【書籍化】性悪女優と優等生マネ〜キツさも喉元過ぎれば癖になる〜
藤之恵多
第1話 プロローグ
客席からでさえ、舞台は独特のにおいがする。
観客、緞帳、小道具、俳優たち。それらの香りが入り混じっているのだ。
舞台の上はまるで別の世界のようにスポットライトで照らされ切り取られていた。
「ジョセフィーヌ、そなたの仕業だろう!」
佐世は息を呑んだ。胸の前に置いていた手に力が入る。
主人公に詰め寄られているジョセフィーヌを演じているのは見たこともない女優さん――年齢にしたら自分とそう変わらない少女だ。だが、彼女は今、自分の親よりも年上の役を堂々と演じていた。
主人公に嫌がらせをするジョセフィーヌとして、朗々とした声が響く。
「まぁ、わたくしが、一体何をしたというのかしら!」
「なんと白々しい……!」
対する俳優の声も真に迫っている。眉間に寄った皴、苛立たし気に床を踏む足。
すべての仕草がヒールの彼女を嫌っていることを示している。
だけど。
「白々しいなんて、ひどいことね。わたくしはわたくしにできることをしただけよ」
舞台特有の言い回し。時代を感じさせるセリフ。
だけど、聞き取りやすい声。お腹に染みわたるように、彼女が話すたび体が熱くなる。
舞台というものを初めて見た佐世にとって、それは見慣れないもので、初めての経験。そのはずなのに、いつの間にか舞台に引き込まれている自分に気づく。
(これが翔くんが入った世界……)
ただ、暇つぶしと少しの意趣返しのために、舞台を見に来ただけだった。
やっと運動部からも、受験からも解放された高校三年の冬。
いなくなった幼馴染が足を踏み入れた世界にほんの少しの興味が湧いた。
それだけだった。それだけだったはずなのに。佐世はいつの間にかカーテンコールで、誰よりも大きな拍手を舞台の端に佇む彼女に送っていた。
舞台特有のきらめきが緞帳の向こうに消えていく。
それから客席の照明がぱっと光って、人々は現実の世界に吐き出される。客席とホールを区切る扉を出れば、そこはもう佐世の見慣れた世界だった。
まるで舞台の残滓を離したくないように佐世は、この舞台に誘ってくれた千佳の服を引っ張った。
「ねぇねぇ、千佳。あのジョセフィーヌ役の人、何ていう人なの?」
「えっと、ジョセフィーヌは、ほら、歌舞伎の家の人だよ。舞台中心だけど、たまに大河とかにも出てるじゃん」
「大河?」
首を傾げた佐世に、千佳はパンフレットをパラパラとめくり、演者紹介のページを開いた。
あ、私もパンフレット買わないと。自然とそう思った。今となっては千佳と一緒に買わなかったことを後悔しているくらいだ。
「ほら、この人」
大きな顔写真。隣には名前と経歴が書いてある。
だけど、佐世はその写真を見た瞬間に顔を横に振っていた。
「違うよ。今日、ジョセフィーヌをしていたのはこの人じゃない」
佐世のきっぱりとした否定に、千佳は不思議そうに首を傾げた。
千佳は元々、主演俳優のファンらしい。そのため、主人公と一緒にしか出てこないジョセフィーヌをはっきりと認識していないのだろう。
千佳はパンフレットと佐世の顔を見比べるようにして声を上げた。
「ええ、そうだった?」
すぐにスマートフォンをいじり始める。
小さな公演の情報はSNSに載っているらしい。ホームページなどなく、SNSでお知らせだけしている劇団もあるらしい。
さすがにチラシ(リーフレットと呼ぶらしい)はあったが、劇団といえば劇場を持っているような大きなもののイメージしかなかった佐世には不思議でならなかった。
「あ、ほんとだ。佐世、当たりだわ。今日、代役だったみたいだね」
「ほらぁ!」
千佳の言葉に、佐世は喜びの声を上げた。
絶対違うと確信していた。だって、自分はあの女優さんの動きをずっと見ていたのだ。いや、目が離せなかったとも言える。
主役が話していても、どうしても、意識の端っこがその人に引っ張られてしまう感覚。
(あんなに目立つのに、不思議)
佐世にとっては主役より、ジョセフィーヌが印象に残っていた。
千佳のスマホ画面をのぞき込むようにして見せてもらう。
【代役のお知らせ】と書かれたツブヤイターには、パンフレットに載っている女優さんの休演について書かれていた。
代役のところにある名前は、
「藤間、レイカ」
声に出して読み上げる。プロフィールも何もない。名前だけ。
有名なのか、どうなのかも分からず、佐世は千佳の顔を見上げた。
千佳は佐世の視線に困ったというように肩をすくめて答える。
「ほとんど舞台に出ていない子じゃないかなぁ」
「ほとんど舞台に出ていないの? 有名な役者さんじゃないんだ」
佐世の口から言葉が飛び出した。
驚いた。ほとんど舞台に出ていないのに、あの完成度なのか。
あんなに目立つのに、無名なんてことがあるんだと、佐世は目を瞬かせるしかない。
千佳はパンフレットに載っていた元の役者の苗字を指さす。
「藤間って、この本役の人のおうちの苗字だから。いわゆるコネね」
「コネ?」
と、思わず佐世は繰り返していた。
「そう、コネ」
「えぇ、実力じゃないの?」
「普通、代役はその劇団員から立てられるものだもの。劇団員でもない人が使われている時点で、コネでしょ」
千佳はそう言うと興味を失ったように、その画面を閉じて、スマホの画面をいじり始める。
大方、開いたついでに感想でも呟くのだろう。
コネの字が佐世の中でモヤモヤを発生させている間に、千佳は投稿を終え、感想を聞いてくる。
「それより、面白かった?」
「うん、劇を見るのって初めてだったけど、感動した!」
佐世は千佳の言葉に大きく頷いた。
ただ幼馴染がどんな世界に足を踏み入れたのか知りたかっただけなのに、それ以上に舞台、演劇に興味が湧いてしまった。
感想を口々に言いあいながら、佐世の中には一つの思いがくすぶっていた。
あんなに実力があるのに、コネ扱いされてしまう。舞台とはよくわからない世界だ。
もう一度見てみたい。もう一度、藤間レイカを見たい。
佐世のその願いが叶うのは、だいぶ時間が経ってからのことだった。
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