第3話 魔術に焦がれて
1
たなびく草原のなかを歩いていた。上空には積乱雲、となりにはまだ小さい黒の子猫。しかし歩むその姿にはどこか気品を感じる。
一悶着を経てとんがり山を飛び出しはや三日。ルーシーさま……もう様付けはやめよう、散々だ。とにかくルーシーは単身でわたしについてきた。
理由を聞けど「職務よ」としか答えず、ほとほと困ってしまった。
精霊を連れた旅人など前代未聞である。人街に寄る気はなかったが、寄ることができなくなった。それほど精霊の旅というのはショッキングな話題なのだ。
しびれをきらしたわたしは嘆息して声を掛けた。
「ルーシー、職務でわたしに付いてくる理由は」
「ついでよついで。なあに、エストはふらっとどこへでも行けばいいわ。私も勝手に離れて勝手に合流するから」
黒猫の尻尾はきまぐれにゆれている。
なにがおもしろいのやら……。
精霊はつくづく分からない。眉をひそめて思っていると、一瞬だけ視界が陰った。雲じゃない!腰を落とし、目を凝らして大空を睨みつけると、川くらいの翼幅をもった影がこちらへ旋回してきた。
「魔獣……」
「やっかいな、こんなだだっ広い場所で!」
言うや否や散開を余儀なくされた。
飛び上がりつつ
「はあ、逃げたい」
吐息交じりにフードをあげる。
鳥類の魔物は相手がしにくい。魔力で強化された翼は、しなやかで無駄のない高速飛行を可能にする。その上、魔物としての特性を別に備えている場合、倒すのが一段と難しくなる。魔物の中でも飛びぬけて戦いにくいと言われるのも納得だ。
ズザザと音を立てて着地すると、いつの間にかルーシーがいた。
「どうするのエスト、私が狩ってもいいけど」
「そろそろルーチンだったから遠慮する」
「そう、じゃあ頼んだわよ。昼までには終わらせてね」
どれだけかかると思ってるんだ。怪訝に見やれば、ルーシーはのほほんとあくびしていた。自由な猫だ。
鳥の魔物に視線を戻すと、砂ぼこりが晴れて全体が見えるようになっていた。大きな鷹だ。ほれぼれするほど威厳に満ちた佇まいにあっぱれと言いたくなるが、そういうわけにはいかなかった。魔物とは、知恵を持たない生き物なのだ。こちらが視認できれば、当然あちらからも認識されているわけで……紛れもない本能の目と交差した。
「
わたしは相棒を強く握りしめた。
2
その光景を目にしたルーシーは目を細めた。
(杖を使ってない?)
魔術を使うには杖を必要とする。だのにエストは杖ではなく呪文を唱えただけ
で魔術を発動した。可能性としては考えていたが、実際に判然と見たそれは違和感に満ちたものだった。杖は魔術を使う上で欠かさない。食事するときにスプーンやフォークを使うように自然なことを、エストはやっていない。必要としない。
エストは水の槍をたずさえてたたずむ。
穏やかだった双眸は大鷹を射抜き、鮮やかな橙の髪とは対照的な青光の槍はただ、静謐だった。穂先は睨み合う鷹に向けられ、両者はじりじりと間合いを詰めていく。
(魔力量が少ないのに、よくやるわ)
杖を使わなければ正常な魔力の操作さえ危ういのに加えて、エストは魔力が少ない。魔力の柱がうなりあげる鷹と比べると、なお差は歴然としており、纏う魔力も薄い。
魔力視ができるルーシーが分かったのだ。それくらい承知であの少女は悠然としている。
だから期待する。こんなにも不利な状況を涼しい顔で逆転するさまを見てみたくなる。
(あの大陸を描いたんだもの、犯されるような真似はしないでしょう)
不安は尽きず、顔にも声にも出さないがルーシーは危惧せざるを得なかった。魔物は他種族を犯して子を産ませる。多くは死産、たまに子が生まれるため魔物は積極的に異性を犯す。ルーシーはそのあり方を否定するつもりはないが、気分がいいものでもなかった。
緊張が高まっていくなか、ルーシーは思わず息を呑んでしまう。
穂先とくちばしが触れるかと思われたそのとき、両者が地を蹴った。
(受け止めた!瞬間的に槍の魔力濃度が上がってる。というかエスト力強すぎない?)
