子だとロクなもの食べられないだろうから」


 見渡す限り足の踏み場も無く、衣服類の下に何が埋まっているのかも分からないので迂闊に踏み入れられないだろう。


「うちに来てさ、夕食だけでも食べていかない?どうせ、引っ張りだこで昼食も食べてないんだろ?」

「なんだか、何もかもを知られてしまって情けないです……。仰る通りで昼食も食べれていませんでした」


 苦笑いする蜜璃は軽く自分に落胆しているようで膝をついたまま俯いてしまった。雄飛は立ち上がり蜜璃に手を差し伸べる。


「じゃあ、もう遠慮することはないな。別に恩を売ろうとかそんなの考えてないし、今日は大変だっただろうから素直に甘えてくれ」

「はい、今日はそうさせていただきます」


 蜜璃は差し伸べた手を取り立ち上がった。

 ほんのりと温かい手に驚き自然と手を離したが、蜜璃は嫌な顔はしていないようで安心した。

 こうして雄飛は蜜璃を連れて自宅に戻っていった。


「部屋、綺麗にされてるんですね――」

「いや、日下部が部屋が異常なだけだからな?」

「そ、そうですよね――。私に手伝えることはないですか?」

「用意自体は簡単だから座ってていいよ」


 蜜璃を机に案内し、作っていたカレーを装う。

 装ったカレーを持っていくと蜜璃はチラチラと周りを見て何かを探しているようだ。


「別に如何わしい物は何も無いぞ」

「違いますよ!お部屋のレイアウトを参考にさせて貰えたらって思っただけですから!」


 少しからかうと分かりやすい反応をしてくれるので思わず吹き出しそうになった。

 

「悪い悪い、今日の夕食はカレーだけど食べれる?」

「嫌いなものなどありません。むしろカレーは好物なので嬉しいです!」

「そうか、それは良かった。冷める前に食べよう!」


「「いただきます」」


 一口食べて蜜璃の表情は豊かに変わっていく。驚いたように目を見開いたと思えば目を細くし、とろんっととろけた柔らかな表情を浮かべる。一目で美味しいんだろうなと分かる蜜璃の食べる姿に嬉しくなった。

 誰かと食事をするのは久しぶりなことで昔を思い出してしまう。


「凪瀬くん!このカレーとっっっても美味しいです!」

「日下部の顔を見てたらよく伝わってきたよ」


 今更、見られていたことに気付いたようで少し顔を隠して目を逸らした。


「今日はご相伴にあずからせていただきありがとうございます。ですけど、その……あんまりジロジロ見られると恥ずかしいです」

「美味しそうに食べてくれてありがたいよ。こちらこそありがとう」


 そして雄飛と蜜璃はお互いに照れくさそうに笑い合う。

 また作ってあげたいなと雄飛は心の中で思うのだった。

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お隣に越してきた美少女転校生、家事や料理は駄目みたいです。 廻夢 @kaimu_kaku

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