イヤホン

「なーに聞いてんのっ」


 そういって、千夏は僕の右耳からイヤホンを奪い取った。そのままぐるりと反対側に移動し、自分の右耳につける。自然と距離が近くなり、千夏からは制汗剤のいい匂いがした。


「ミセスの新曲。てか千夏、部活は?」


 放課後。いつものこの時間なら、千夏は部活のはずだ。それなのに僕と時間が被るのはどうしてだろうか。


「いやー、サボっちゃった!」


 そういうと、悪戯がバレた子供のように笑う。

 サボりの千夏に遭遇したのは何度かあるし、そう珍しいことでもない。


「またコーチに怒られるよ」

「最近タイム伸びてるからヘーキヘーキ!」


 そういうと、僕から奪ったイヤホンを外して走り出す。

 陸上部で短距離走をしている千夏は、こうやってちょくちょくサボるくせに成績がいい。去年は県大会でいいとこまでいってたはずだ。

 数十メートル先で千夏が叫ぶ。


「早くきてー!」


 勝手なやつ。

 僕は小走りになり、千夏に追いつこうとする。

 それを見た千夏は「おそーい!」と言い、また一人で走り出す。どこまで行く気だろうか。

 小さくなって行く千夏を見ながら、つい苦笑する。こんな風にまた気軽に話せるようになるなんて思いもしなかった。


 去年の夏、僕は陸上部を辞めた。

 別に大した理由じゃない。怪我をして、3ヶ月間走れなかった。やっと走れるように戻っても、空いたブランクと残った足の違和感から怪我の前ほど順調に動けなかった。その後はいつの間にか行かなくなっていた。

 それがキッカケで千夏に嫌われた。小学校から一緒で家も近所。部活後もよく一緒に帰ってた。けれど部活に行かなくなり、僕たちの関係も一度は終わってしまった。

 顔を出さなくなった僕を千夏は弱虫だと詰り、僕は千夏に気持ちは分からないと拒絶した。一時は顔を合わせるのも辛かった。


「今日はまた、山内?」


 何とか千夏に追いつき、肩で息をしながら問いかける。

 千夏は少し恥ずかしそうに「うん」と言った。


 僕が陸上部に行かなくなってしばらくして、千夏はクラスの山内と付き合い出した。

 山内はいい奴だ。僕と千夏のクラスのまとめ役だし、みんなからの信頼も厚い。僕と千夏がまた話せるようになったのも、山内がいろいろととりなしてくれたお陰だ。

 だから感謝こそすれ、悪感情など抱くはずもない。そう、ないはずなのだ。


「……じゃあデート、楽しんでね」


 Y字路、千夏に別れを告げる。

 嬉しそうに「ありがとう」と言って走り去る彼女の背中を最後まで見ることなく、僕は振り返って歩き始めた。

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