豪風がふいて草原がざわめく。
鷹の踏み込みは強くないにせよ、エスト三人分の巨躯である。とても素手の少女が槍で押し勝てるものではない。
顔色ひとつ変えないエストはくちばしごと鷹の頭をかち割り、地面に叩き伏せた。苦悶の声さえ上がらない、圧倒的勝利にルーシーは唖然とした。
エストは血を振り払い、槍を解いた。すると水はパシャリと地面に吸い込まれていくのだった。
「ルーシー、ちょっと来て」
ハッとして小走りに行ってみると、少女は腰に手を当てて待っていた。疲れた様子はない。
「これ見て、鷹の魔物といえば強靭な羽と良い目だよ。昔の人も思ったんだろうね、目を移植したらとか」
ペンと手帳を取り出したエストの横顔はいきいきして、今にも腑分けをはじめそうな勢いだ。ペンが激しく動いている間は大丈夫だと思ったルーシーはうなって少女を見上げた。
「エスト、聞きたいことが山ほどあるわ」
「杖?それとも槍?それとも身体強化?」
「身体強化?」
死体をスケッチしながら言う少女は聞き捨てならない文言を口にした。
自然と声が低くなる。
「それは魔人の技術でしょ。なぜ人間であるエストが使えるの」
エストは答えなかった。集中しきっていたのだが、付き合いの浅いルーシーには沈黙と受け取られ、猫は追求するのをやめた。
服が汚れるにも関わらず、臓物を並べて触っていくエストをまのあたりにしたルーシーは、確かにこの子は魔術使いだと納得した。荒唐無稽な夢に手をかけるために血の一滴まで尽力するその姿は、どこまでも魔術に焦がれた者の在り方だった。
解体と調べは日が沈むまで行われた。
3
山菜と胡椒のスープを一気に飲み干したエストは焚き火を眺めて一息ついた。
「そんなにおいしいかね、川魚は」
「……生の良さがわからない人間は損よ、エスト」
いろいろやりすぎた夜、こうして川辺に辿り着けたのは幸運だった。ルーシーもわたしも夜目がきく。暗闇はさしたる問題ではない。
でっぷり太った魚にがっつくルーシーを横目にそっと笑みをもらす。
ルーシーには見せすぎたかもしれない。けれど覆水盆に返らず、考えるべきは先のことだ。魔術は……いい。その内わたしが魔弱であることは分かるだろうし、知られたところで害になる心配もない。
それより気になるのが
「なんで鷹はあそこにいたのか」
薪木がパチリと弾けた。
鷹の生態として遠出はしないどころか、そもそも鷹は山の生き物だ。魔物だからと言えばそれに尽きるが、微妙に歯が噛み合わない。
持ってきた羽をくるくる回して考えていると、膨れた腹をぽんぽんしているルーシーが話しかけてくる。
「なにか気になってるの……?」
「うーん、鷹はなぜこんな草原を飛んでたのかな」
「そうねえ、案外気晴らしだったりして」
「はは、まともに答える気ないでしょルーシー。はあ……餌の少ないこんなところを飛ぶのには理由があるはずなんだよ。胃も腸も空っぽだったし、わたしとの戦いでも空中戦を仕掛けてこなかった」
「空腹でそれ以上のエネルギーの消費を抑えてたってこと?」
「考えうるに自然ないきあたりだけど、だとしたら別に心配もでてくる」
夜行性であるはずの猫は眠たくなってきたようで「考えすぎよお」とかぬかしているが、わたしは無視できなかった。
手元にある使い捨ての木製食器を火に投げ入れて皮を手に取る。鷹の皮だが、加工しだいでルーシーの寝床にできると思ったので持ってきたものだった。
なめす段階を過ぎ、やたら面積が広い点から折りたたんで一枚にしようと考えている。
側にある
ルーシーは反対側の、わたしの太ももに寄りかかって寝てしまった。慣れない旅に疲れたのかもしれない。
「廻猫……か」
精霊にして猫であるルーシーはそう名乗った。でも考えればおかしいことに気づく。
肉をもった精霊は存在しないのだ。
ルーシーが特殊なのか、あるいは性質として肉体をもつというのもあるかもしれないが、廻猫は廻る猫。すなわち転生を繰り返し、記憶を蓄積していく。それが歴史を紐解いた先人の結論。わたしはその存在を知っていた。しかし思い出すのに時間がかかってしまった。
「まさか古より伝承されてきた猫なんてね……」
苦笑して下準備を終える。
魔力を練り込んだ糸を編み、それを用いて皮を寝床にしていく。
夜はまだ長い、それに冷える。起きたらどんな顔をするだろう。かじかんだ手でやりにくいのに、作業をほっぽり出す時にはならなかった。
エストルアイデ〜空を仰ぐ魔術使い〜 ホノスズメ @rurunome
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